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疑惑の病

「よい、しょっ」

 と気合を入れて、マルテレスがニベヌレス兄弟の片割れをベッドの上に投げ捨てた。


 エスピラももう片方を近くの寝台に投げ捨てる。


「これがマフソレイオ流の祝宴か」


 ふうと息を吐いて、マルテレスが近くの椅子に座した。勝手に水の入った瓶から水を掬い、ぐびぐびと飲んでいる。

 その間、エスピラは様子を見るふりをして兄弟の額に手を当てて隠れてオーラを流したり、服装を緩めるふりをしてオーラを流したりした。


(国のためには命は惜しくない、と言っていたしな)


 使節団内での宣誓の儀でのことではあるが。

 だが、仮にも建国五門ならばその覚悟を持って国に尽くせとエスピラは言いたくもある。


「エスピラは良くあんな苦いのをぐびぐびと飲めるな」


 マルテレスの言う『苦いの』とは麦酒のことであろう。

 エスピラは口角を緩めると、軽い調子で声帯を震わせた。


「あれは美女が麦を噛んで発酵させて作っているんだぞ」

「嘘だろ!」


 喜色満面でマルテレスが叫ぶ。エスピラは目を両脇で転がっている兄弟にやった。

 すぐさまマルテレスが自身の口を手で塞ぎ、椅子に座りなおす。


「どれくらい? いつもの酒場の奴隷ぐらい? それともまさかメルア様ぐらい?」

「冗談だ」

「なんだよ」


 マルテレスの声が酷く落胆した物であるのは、彼自身が酔っているからというのもあるのだろう。


「酒宴に出てくるようなものはもっと大量生産に適した方法で作っているさ。だが、もちろん全てが嘘と言うわけでは無い。今でもそうやって作られて、高値で売られているのはある」


 買おっかなあ、と冗談交じりにマルテレスが呟いた。


「良いんじゃないか? マフソレイオでしか買えないしな」

「だよなあ。ここに居ても護民官選挙の指揮はサジェッツァがやってくれているし、あまりやることが無いしなあ」


「風土を目で見て知ることも大事なことだぞ? 半島内での戦いばかりだったなら兎も角、今はもう海を渡る時代だからな。外に行ったことがあるのと無いのとでは大きな違いだし、今マフソレイオを知っておけば、次はもっと高位でマフソレイオに来ることがあるかも知れないしな」

「じゃあ案内してくれよ、と思ったけど、エスピラは教育係みたいなことやってるのか」


 大変だなあ、と呟いて、マルテレスがまた水を掬ってがっつり飲んだ。

 両脇からはニベヌレス兄弟のいびきが聞こえてくる。


「大変じゃないか?」

「メルアに比べればとても楽さ。ズィミナソフィア様は優秀だしな」


 敵にならないことを祈るぐらいには、六歳にしては出来過ぎている。

 これが後ろに大人がいて操っているわけでは無いのだから、本当に神の末裔とでも言いたくなる御仁なのだ。


「そういやメルア様の教育係もしていたんだっけか。え? ってことは、お前はああいう性格の女性が好みなの?」


 マルテレスが大げさに引いて見せてきた。


 失礼な、とは思うけれども、晩餐会に於いてメルアはほとんどオピーマ夫妻とは話さなかったのも事実である。かと言ってアスピデアウス夫妻と良く話したかと言えばそれもノーではあるのだが、それでも平民風情がと言った内心が見えなくも無かった。


 マルテレスとその妻アウローラは笑って許してはくれていたが、エスピラは申し訳ない気持ちで今でもいっぱいなのである。


「性格までどうにかできると思うなよ。だいたい、セルクラウスの教育係の奴隷も頻繁に代わってはいたけれどメルアに教えていたわけだからな」

「じゃあ女王みたいな感じ? それともまさかまさかの娘の方?」

「そんな訳無いだろう?」


 エスピラは立ち上がって、マルテレスのでこを軽く押した。

 マルテレスが大げさにのけぞり、笑って戻ってくる。


「不敬に当たるが、ズィミナソフィア様、四世の方な。そのズィミナソフィア様は実の娘のような存在だ。難しいことを考えずに慕ってきてくれるし、わがままも言ってくれるし。で、そんな相手の親に手を出せと? …………いや、普通に再婚とか考えたら手を出すのは当然のことだったな」


 娘と親の関係は全く以って影響は無かったな、とエスピラは言っている途中で思いいたった。

 実際、メルアとの間に子供がいても、エスピラはメルアに普通に欲情する。実の子と遊んだ後でも当然のごとくメルアと寝ることができるだろう。


「いや、もうそれだけでお前が毎日部屋に行っていても言われているような感じじゃないってのは良く分かったよ」


 マルテレスが詰まらなさそうに息を吐いて、三度みたび水を喰らうように飲んだ。


「娼館には行ってる? アレッシアの娼館が好みじゃないとか、そんな感じ?」


 余程苦い酒を飲むのに疲れたのか、マルテレスが深く座ったまま次の話題を持ち出してくる。


「行ってないよ。元々、女王との交渉は私の仕事だしな」

「申し訳ないねえ」

「構わないさ。その分、お前は色んなことを実際に見て学んで、護民官や法務官、執政官になって活かしてくれ」

「話が飛躍しすぎなんだよ」


 ひと笑いしてから、マルテレスが天井を向いた。

 足も開いており、随分と気の抜けた格好である。


「妻の妊娠中に外に行ったのなら、俺だったら確実に『なんで愛人の一人も増やさないの!』って不能を疑われるなあ」

「私の場合は、作ったら家に帰れなくなるさ。メルアに食われてしまう」


 不味そうだと、またしてもマルテレスが笑った。


「意外と私の肉は美味しいかも知れないぞ。程よく鍛えられていて噛み応えが良い、とかな」

「やめろやめろ」


 ツボに入ったように笑いながら、マルテレスが立ち上がる。

 そろそろ戻ろうか、と言うことらしい。


 エスピラがマルテレスに同意しようとしたところでマルテレスから笑いが消えた。ややもすれば、エスピラの耳にも足音が聞こえてくる。


 現れたのは王。

 エスピラを見て軽く頭を上下に動かしたのち、マルテレスを目で制した。


 エスピラもマルテレスと視線を合わせ、頷いて意思を伝える。それから、王に続いてエスピラも部屋を出た。


 しばらくは無言。

 石造りの宮殿は所々が炎で明るく照らされており、アレッシアよりも温暖な夜をさらに温かくしている。


 王は裏道を通り、祝宴で盛り上がる会場を離れて行った。

 エスピラの記憶が確かなら向かう先は寝室の並ぶ場所。女王の部屋。


 そして記憶に違いなく、女王の部屋へと案内された。

 部屋は薄暗く、月明りが入るのみ。


「今晩は我が娘の傍に居てやってはくれませんか?」


 王がそう、エスピラに頼んできた。


「構いませんよ」


 二つ返事でエスピラも引き受ける。

 王の顔に安堵が広がった。両手をエスピラの方へと伸ばしてくる。


「いやあ、良かった良かった。これは心強い。息子が生きていた時から娘が全て取り仕切ってはいたが、いやいや、支える人が居るのと居ないのでは大きく違いますからな。ああ、本当に。エスピラ様が居る時で良かった」


 エスピラが手を差しだすと、その手を強く握り上下に揺らしながら王が軽やかに述べた。


 マフソレイオは神の末裔を称する者達が治めてきた土地。


 娘と息子、即ち兄弟が夫婦であることはその血を薄めないことであり、神の末裔を称するのであれば当然の行為として認識されている。


 即ち、王族ならば近親婚は当たり前。むしろ王族たるもの血を薄めないように動くべきである。それこそが、マフソレイオの王族。マフソレイオを治める者。

 肉体関係は無いだろうが、今も父と娘で婚姻状態にあるのだ。


 だからこそ、先の発言は夫を失った未亡人の慰めはお気に入りの若い男だろうと言う酷い言い方もできる。


(親心なのだろうがな)


 それでもやはり王の器としては疑問が残ると言うべきか。


 自ら呼びに来ると言う王にあるまじき行動を娘のためにしつつ、娘のためにと無駄にアレッシアに借りを作ったりと娘のためにならなさそうな行動を平然と取っているようにエスピラには思えた。

 王としては非常に酷い、居ても居なくても良い人材である、と。



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