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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十二章
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違反か否か

「命令違反はしておりません」


 堂々と、スピリッテがそう言った。


 シニストラはスピリッテを睨んでいる。ヴィエレやイフェメラも居たら睨んでいたのだろうが、此処にいるのは軍団長補佐筆頭以上の者のみ。

 即ち、エスピラ、ソルプレーサ、カリトン、ルカッチャーノ、シニストラ。特例でグライオ。第二軍団は軍団長を未だにヴィンドとしており、ルカッチャーノが軍団長補佐筆頭になっている。



「叔父上のご命令はこちらからマールバラに攻め込まないこと。インツィーア一帯を確保し続けること。秋の収穫物の多くをアレッシアが確保すること。


 まず、先の戦いはマールバラから攻めて来た戦い。トラモント様は味方を救援するために出ただけのことであり、そのトラモント様が攻撃を受けたから救援に向かっただけ。帰還が遅れたのは救出が上手く行かなかったからです。何故上手く行かなかったのかと言えば、トラモント様にお聞きください。あの人が勝手にハフモニ軍に突っ込み続けたのですから。出て行ったのに、友軍を見捨てて帰りました、なんてアレッシア人ならばできないでしょう。


 次にインツィーア一帯の確保ですが、結果的にはマールバラは南方に逃げました。マールバラの影響下にあるのは今や春先に半島東部にあった領土の三分の一以下。しかも、我らとディファ・マルティーマに挟まれる形になっております。まあ、まさしく、先の戦いで『確保した』と言えるのではないでしょうか?


 最後の収穫物もそう。むしろ、叔父上の本意たる『懐柔のために民に与える麦が多い方が良い』と言うのを果たせるようになったと思います。略奪と変わらないと愚かな民が騒ぎ出すのも、マルテレス様が変な苦言を言ってくることも避けたいはずですよね?」



 言っていることだけなら完璧だ。


「確かに、スピリッテ様の言う通りでしょう。スピリッテ様は法務官と言うこともあり、命令違反で裁くのは難しいかと思っております。

 ですが、三千を超える兵の損失、防御陣地の喪失、マールバラにこちらの情報を与えた可能性については、何かありますか?」


 簡易的な机の下に両手を隠し、エスピラはそう尋ねた。

 スピリッテの無機質な目がやってくる。


「法務官としての権限を使い、募兵の準備を行っております。叔父上の許可が出ればすぐにでも行い、失った兵を取り戻すことは可能です。まあ、これからのアレッシアに居場所があるのかと思っている者たちにとって、軍団に兵を供出すると言うことはアレッシア人であると言う保証を得ると言うこと。喜んで集まりましょう」


「死んだ者は戻ってこない」

「失礼、いたしました」


 エスピラの低い言葉に、スピリッテが深く頭を下げた。


 たっぷり三秒。


 それだけ下げて、ようやくゆっくりと顔が上がる。ただし、先よりは下。視線も下がり気味。反省しているようにも見えるが、見えるだけだと空気が言ってきているようだ。


「防御陣地の喪失に関しましては、元より陣取り合戦に勝つためと言う目的でしょう。ならばマールバラが下がった今、重要性は低いかと思います。さほど罪には問えないでしょう。

 最後に情報を与えた可能性に関しましては、申し開きはございません。おっしゃる通り」


 グライオが手を挙げた。

 エスピラは目をグライオにやる。他の者も同じく。


「陣に火が放ちやすいように油を撒き、乾いた草も散っておりました。持ち運べない攻城兵器も解体済みです。確かに漏洩を完全に防ぐことは難しかったと思いますが、スピリッテ様は出来得る限りの手を打っておられました」

「そうか」


 グライオから目を外しながら、言う。

 エスピラの視線は再びスピリッテに。


「私からも、罪の相殺とはいかないでしょうが功績の主張がございます」


 マルテレス様が来なければただの負け戦に? とシニストラがぼやいた。

 グライオが目をつぶる。カリトンは苦笑い。


 エスピラは、視線だけでシニストラに注意した。


 エスピラの目が戻るのを待つような間の後、スピリッテが口を開く。



「シニストラのおっしゃられた通り、マルテレス様が来られなければマールバラはまだこの近くにいた可能性はあったでしょう。ですが、第四軍団との戦いでマールバラも十分に傷ついていたのも事実です。


 この軍団の特徴は、みんな戦場から無様に逃げ出した経験があると言う事。壊滅した軍団から離れ、混沌とした戦場を駆け、やってくる追い狩りや山賊を蹴散らして街に帰り、再びアレッシアの軍団に加わった者です。


 負けるのに慣れた畜生ども。だからこそ隣の者が死んでも心が揺れず、多対一も当然のことで、逃げられないのなら一人でも多く殺そうとする。叔父上は人が最も力を発揮できる場所を用意してくださると聞いておりますが、先の戦いがまさにそうだと思いませんか? あの敗者どもは、負けながら戦うのには慣れているのです。


 叔父上の敵軍の減らし方は動揺と離散を誘うやり方ならば、残った者はマールバラに付き従う者達。虜囚となるなら無理に暴れてでも、味方を道連れにしてでも死のうとする気狂いどもをぶつけ、一人が一人以上を殺すのが最も効率的でしょう。


 さらに言わせていただければ、もうマールバラの兵力は一万前後。


 もう一度先のような戦いをする好機を得られれば、マールバラは本国、あるいは半島南東部に逃げることしかできなくなります」



 最初は口を閉じて、ついには「はは」とエスピラは笑い出してしまった。


 完全に笑っており、なれていない者がいれば心配するような視線をエスピラに送っていたことだろう。


 幸か不幸か、此処にいる面子にはそのような者はいない。

 シニストラですらいつものことかと放置している始末である。


「巧妙に責めつつ、褒めつつ。上手いな。このまま、来年も私の傍に居て欲しいよ」


 誘いをかけるが、スピリッテの常水のような表情は変わらない。


「今の叔父上が臆病者とアレッシア人の中間のような存在ならば応える必要は無く、まごうこと無きアレッシア人ならば、来年には私の命は無いでしょう」


 困ったように、エスピラは眉尻を下げ首を小さく動かした。


「そうか」

「はい」


「そうか」


 閉じた口から息を吐きだすように鼻から吐き出し、エスピラは目を閉じた。


 すぐに目を開けるとともに、大きく息を吸いこんで胸を膨らませる。


「先のスピリッテ様の行動に違法なところは何もなかった。これからもアレッシアのために忠勤を期待している。それから、募兵に関しては好きにすると良い。ただ、兵が足りなくなってきているのマルテレスの軍団も同じこと。そこに、送ってくれ」


「かしこまりました。エスピラ様の海よりも広き心に感謝いたします」


 スピリッテが綺麗に頭を下げ、出て行った。

 解散を宣言すれば、他の者も続々と出て行く。


 最後まで残っていたのは、グライオ。


「気のせいかもしれませんが、スピリッテ様はエスピラ様に気に入られるのを嫌っているのではないでしょうか」


 目を少し上げた。涼しくなってきた大気を感じる。


「どういうことだ?」


 そして、エスピラは発言の記録を取っていた奴隷も外に出した。


「いえ。第四軍団の人に話を聞く機会があったのですが、あの時出されていた命令は、敵を一人殺せば死んでも良い、だったそうです。一万で一万と交換する。損害が互角であれば被害が大きいのはマールバラです」


「正しくアレッシアの戦い方だな」


 物量で押し潰す。

 強敵に対して、アレッシアが最も多く採って来た戦法だ。


 そして、それを防ぐような戦果を挙げ続けてきたのがマールバラである。


「このままではエスピラ様が止めてしまう、と考えたのではないでしょうか。叔父甥の関係であるかどうか以前に、家に招待していたようにも思えましたし、メルア様も見せておりましたから」


 メルアは家宝か何かか、と言いかけて、宝よりも大事だなとエスピラは思い直した。


「優秀な人物だからこそ、厚遇したまでだ」

「それです。スピリッテ様も、アレッシア最強と謳われるこの部隊の実態に行きついたのでしょう」

「ほう」


 面白い。言ってくれ。と、エスピラはグライオに目で問いかけた。

 グライオが頭を下げ、膝も曲げる。


「大隊規模、あるいは業務規模で完全に任せられる者は豊富に居りますが、軍団を任せられる者となると一気に数が減ってしまいます。その中ではスピリッテ様が相当な上位となるでしょう」


「ちなみに、何番目だと思う?」


 それは、とグライオが言い淀んだ。

 エスピラは、此処には君と私しかいない、と言って近づく。シニストラは黙って立ち続けていた。


 グライオの目は、シニストラにはいかない。


「軍団長を任せられる人物、とすればカルド島に居るアルモニア様を除けば三番手でしょう」


 グライオ、カリトンの次か。

 グライオ、ルカッチャーノと来てか。

 それとも、自身を除いてカリトン、ルカッチャーノと来てか。


 そう考えれば、ジュラメントはスピリッテの次に入って来れるような人物だった。


「なるほどね」

「そのような人物であれば、ヴィンド様とネーレ様を失ったエスピラ様に大事にされかねないと思い、強硬策に及んだのかも知れません。家について行ったのも、募兵も、その一環ではないでしょうか」


 メルアに近づこうと思ってきたのか。されど、彼は近づかなかった。

 募兵は、似たようなことをしたロンドヴィーゴが怒りを買ったからだろうか。ただし、正当な理由もスピリッテは用意していた。


「深入りはしないよ。望むのなら、翻意を試みたりはしないさ」


 君達は別だがね、と言って。

 エスピラは、奴隷に作戦会議に使った天幕は自由に出入りして良いと告げると、自身の天幕に戻って行ったのだった。


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