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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十二章
463/1594

手は尽くした。さあ、死んでくれ

 ファリチェが目を左下に動かした。瞳は細かく動いている。


「マールバラは、エスピラ様を挑発することに固執している。と言うことは、これも挑発の一つである、と言うことですか?」


 今年だけで言っても、

 ・ネーレの死体を辱めたこと。

 ・第一列の捕虜を辱めたこと。

 ・口汚く罵ってきたこと。

 ・わざわざ泥人形や木の人形を作り、ウェラテヌスの父祖を罵ったこと。

 ・目の前で丸腰の民を殺したこと。

 ・民を蹂躙し、凌辱したこと。


 これらが挙げられる。


 同時に、最初にエスピラが一番激怒することをしてしまった所為であらゆる挑発の効果が薄くなっていることも、流石に気が付いているだろう。

 だからこそ、新たな挑発手段として思い入れが深いであろうタイリー様に関するモノを使おうとした。


 そんなところだろうか。



 鎧もそうですが、とルカッチャーノが顔を動かす。


「スピリッテ様はタイリー様に連なるセルクラウスとしての正統後継者。そして、家に招待するほど仲が良く、エスピラ様の子が懐いている。エスピラ様の子供好きは有名ですから。スピリッテ様を殺すこと、死体を辱めること。それこそがネーレ様の死体を凌辱したモノ以上の挑発となると考えていてもおかしくはありません」


 ルカッチャーノが淡々と言い切った。

 視線は、わざとスピリッテを見ないようにしているとエスピラには思える動きである。


 そんなルカッチャーノから視線を外し、エスピラは表情をやや冷たくした。


「アイネイエウスの話を北方諸部族の連中にしてやろうか。マールバラと同じく、私の命だけに狙いを定めた攻撃を行った者。しかし、その方法はマールバラと異なり、非常に北方諸部族好みの、一種の男らしさのあるやり方。そんな者がハフモニに居た、と」


「逆効果にはなりませんか?」


 ルカッチャーノがすぐに言ってくる。


「なったところで大差無いさ。それに、私がアイネイエウスを尊敬しているのは本当だ。マールバラは敵視しているが、アイネイエウスには今でも敬愛を抱いているよ」


 ただし、そんな話は今敵陣にいる者らには通じないだろうな、とエスピラは地図の山中を指し示した。


「敵の作戦の全容が見えるのは十二日だろう。だが、死地は二つ。目の前と、右の山だ」


 そう宣言し、次は自軍の物資状況の把握、傷病報告に移る。

 それらが全て完了すると、一時解散。


 その中で、エスピラはまずはサジリッオ、カンクロのアルグレヒト兄弟を呼び出した。珍しくシニストラを外し、護衛にはアビィティロとピラストロを呼ぶ。

 ピラストロは、ステッラ・フィッサウスの息子だ。今年十六歳。



「スピリッテ様は、死に場所を求めているのを知っているか?」


 奴隷も払った天幕で、エスピラはそう切り出した。


「わお。驚き」

「嘘です。兄がいつも申し訳ありません」


 癖なのか、手で狐を作ったサジリッオを咎めるようにカンクロが素早く、されど優美に頭を下げた。


「スピリッテ様は、この軍団の全員がそうだと言っていたが」


 エスピラはそんなやり取りを気にも留めずに続けた。

 紙一枚分前傾になっていたアビィティロが元に戻り、父譲りの岩のような姿勢を貫いているピラストロは口を堅く結んだまま。


「エスピラ様も知っておられると思いますが、私も兄も利益でスピリッテについているわけではありません。幼い頃からの知り合いであり、兄弟であり、友だからこそ今も一緒に居るのです。その覚悟をお疑いになるのですか?」


 カンクロが、優雅に手を広げ、流流と述べた。

 エスピラは目を閉じ、首を少し傾ける。瞼を開けるのは、非常にゆっくりと。


「『力を見てからアルグレヒトの当主を誰にするかを決めていただきたいので活躍の場を是非ください』。そう言っていたな」


「そうでしたっけ」

「はい。確かにこの愚兄が言いました」


 全然とぼける気配の無いとぼけ方をしたサジリッオの声を、すぐにカンクロが塗りつぶす。


「当主を望むことは即ち生への執着となる」


 言いながら、エスピラは立ち上がった。

 まだ話は続く、とアルグレヒト兄弟の動きを制する。


「シニストラの婚姻が決まった。お相手は、ヴィンドの妹、つまりはアダット様の娘で、即ち現ニベヌレス当主の娘にして次期ニベヌレス当主候補の叔母に当たる。戦功があれば誰でも娶れるわけでは無い」


 エスピラはピラストロを呼び、手に持っていた手紙を青年の手に広げた。


 書いてある内容は言ったことと同じ。手紙の文字はアダットのモノ。


 要するに、アルグレヒトの次期当主だからこそ嫁がせるのだ、と。婚姻にウェラテヌスが噛んでいるのは誰が見ても明らかであり、ウェラテヌスとはエスピラのことである。そのエスピラが、シニストラだからこそ骨を折ったのだ、と。


 断ればアルグレヒトにウェラテヌスの加護は無くなるぞ、と言っているようにも聞こえたかもしれない。


「私には残念ながら男兄弟がいない」


 兄弟の視線が手紙から離れた瞬間に、エスピラは言葉をねじ込んだ。


「故に、家門同士を結び付けるための婚姻は、これ以降はもう私の子供たちでしか行えないかも知れないんだ。その前の、最後の相手にニベヌレスを選んだ。その意図。君達なら分かるだろう?」


 サジリッオが神妙な顔で目を閉じた。

 腰から、ゆっくりと曲がる。


「それでも最後に決めるのはアルグレヒトです。

 ですが、ご安心を。エスピラ様が死んだあと、シニストラが無様に逃げ帰ることがあるでしょうか? 遺体を放置し、軍団を崩すことがあるでしょうか。


 同じことです。


 私はスピリッテを見捨てない。処女神と海神と戦神に誓って、私は、スピリッテが死んだのなら敵が退くまで戦場から離れるつもりはございません。誰の命令であろうとも」


 最後の一文は、エスピラを睨みつけるようにして。

 サジリッオが真剣な顔を向けてきた。


 直後に、なんちゃって、と表情を崩している。


「兄上の『私』は『私達』に変えてください。それから、最後のおふざけは消去で。

 そうすれば、そのまま私の言葉となります」


 弟のカンクロもはっきりと口にした。


「君達の覚悟は良く分かった。年下ではありますが、叔父として感謝いたします」


 最初と最後で雰囲気を変えて言うと、二人を呼んだ本題は終わりを迎えた。



 次に呼んだのはファニーチェ。彼もまた、スピリッテの軍団の軍団長補佐である。


「此処に、四人の花嫁候補がいる」


 アビィティロとピラストロが持っているのは粘土板だ。

 それを机の上に四つ並べる。

 ファニーチェの目は、粘土板の上を滑って行った。


「全員が二十五歳以下で二人以上の子がいるが、この戦争で夫を失っている。ただし肉体は健康的で、まだまだ子は望めるだろう。好きな人を選ぶと良い。彼女らは浅くてもタイリー様の時からセルクラウスの被庇護者であり、百人隊長を輩出している家系だ。文句は無いだろう?」


 いや、むしろファニーチェのベエモット一門は金の無い平民。ファニーチェ自身、ずっと最前線で戦ってきて、それでも生き延びた。自分の戦いの腕一本でスピリッテに見いだされ、軍団長補佐になったような男である。


 粘土板に書かれている家は、全部不釣り合いなほどに格上なのだ。


 ファニーチェも、それが分かっているのか黙ったまま目が白黒と動いていてる。


「簡単な話だよ、ファニーチェ。スピリッテ様もタヴォラド様も私も、君が今後これに見合う活躍を、いや、これすらも安いと思えるほどの活躍をしてくれると信じている。それだけだ」


 彼への火を灯す作業はこれでほぼ終わり。

 同時に、スピリッテのために出来る援助も。これが最後になるかも知れない。



 十番目の月の九日。


 前日も降り続いた雨のあと、マールバラの軍団に動きがあった。

 人が減ったように見えたのだ。実際、裏道を使って主街道に接続しようとしていると言う報告も上がってくる。


 応手。

 罠だとしても、数を減らすのが目的だとしても。エスピラは、主街道の守りのために第二軍団を分割し、下がらせた。


 アレッシア軍は二万に。ハフモニ軍は一万に。

 二倍の兵力差。おそらく、マールバラの射程圏内へ。異母弟アイネイエウスを倒したからこそ、正確に理解したであろうエスピラの力量を考えての勝利圏内。



 十番目の月の十日。


 エスピラは、観天師を呼び、明日の天気が晴れでほぼ間違いないとの確信を得た。

 占いも、本格的に行わせる。


 一方のマールバラは午前中、小雨の降る中でまた陣から兵を出してきた。エスピラが応えずにいると、この日は大して待つことなくさっさと退いた。直後にはすっかり晴れ、ここ最近ではあり得ないほどの温かさが訪れたと言うのに、出てくることは無かったのである。


 同時に、エスピラはグライオに軍団に加えていない自身の被庇護者と千六百を預けて送り出した。行き先はマールバラの背後。そのさらに向こう。戦場にはやってこれない場所へ。



 決戦は十番目の月の十一日。


 エスピラが義父を失った日。マールバラがアレッシアで一番権力のある者を屠った日。

 マールバラが異母弟を失った日。エスピラが、ハフモニで最も警戒する将軍を打ち破った日。


 ぱちり、と薪が爆ぜ。

 その戦闘は、フラシ騎兵による夜襲とも言える早朝攻撃から始まったのであった。


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