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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十二章
465/1592

間違いなく最善で、下策

 眼下のアレッシア軍、スピリッテが率いている第四軍団は片翼包囲されているようだった。


 第四軍団は退かない。


 そのことを理解しているのか、マールバラもいつものある程度薄くなることを承知で包囲するのではなく、縦深を厚くして迎え撃っているようだ。


 これまでの雨によって重くなっている地面の所為で第四軍団は重い盾を使えていない。使っているのは木と獣の皮で出来た、重装歩兵を高速で機動させるためのモノ。

 それに対し、いつもよりは動きが鈍いが軽装騎兵であるフラシ騎兵が遠くから攻撃を繰り返している。プラントゥム騎兵は馬を座らせ、軽装歩兵としてやわらかい畑の中で道となっている場所を守っているようである。第四軍団が来れば、素早く馬に乗って多対少を形成しているようだ。


「片翼ですので全滅は無いと思いますが、敗走は時間の問題かと」


 ソルプレーサが小声で言う。


「こっちの山を選んだのは、私にそれを見せるためだろうな」


 エスピラは真顔のままで眼下の戦場から目を離した。視線の行き先は真っ直ぐ前。


「何も変えるな。引き返すも罠。急ぐも罠。私たちがやるべきことに変わりは無い」


 低く、抑揚を排して告げ。

 表情の半ばを殺した。


 意識したのは、ディファ・マルティーマで反撃に転じるまでのあの振る舞い。

 ハフモニに神罰が降ったと多くの者が誤認した時と同じ演技。


 全軍にエスピラがその状態にあることを浸透させ、一歩、また一歩と前へ。


 神がついている。父祖がついている。

 その認識の下、味方の鎧を付けていると言うこの軍団にとっては挑発以外のナニモノでも無い敵軍団を、冷静に処理していった。


 進むにも慌てず。敵襲にも慌てず。


 隊列が伸びている。細い戦場である。エスピラと言う頭の指示が行き渡るには時間がかかる。


 関係無い。不利にはならない。

 敵襲は来るモノ。でも、人間は空を飛べない。

 味方の内側ならば休憩。外側なら警戒。怒りを剣に籠め、落ち着きを心に宿す。


 これまでの挑発を思えば。串刺しの森を自分たちが作っていれば。ディラドグマで丸腰の男だけでなく老人も女性も幼子も殺していれば。


 感情を抑制しつつも感情によって力を最大限引き出すのは経験済みであった。


 個人としては無理でも、軍団としては出来る。

 集団として流されることはエスピラが最も嫌う事。

 エスピラが愚衆とこぼすことは流石に七年も一緒に居れば高官、いや、百人隊長以上ならば耳にしている。自分で考えず、楽な方に流れることを良しとしないのは誰もが知っているのだ。


 時折、我慢できなくなったのか野獣の如き叫びがエスピラの耳にも届くが、それはこだましない。


 規律は規律だ。

 エスピラの命令が徹底できる環境は、既にできている。


 常識やアレッシアの法律よりも、エスピラの命令こそが優先されるような、狂った軍団だ。

 そんな軍団だからこそ、ほぼ速度を変えずにマールバラの本陣を見下ろす山の奥深くまで被害少なく行くことができた。


 少し急な斜面。

 獣道は見えるが、萎えた草木も茂っている場所。

 それがエスピラの立つ場所と敵陣の間に広がっている光景。


「カウヴァッロ。行けるな」


 質問ではなく断定。


「えっと、ご命令ならば?」


 少し抜けた声で、カウヴァッロがスーペルの真似をしたようだ。

 エスピラの口元に思わず笑みが出来る。


「アレッシア式重装騎兵アレッシアンカタフラクトの真価を見せてやれ」


 頷いて、カウヴァッロが去って行った。

 すぐに馬も鉄の皮を被っている重装騎兵三百が前に出てくる。同時に、ジャンパオロら最後尾で休憩を取っていた第一列を前に出し、正規の道を駆け下らせる。

 当然相手も気づいた。応手は第一列の攻撃方向に対して。


 それから、エスピラは重装騎兵に突撃を命じた。

 少数しかいない軽装歩兵を重装騎兵の援護につけるのも忘れない。



 アレッシア式重装騎兵。


 その最大の特徴は人馬共に鎧で覆われていること。それによって誇る防御力と破壊力はアレッシアで並ぶモノがいないだろう。


 欠点は熱がこもり過ぎるがために長期戦が不可能なこと。ただでさえ金のかかる騎兵にさらなる金がかかること。武装が限られること。替えが効かない事。

 何よりも、騎兵にも関わらず機動力を殺してしまっていること。


 しかし、その機動力は坂を駆け下ることで一時的に打ち消した。同時に、突撃力も上がる。


 結果、敵陣の守りを食い破ると、アレッシア軽装歩兵が一気にその傷口を広げた。


 平野でも重装騎兵は強い。軽装歩兵に対して見下し、敵軽装騎兵に対しては味方軽装騎兵が飛び道具で以って馬を狙う。


 その混乱の最中で第一列が到着し、完全に敵陣を踏み潰した。

 直後に火の手が上がる。


(早いな)


 いや、とエスピラは思い直した。

 この火は、味方が放ったものではない、と。


 エスピラが火を着けるように命じたのは食料や武器だけだ。

 この火は柵にもついているし、天幕にも無差別に燃え広がっている。


「第二列は左から回り込め。第三列は右から広がる。軽装騎兵は第二列を追い越して囲め」


 命令を伝達させ、動くが既にエスピラの目にも逃げていく敵兵は映った。

 一応殺してもいるが、逃げられる者も居る。

 何よりも、燃えた敵陣は容易には近づけないのだ。


 そんな、アレッシア軍が遠巻きに囲い始めた時に敵兵が整列して出てくる。

 数は三百から四百。背後は炎。帰る陣は無し。アレッシア軍は広がっており、特に最精鋭樽第三列は薄く広くなっている。


「なるほど」


 兵の帰る場所を無くしたか、と。


 彼らが生き延びるには目の前を破るしかない。

 他の場所に穴が出来ても、炎の所為で後ろには行けない。横にできればそこから逃げられるかもしれないが、逃げた結果殺されている味方も見ている。


 ならば、逃げるためには目の前の敵を素早く撃破し、突破する。


 それしかない。


(この状態に持ち込むのが目的だったか)


 結局、マールバラの狙いは第四軍団の殲滅では無かった。

 徹頭徹尾、エスピラの首ただ一つ。

 そして、一騎打ち以外でエスピラが前に出てきてかつ守りが薄くなる瞬間を作ること。


 全てが整ったのが、今だ。


「亀甲隊形!」


 吼えると、エスピラは第三列に亀を作らせた。

 動けなくなる守りの隊形。それを破る策である炎が目の前にある状態で、わざと。

 同時に兵同士が寄るこの隊形は、敵が逃げるだけの道も提示できる。隊形を再び変えて攻撃に移るにも時間がある。


 つまり、先鋒は逃げられるようになるのだ。


 その亀甲隊形の内部で、エスピラはシニストラを始めとする剣の腕が立つ者を盾を持たせずに前に移動させた。


 敵将らしき者が吼え、タイリーが与えていた鎧を着た者が十名近く突進してくる。吼えて、前四人の槍に破壊を持つ赤のオーラが纏わりついた。


「緑から白!」


 エスピラの朗々とした声とソルプレーサが出した指示を伝える青のオーラによって亀甲隊形の一部が開く。出て行ったのはシニストラら白のオーラ使い。盾を持つ緑のオーラ使いが、有効圏ギリギリにオーラを伸ばした。赤のオーラが緑の光に触れ、弱まる。副次効果で狙った敵兵の足は衰えない。だが、意識はどうしても少しずれた。そこに、破滅的なまでの突撃を得意とする白のオーラ使い達が飛び込む。超至近距離で敵の攻撃をかわし、首を突いた。


 多少の切り傷はすぐに治せる。

 重傷もすぐに治療ができる。

 だからこそ死地に飛び込み、気迫で以って相手を圧倒し、倒す。


 それこそが白のオーラ使いが得意とする剣技。


 治癒が使える者が大人しいはずが無い。自分で傷を治せるのだ。幾らでも突撃できるのだ。荒々しい者達。力自慢。命知らずの豪胆者。


 それが、アレッシア人が白のオーラ使いに抱くイメージ。


 マールバラの策略によって死地で戦うことになった者達には、自ら死地に飛び込むことを幼少期から誰よりも行ってきた者達を。

 恐らく、勇気を与えるための先行部隊かつ他国には貴重なオーラ使いだったのだが、シニストラを始めとする最精鋭のさらに上澄みによってすぐに肉塊に変わった。


 亀甲隊形の前で、彼らはだらりと剣を構える。


 怯えか。迷いか。

 敵の動きが鈍くなった。


 その間にアレッシア式重装騎兵も場に揃い始める。他の歩兵部隊が距離を縮める。

 亀甲隊形を作り、ゆっくりと。

 時間稼ぎならできているぞと相手に伝えつつ。


 この場にマールバラが居たら?

 恐らく、現状を良しとしなかっただろう。


 グラウ・グラムが居たら?

 恐らく、エスピラへの突撃を徹底させただろう。


 他の高官が、マールバラに文句を垂れるだけの度胸がある者達が生きていたら?

 恐らく、包囲が縮まるのを良しとせず、どこかで攻撃に打って出ただろう。


 一つだけ言うとしたら、今の司令官の判断も間違いではない。


 ハフモニにとっての主戦場ではマールバラが有利。スピリッテが囲まれている。

 その中で数百の兵で一万一千のアレッシア軍主力を拘束できているのだ。普通に考えれば大戦果。褒められる行動。最高の結果で、死してなお英雄に列せられる行いだ。


 しかし。


「味方が減り続け、各地で負けている現状では別動隊を任せられるような者達は醜くても逃げるのが正解だ」


 溢し、エスピラは全軍に亀甲隊形を作らせた。

 加わらないのは各列の腕自慢計五十名。それと騎兵。軽装歩兵。


 軽装歩兵が投げ槍や投石で以って敵を削り、敵の反撃は騎兵の連携で防ぐ。

 燃え盛る炎の周りで、ゆっくりと。相手を休ませずに攻撃を続ける。一万一千が慌てることは無い。ただ落ち着いて。着実に僅か四百を狩り尽くす。


 振り払ってやってきても、赤のオーラや黒のオーラ無しに亀甲隊形を崩すのは難しい。

 力押しをしても、周りから投げ槍や投石が味方アレッシア兵に当たっても大丈夫と飛んでくる。


 彼らは良く粘った。


 戦いが終わることには、陣に放たれていた火が小さくなり、アレッシア兵が簡単に消せる程度になっていたのだから。


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