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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十二章
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荷は増えて

 エスピラの目が丸くなる。

 瞳孔も大きく、ただただタヴォラドと言う存在を反射して伝えてきている光を網膜に写すのみ。


「マールバラの支配領域が大きく減った。これは、栄光ある一歩だ。君に任せて正解だったな」


 そんなエスピラを無視するようにタヴォラドが続ける。


 エスピラの体で最初に起動したのは、鼻筋だった。

 ひくりひくり、と動き、それから真顔に表情を整える。


「息子が死んだんだぞ。それも、見捨てたとも言える無能な指揮官の作戦の所為で」


 低く。ただ低く。

 タヴォラドに対して発したことの無いような音色で、エスピラは言葉を投げた。


「アレッシアの勝利のためだ。良き死に方だった。息子も喜んでいるよ」


 ぐ、と拳に力が入った。

 それでも吼えない。

 歯を噛み締め、エスピラは耐えた。


 息を思いっきり吐き出し、実際に怒鳴れないようにもする。


「後継者が死んだ。そうでなくとも血を分けた子が死んだんだ。恨み言の一つや二つ、零れるのが親ってモノじゃないのか?」


 それでも、口調は戻らない。

 タヴォラドの表情も変わらない。


「後継者と認めていたわけでは無い。

 ああ、あれが連れて行った被庇護者だが、望むのならそのまま君につけよう。何、甥が後継者になるのも良くある話だ。不要なら子供たちにあげると良い。が、出来ればマシディリとクイリッタ以外にしてくれ。マシディリはウェラテヌスの後継者、クイリッタは予備。セルクラウスの後継者はその二人以外にしたいからね」


「私はクイリッタが予備と呼ばれたことですら怒りを禁じえないのですが」


 エスピラは、取り繕うことをかなぐり捨てた。

 目をかっぴらき、見下ろし、睨みつける。


「第四軍団、だったか。それも好きにして良い。まあ、君のことだから組み込みはしないだろうが、自由に使ってくれ。個々の力量の高さなら分かっているだろう? リロウスのとこの子も、うまく活用すると良い。まあ、一度奪われざるを得ないと思うがね」


「お前……!」


「ああ。君の策は見事だったよ。本来、一貫性を持たせるのは永世元老院の仕事。それを国家のためとはいえアスピデアウスに奪われた国家のためとはいえ一度は奪われた者達だ。鬱屈した気持ちもあったのだろう。権力を握った先の景色はそうそう忘れられるモノでは無いからな。権力が無くなれば、命の危険も大きくなる。どんな日々を過ごしていたのかは想像に難くないよ。


 その感情を、アスピデアウスとウェラテヌスの仲立ちとして上手くくすぐった。実績も与えた。尊重すると言う意思も見せた。


 永世元老院議員の良い使い方だ。父上も、きっと褒めている。


 私は応援するよ。君の、来年度の執政官選挙をね。


 久々のアスピデアウスが擁立しなかった立候補者だ。つまり、久々に落選者が出る。分断か、終戦か。楽しみにしているよ、エスピラ・ウェラテヌス。父が最も愛し、最も期待していた我が義兄弟」



 握りしめた手が悲鳴を上げた。

 次に、左手に存在する二つの輪がエスピラを戒める。


 気は長く、雌伏は吉。慎重は美徳。短気は勇敢では無い。


 ゆっくりと、心の中で三回。

 呟いてから、エスピラは熱い息を大きく吐いた。


「……ありがとうございます」


 頭を下げ、退室するべく背を向ける。

 タヴォラドから言葉は無い。エスピラは、そのまま扉に手をかけた。


「私は」

 と、タヴォラドが呟くような声を投げてきた。


「スピリッテの父親だ。誰に失格の烙印を押されようと、あれの父だ」


 エスピラは、手を止めタヴォラドの言葉を待った。

 口は開かない。

 タヴォラドも分かっているのか、言葉を続けてくる。


「悲しむことだけが弔いでは無い。生前の望みを叶えてやることが何よりの弔いだ。

 だから、私は戦争に勝たねばならない。

 父上のためにも、叔父上のためにも、コルドーニや、息子たちのためにも。

 何を犠牲にしても勝つ。

 それが、覚悟だ。セルクラウス一門の当主たる私の覚悟だ」


 珍しく、熱い言葉。

 火を思わせる熱量。


「御立派なことだと思います」

「ウェラテヌスなら、理解してくれると思ったのだけどな」


 此処からは恨み言だろう。

 同時に、エスピラが振り返ってしまえばきっと閉じこもってしまう感情だと分かってしまった。


「私は、私のような指揮官に息子が殺されたのなら許すことはできません」

「どうかな。カルド島ではクイリッタに危険な任務をさせていたではないか」

「命の危険はつきものですが、見捨てはしなかった。私は、最大限クイリッタが生きて帰ってこられるような手を打っていました。ですが、スピリッテ様には違います」


「同じだよ。私も、息子が死ぬとは思っていなかった。きっと、生きて帰ってきて。私に恨みに似た辛い表情で淡々と報告をしてくるのだと。そう、数か月前まで思っていたよ」


 ぐちゃぐちゃだ。

 きっと、言いたいことはいっぱいある。

 でもどれも言葉にならない。


 渦巻いて、渦巻いて、渦巻いて。


 何も言えずにエスピラの口は動かない。


「久々に正面を向いて会えたよ。良い顔をしていた。久しぶりだ。あんなに穏やかな息子の顔は、本当に久しぶりだ」


 下唇が、確かな痛みをエスピラに訴えてきた。


「あれの娘も、君に感謝を伝えたいそうだ。ずっと辛そうだった父の顔が、穏やかだったと。優しい父上が帰って来た、と。だから、君のことを責めないでくれ、とさ。

 君を責めることは、父を責めることだと。父の最後の願いすらもセルクラウスが砕くことだと。

 幼いのに、立派な娘だよ。スピリッテは、本当に、良い息子だった」



「…………失礼いたします」


 言って、エスピラは部屋を出た。

 足早に。足早に。足早に。

 誰もいないところへ、早く。

 暗がりへ。

 そこで、左手の革手袋を破らんばかりの勢いで脱ぎ捨てた。白い肌に歯を突き立てる。自分では、中々血まで行かない。す、と外し、もう一度。遠慮なく。


(戻れない。人生は、進むことしか許されていない道だ)


 がち、と口内に鉄の匂いが広がった。

 独特の臭みと味があふれだす。


 同時に起こる痛みだけが一種の安堵をエスピラにもたらした。


「立ち止まるな。進むしか、許されていない」


 呟き、握りしめ。

 エスピラは、左手を再び革手袋に隠した。


 凛とした表情に戻し、次の場所へ。選挙の協力へ。


 その年の末、エスピラは、戦時体制であるアスピデアウスに反旗を翻した。

 即ち、執政官選挙に出馬したのである。


 久しぶりの対立候補。しかも、戦功著しいウェラテヌスの当主。


 血筋、実績、地位、財。

 全て十分。


 何よりも『元老院を重視する』との訴えが、アスピデアウス全盛の中で臍を噛んでいた者達の心をくすぐった。


 平民側の執政官はそのままで良く、無記名での投票なのだから貴族側だけ自分にしてくれたら良いと言う訴えが、エスピラから財を受け取ったアスピデアウス側の有権者の心を揺らした。


 結局は元老院に縛られるのだから、と言うささやきが、彼らの罪の意識を軽くした。


 エリポスに行った時より常に護民官に自分の息のかかった者を送り続けたことによる民会の緩やかな掌握が、エスピラ支持を広めるのに役に立った。


 イフェメラのもたらしたプラントゥムの銀が、多くの者の目を眩ました。



 マールバラが多くの支配領域を失った年。

 その年に行われた、来年の執政官を決める選挙。久々の対立候補のいる選挙戦。


 結果は、八年ぶりにアスピデアウスの支持の無い執政官を産み落とした。


 執政官。

 一年任期の、金儲けの許されないアレッシアの最高権力者。


 エスピラは三十五歳にして二度目の、そして初めて自分の力でその椅子に座ることになったのだった。


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