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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十三章
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婚姻の思惑

 音は止まらず、扉を開ける。


「盗み聞きなどと言うはしたない真似をしてしまい、申し訳ありません」


 言葉の割に堂々とした態度で少し波うつこげ茶の髪をはためかせて入ってきたのはべルティーナ。

 マシディリの婚約者である。


「しかし、フィルノルド様のおっしゃられる古くからの元老院議員には父の名は含まれていないと、アスピデアウスの名誉のために弁解させてもらいたく思います」


 胸を張って歩くべルティーナの後ろから、申し訳なさそうにユリアンナが入ってきた。

 ひょこひょこ、とした動きで素早くエスピラの横にやってくる。


「私が無理矢理誘ったの。その、何かあったら母上に告げ口しようと思って……」


 小声で視線を垂らしながら言うと、ごめんなさい、と最後にユリアンナが言った。

 一応ユリアンナのことを待ってくれたのか、べルティーナの口が今動き出す。


「今の父は闘鶏に賛成の態度をとっております。そうなればタヴォラド様も同じように認められるでしょう」


 フィルノルドがべルティーナに目をやった。

 険しいモノではないが、否定的なモノである。


「今朝の話です」


 その視線を正面から受け止め、べルティーナは話し続ける。


「結婚とは家門の関係。私もその通りだと思っておりますが、私とマシディリ様の婚約はそうではありません。家門ではなく、アレッシアのための結婚です。


 誤解を恐れず言いますと、アスピデアウスとウェラテヌスの対立は決定的でしょう。避けられる見込みはほとんどございません。婚姻一つでの修復など不可能です。


 その中でも、父上はマシディリ様の力を認められたのです。アレッシアに必要な人だと見染めたのです。

 ですから私と婚姻関係を結び、ウェラテヌスに何があってもアレッシアのためにマシディリ様が働けるようにしました。

 私がマシディリ様と子を為すことによって、アスピデアウスに何があってもアスピデアウスの復興ができるようにしました。


 それが父の目論見です。


 その目論見が崩れる時、それはアスピデアウスの者の攻撃によってエスピラ様が婚約破棄を伝えた時やマシディリ様が私を拒絶した時です。

 その時に、ウェラテヌスが闘鶏などの神事によって婚姻関係に何らかの決定を下したという実績が欲しい。その実績があれば望みがある。神の意志で拒絶されたのならば、仕方が無いと思える。


 私が、そう父上を説得いたしました。


 エスピラ様とメルア様の間の男児は現在五人おります。誰もが一流だと思いますが、その中でもマシディリ様は誰からもその力を認められております。そんなマシディリ様の妻になれるのは何百万と居るアレッシア人の中でもただ一人。

 その栄誉に選ばれたのなら、重責に耐え全うする覚悟が私にはあります。是非とも全うするべき使命と見定めました、と父上に伝えさせえていただきました。


 そのためにはなんだって致します。

 アスピデアウスの誇りとアレッシアを支える建国五門としての矜持に誓って、成し遂げる所存です。


 フィルノルド様。これが、アスピデアウス宗家の意思です。古くからの、が永世元老院議員のみを指しているのであれば差し出がましいことを申してしまい、申し訳ありませんでした」



 威圧していないのに圧倒して。

 相手の腰を砕いていないのにしっかりと支配して。それでいて、手を掴み続けているような。


 そんな、独特の圧倒をべルティーナがやってのけた。


(マシディリを褒めたのは打算か?)


 そんなことを思うエスピラの耳元に、愛娘の顔が来た。


「べルティーナちゃん、打算とかおべっかとか苦手だよ」


 小声で、ユリアンナが言う。


「それからエスピラ様」


 堂々たる所作のまま、べルティーナが完全にエスピラを向いた。


「私の父上と母上が一緒に風呂に入ったことなど一回も見たことが無いのですが、ウェテリの尊称をいただくことになるのであれば、あるいはアレッシアの普通としては夫婦は風呂を共にするべきなのでしょうか」


 恥じらいは一切ない。

 完全に堂々とした、ただの確認である。


「タイリー様とアプロウォーネ様も一緒に入っていたらしいけど、そこは夫婦の形だからね。もし本当に結婚することになった時にでもマシディリと決めてくれればそれで良いよ」


 あ、やっぱり普通は一緒に入らないんじゃん! と、ユリアンナがエスピラに対して頬を膨らませた。

 こら、とやさしく言わんばかりにエスピラはユリアンナの頭を撫でまわす。しかし、今回ばかりはすぐに払われてしまった。


 冷静に考えれば人前、しかも友達の前で気恥ずかしいと言う感情もあったことに気が付くだろう。

 だが、今のエスピラはただただショックを受けるばかりであった。


 手はさまよい、ふらりふらりとユリアンナの頭があった位置で定まらずに動く。そうして、徐々に自身の傍に戻すと同時に表情もやや凛々しいモノに戻していった。


「アスピデ」

「マシディリには会ったかい?」


 フィルノルドの言葉を遮ったまま、エスピラはべルティーナを見た。

 べルティーナの目がフィルノルドに動きかけ、エスピラにしっかりと戻ってくる。


「いえ。言葉を交わしたのは九年前の外壁の上が最初で最後だと記憶しております。会話は致しませんでしたが、七年前にマシディリ様がオプティアの書の管理委員をされていた時にもお会いしております。一方的なものでよろしければ、他にも数度」


「九年前か。あの時は随分と小さかったのになあ」


 マシディリですら五歳になる年だ。

 三歳の時の記憶をしっかりと保持しているだけ、べルティーナはすごいと言えるだろう。


「それが、今や息子の婚約者か。しかも息子をとても高く評価してくれている。親としては嬉しい限りだけど、マシディリも一人の人間だからね」


 く、と顎を引くようにべルティーナが頷いた。


「あの時、八万の軍勢を見つめるマシディリ様の瞳を良く覚えております。

 ウェラテヌスとしての自分の使命と、これから背負う重責を感じながらも無邪気にはしゃいでいるような目を。当時はただ人の多さに気分が高揚しているのだと思っておりましたが、おそらく父親と一緒に居られて嬉しい一人の男の子の目なのだと今なら思います」


 その言葉に、心からの邪気の無い笑みを浮かべたのはエスピラだった。


「何があっても君だけは無邪気で幼いマシディリを忘れずに、重責を背負うマシディリとともに歩んでくれ」


 べルティーナの目が少し大きくなった。

 半拍遅れて、流麗なお辞儀がやってくる。


「私の友達として呼んだんだよ?」


 そんな父と義姉になるであろう友を見て、ユリアンナがすねたような声を出した。


 本当にすねた訳では無いだろう。

 ユリアンナの様子がどこか演技染みているのは、父親であるエスピラには良く分かる。


「最初は打算もあって近づいたんだろう?」

 と、エスピラはマフソレイオの言葉で笑いながら愛娘に問いかけた。


「今は違うもん」


 ユリアンナもマフソレイオの言葉で返して、べルティーナの手を掴む。


「盗み聞きしてたことは謝ります。でも、父上も変なことしたら母上に言うからね! 私たちは母上以外の母上なんて絶対に嫌だから!」


 べー、とメルアが目の下を人差し指で引っ張り、舌を出した。

「はしたない」と、エスピラはあきれたように注意するも、ユリアンナの言葉の行き先がシジェロだと理解している。


 夫にしたい者にも拒まれ、子供となる者たちにも嫌われている。

 そんな状況なのだから潔く身を引いた方が良いですよ。


 そう、ユリアンナがシジェロに告げたのだと。


 同時に、いつまでたっても別の女の影を断ち切れていない父親への憤りも含まれているのだろうか。しっかりしないと駄目だと。母親と娘は友達のような関係になるとも言うが、メルアとユリアンナもそれに近いのかも知れないなとも。


「淑女がやる行動ではありませんよ?」

 とべルティーナに注意されつつもユリアンナが手を引っ張って部屋を出ていく。


 連れ去れているというのに、退出間際にしっかりと礼をとれるのはアスピデアウスの教育の良さか。べルティーナの素質か。


「一つ訂正させてもらいたいのですが」


 子供たちが出ていった部屋で最初に言葉を発したのはシジェロ。

 男二人の注目はもちろんシジェロに。


「エスピラ様と私の結婚を望むものももちろんおります。それも、エスピラ様のごく近くに。そのことをお忘れなく」


 悠然と視線を受け止めながら、シジェロがそう言ったのだった。


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