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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十二章
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此処が分かれ道

「此処が分かれ道だ!」


 予想済みの奇襲に対し、エスピラは反撃を命じるとともに多くの者には常通りの出陣の儀式を執り行った。

 即ち、聖なる鶏と吉兆の説明。それから、演説。



「マールバラも今日が特別な日だと知っている。タイリー様が亡くなった日、即ち、本格的にハフモニとの戦争が始まった日であり、昨年からはその戦いの過程で失った第一次ハフモニ戦争の勝利の象徴であるカルド島を恒久的に手に入れるきっかけを得た日である。


 互いにこの日は祝日であり忌むべき日だ。

 だからこそ、今日でどっちにとって祝うべき日なのかが決まる。


 確かにマールバラは怪物だ。雷神の化身でもあろう。

 だが、春先を思い出せ。神罰はどちらに降った? 雷神は、アレッシアの神々が下された罰から奴らを守ったか?


 守ってなどいない。雷神は、ハフモニの神はかの軍団を見捨てた。


 言い換えよう。確かに、マールバラは加護を受けているかも知れない。だから長らく顔が分からなかった。

 だが、今はヴィンドのおかげで顔が割れている。

 ネーレのおかげでその加護が弱まったこと、そしてハフモニの軍団に及んでいないことが明らかになっている。


 恐れるな。


 神が何だ。化身が何だ。怪物がどうした。

 我らには、偉大なる我らの父祖と、共に戦いそして散っていった仲間がついている。何よりもアレッシアの神々の加護がある。


 ついてこい。そして、命を懸けろ。


 此処が命の張りどころだ。

 堂々と、胸を張って父祖に会いに行こうではないか。

 報告しようではないか。

 我らの勝利を。これからを。輝きに満ちた未来を。


 そのための戦いを始めようじゃないか!」



 息を吸い、エスピラは右手を顔の高さに挙げた。

 軍団の集中が一段と高まる。


「アレッシアに、栄光を!」

「祖国に、永遠の繁栄を!」


 大合唱の後、ざ、と一糸乱れぬ動きで軍団が持ち場に散っていった。


「さて。スピリッテ」


 エスピラは、連れてきていた神官からくじを受け取ると、差し出しはしないがスピリッテに見える場所に抱える。


「敵襲撃兵が散り散りに入って行った山か、正面か。どちらを行く?」

「普通は、命令されるものでは?」


「今生の別れになるかも知れないからね。最終的には自分の道は自分で選ぶと良い」

「それは叔父上にも言えることでしょう」


「安心してくれ。先程の言葉とは矛盾しているが、私には神々の加護がついている。いや、それが無くともエリポス以来の皆が居る。何も心配することは無い。仮に死んだとして、亡き後の家のこともね」

「叔母上が荒れるでしょう」


 ふう、とため息を吐いてスピリッテが「正面を行かせていただきます」と言った。手はくじに伸びている。す、とスピリッテがくじを引いた。


 書かれていたのは、正面の字。


「神も、そう仰せになっている」


 スピリッテがくじを見て、大事に折りたたみ、懐から布を取りだした。

 数秒布の中身を見つめてから、スピリッテがそこにくじを加える。


「ウェラテヌスと、セルクラウスに沈まぬ太陽を」


 そう言って、スピリッテがエスピラに背を向けた。

 サジリッオ、カンクロのアルグレヒト兄弟もエスピラに頭を下げ、離れていく。


「ピエトロ様の部隊は金属の盾に持ち替えてくれ。他にも幾つかの物資を持って行く。それと、他の部隊も鉄の盾を用意しておくように」


 は、と言って伝令が走り去っていく。


「ウルバーニ様は」

「今回は決戦の日時を伝えていたよ。いかなる理由があろうと、遅れた者を待つ必要は無い」


 と言っても、遅れた理由によっては大きな処罰を加えるつもりは無いのである。

 だが、遅参は罪だ。


(マシディリからは遠ざけておくか)


 もちろん、マシディリが望めばその限りでは無いが。


 思考を切り替え、始まっている戦場へと意識を戻す。


「第二列、進軍開始」


 そうして命令を溢すと、オーラとして全軍に伝わって行った。


 山。

 冬の山。


 風が枝を揺らし、敵兵が居ると言うことが報告されており、されどどこにいるか分からない。

 春先の山とは違い、終わりも思わせるような風と堅い草木の生えた場所。

 がさりがさりと音は鳴るし、薄暗い空も不安を掻き立てる空と言われればその通りだろう。

 敵は少しだけざわめきを残し、消えかけながら集団がいた痕跡を残していたのだ。


 ただ、今回は偵察にまとめ役の一人であるリャトリーチが自ら出向いている。

 ソルプレーサが傍にいる。

 斥候も帰ってきている。


 エスピラは、左手の中指と薬指を親指で触れた。

 革手袋の厚みの中でも、確かにエスピラの指には大きい二つの指輪が感じ取れる。

 ヴィンドと、ネーレの。二度と使われることのない。エスピラが愛していた二人の仲間。


「エスピラ様」


 シニストラが、神妙な声をかけてきた。


「私が死んだら、私の左手を切り取りマシディリに渡してくれ」

「骨を断ち切るのには、力が必要です。蘇るのならお早めにお願いいたします」


 はは、とエスピラは笑った。


「前回も、中々目覚めるのは早かったと思うけどな」

「随分とゆっくり寝られておりました。まるでカルド島での夏休みの時のように」


 軽口に返そうとした瞬間に、白のオーラがエスピラの視界の右端から上がった。

 敵襲来の合図である。


「行軍停止」


 命じれば、規定回数のオーラが上がる。

 入違うように前方からも敵の襲来を告げるオーラが上がった。


「現場の高官に任せる。生きて返すな」


 実際に深追いしろ、と言う意味では無い。

 エスピラ自身は軍団の中央に鎮座するので、遠慮なく戦え、と言う意味である。


 山に入る以上、軍団は細長くなる。

 一万一千を連れてきているが、戦闘に参加できる人数で言えば襲撃してくるハフモニ軍に対して僅かに優勢を取れるだけだろう。


 だが、此処は半島。

 外征に於いても最初こそエリポスの地図を貰っていたが、後々地図作成を出来るまでになったエリポス方面軍である。


 どこから奇襲が来やすいのか。

 どこなら人数の有利を活かして戦いやすいのか。

 逆に、どこに行ってはいけないのか。


 一人が全てを覚えているわけでは無いが、軍団で分担させることで理解させている。現場レベルで徹底している。


 対して、ハフモニの部隊の中でそう言うことに適していた、あるいは従事していた者は粗方始末した。春先に。エスピラがアレッシアに居る間に。そして、メタルポリネイオに攻撃を仕掛けている間に。

 そのための時間だったのだから。


 確かにハフモニ軍は精鋭だろう。

 だが、半島に来て十年。最精鋭部隊の高齢化は止められない。


 山に潜んで地理も把握しているだろう。

 だが、エスピラは戦闘前の兵のコンディションにも気を配っている。もちろん、マールバラも配っていただろう。冬の川を渡らせたタイリーの軍団を万全のコンディションで迎え撃って打ち破っているのだから。しかし、今は違う。警戒された結果、同じ手が使えなくなり、そしてコンディションに差が出た。


 平均年齢三十前半の七年戦い続けた精兵と、平均年齢が四十中盤の十年間異国の地で何度も食うわ食わずやを繰り返している兵。十分な睡眠を取れた働き盛りと、劣悪な環境に居た十歳以上年上の者達。


 時の流れは残酷だ。

 迎え撃つ側と奇襲する側が逆ならばまだ違った結果の可能性も高かったが、あるいは多寡が異なればアレッシアの隊列が食い破られていたかも知れないが。


「進め」


 敵の撤退と、死体から剥ぎ取った鼻がエスピラの下に届けられると、エスピラは行軍の再開を命じた。

 褒美として、戦った部隊に綺麗な水の入った山羊の膀胱を送ることも忘れない。


 慎重に進み、敵の襲撃が来るとすぐさま腰を据えて迎え撃つ。決して慌てない。相手が精鋭であろうとも多勢に無勢。何より、第一軍団は隊列の入れ替えはお手の物だ。最も怖い退却中の味方が前進中の味方と激突して隊列が乱れることが無い。


 スムーズに入れ替わり、疲労を減らし、元気な状態で疲れた敵とぶつかる。

 敵は疲れないために退く。追い打ちはマールバラの軍団に力が追い付いてきた投石兵。

 深追いはせず、追い返せばまた進む。


 そうして進んでいけば、山は少し開け、下の戦場が見える場所にたどり着いた。


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