亡国の后
確実な手だな、とエスピラは思った。
何に対してか。
それは、シジェロとフィルノルドが一緒に来ることに対してである。
片やアレッシア中で噂になっている人物。片やエスピラと同じ今年の執政官。
なるほど。二人とも、普通ならばエスピラに会えるはずである。だが、エスピラに断れる理由にも心当たりがあるらしい。
単純にエスピラが忙しいから、と言う理由かも知れないし、エスピラからの追及をかわすための理由にしているだけの可能性ももちろんあるが。
しかし、二人で来ればほぼ確実にエスピラに会える。エスピラも面会せざるを得なくなる。
「処女神の神殿が中心となって大々的に闘鶏を行うと、街中では大層話題になっているようですね」
エスピラがそんな風に観察していると、シジェロが作り物の笑みを彫ったまま切り出してきた。
「闘技大会を二度も三度も開くだけの財もありませんし、開くたびに批判も大きくなっていきますからね。次の手を考えないといけないんですよ」
エスピラも作り物の笑顔で白々しく答えた。
「財も無限ではありませんし。今日なんて、ユリアンナが友達を家に呼んでも良いのかの確認を取ってきたくらいですからね」
エスピラの言葉に合わせて、奴隷がトリヨンを二人の前に置いた。
チアーラが好きなプリンよりも固く、はちみつの量も少ない。
まるで娘の友達をもてなすお菓子すら厳しいと言っているようにも見える行動であるが、実際にユリアンナが聞いてきたのは勉強との兼ね合いだ。エスピラは二つ返事で肯定しており、その時のユリアンナに喜びはあれど驚きなどは一切見えなかったのである。
要するに、ユリアンナは母親に何か言われないように母親の目の前で父親に聞いただけなのだ。
「お祭りを開きたいのであれば、凱旋式を行えばよろしいのでは?」
フィルノルドがトリヨンを持ち上げ、エスピラの方へ置きながら言う。
「私の軍団やマルテレスを呼び戻す余裕があるのなら、是非ともその余力でもってマールバラを討ち果たしていただきたいてもよろしいでしょうか」
遠慮せずにお食べください、とエスピラはフィルノルドがよけたトリヨンに手を向けた。
フィルノルドは皿を手にしない。
「平民側の執政官であるフィルノルド様も反対しております。私も、私の気持ちがこのような見世物にされるのは例えエスピラ様と雖も我慢なりません」
追いかけてくるようにシジェロが言った。
「踏みにじられるのが嫌、と言うのなら私のメルアを愛する気持ちは随分と踏み躙られているように思うのですが」
声は低く、首は少し傾けて。
エスピラは、フィルノルドを視界から追い出し、代わりにシジェロを中心に据えた。
「結婚とは家門同士の関係です。気持ちは関係ございません。処女神の巫女を除いて、の話ですよ」
シジェロが滔々と言う。
「しかし、結婚すれば貴方はエスピラ・ウェラテヌスの妻となる。ならば当然、闘鶏を行うことによって集まる注目など我慢しなければならない。見世物になりたくは無いとおっしゃりましたが、エスピラ・ウェラテヌスの妻になるとはそう言うことです」
顔は真顔。
声はやさしめに。
その調子で、エスピラは続ける。
「随分と昔の話ですが、エリポスのさらに東方では高くない身分から王になった者が居たそうです。その男は大層優秀で、抱えている将軍も有能でした。元々の身分は王より高かった将軍も、非常に良く仕えていたそうです。
ですが、皆様も知っての通り勝負は時の運。
運悪く、その有能な将軍は敗北し、這う這うの体で祖国に逃げ帰ったのです。目指すは王のいる場所。その途中で、王の妻の一行に遭遇いたしました。
これは好機。
そう思ったかは定かではありませんが、その将軍はしっかりと礼を取り、まずはお目通りを願い出たのです。
その時の将軍の格好はお世辞にも清潔とは言えませんでした。
負けたから当然なのですが、顔も黒く、足も泥だらけ。服にも無事な部分は無く臭いもします。ええ。王族の前に出るような恰好ではありません。しかし、国のために戦い、尽くした男の雄姿です。
それにも関わらず、后は言いました。
『下賤な輩など追い払え』
将軍を気にも留めず、居なかったことにしたのです。
そしてその国は一代で滅びました。滅ぼした国の功労者の中には、后に目通りすら許されなかった将軍の名前があったそうです。
もう、お分かりですね?」
シジェロの口が勢い良く開き、歯が見えたまま止まる。
閉じていくのはゆっくりと。顎を引きながら。指は握られ、前に出ていた体は徐々に戻っていく。呼吸のための動きは先ほどまでより少し大きく見えた。
メルアの行動に関して批判しようとしたのだろうか。
それを止めたのは、なるほど、良い判断である。
「はは」
から始まり、エスピラは大きく笑った。
フィルノルドも視界に戻す。
「何を思われたかは分かりませんが、勘違いをされては困りますのでメルアについても弁明させていただきます。
メルアは、私の味方には攻撃をしておりません。悪評を聞き、良く思っていない者もおりますし過剰に恐れている者もおります。しかし、メルアが直接罵倒したり危害を加えたりしたことは無いのです。
自身の、セルクラウスの家族に対しては別ですが、私と苦楽を共にした者たちにメルアは何も攻撃をしておりません。接触を最小限にする、と言う形ではありますが、メルアはそこが良く分かっている。
メルアも、セルクラウスがアレッシア第一の貴族だった時の娘ですから。
覚悟がある。立ち振る舞いを理解している。自分たちがどう見られるかを知っている。
妻と夫が無関係など通用しないと、故事が証明していると分かっているのです。
翻って、君はどうかな?
確かに今はメルアよりも君の手を取った方が得だろう。兵に報いれるだろう。
だが、エクラートンでは何が行われた? 君のせいで害を被ったのは誰だ? 実害あるわがままを言ったのは誰だ?
正直に言いましょう。
やりすぎです。建国五門が一つウェラテヌスが当主、エスピラ・ウェラテヌスの妻になると言う意味を、軽く考えないでいただきたい」
あたりは絹のように良く。
中身は鉄のように固い。
そんな声とともに、エスピラはシジェロを視線で縫い留めた。
「王にでもなられるおつもりですか?」
横からフィルノルドが入ってくる。
「先の話を聞いていて本気で思っているわけではありませんよね」
エスピラは、目を変えずに朗らかに笑った。
体の向きは、今、ようやく変える。
「私が王になどなれるわけがありません。
妻と夫は無関係では無い。妻の不手際が夫の不利益となり、夫の失策が妻の命を奪う。それが国を率いる者の責任です。
では、メルアが王の妻に相応しいでしょうか。あるいは国をごく少数で牛耳る者の配偶者に適しているでしょうか。
いえ。そんなわけがありません。
メルアは、ただ私の妻に相応しいだけ。
王に嫁いだとして、亡国の后にしかなれませんよ」
『嫁いだ場合は』
何も言わないフィルノルドが、そう言っているように思えるのはエスピラの疑心か。それとも本当か。
四十七歳にして執政官になった叩き上げの男は、それ以上追及してくることは無かった。
代わりにと言うべきか、皿を引き戻し、トリヨンの匂いを嗅いでいる。
「アスピデアウスでもこのように良い匂いのお菓子に出会うことはありませんでした」
(どちらだ?)
鞍替えの意思表示か。贅沢だなと言う批判か。
それとも、別の批判か。
「執政官の私生活を切り売りするようにして一大行事にする。古くからの元老院議員が黙っているでしょうか? 神殿は後押しをし、民会は歓迎するでしょうが一番大事なところが反対に回るのではありませんか?」
フィルノルドがトリヨンを見たまま言った。
「一番大事なのはアレッシアが勝つこと。そして、永劫続く繁栄を手に入れること。執政官ならば当然でしょう?」
そして、エスピラの耳は小さな侵入者を捉えたのだった。




