独断専行
「ま、これでフィガロットの口から現当主が誰なのかっていうのが漏れるだろうな。使えるかい?」
フィガロットの足音が完全に聞こえなくなってから、エスピラはジャンパオロに尋ねた。
「ありがとうございます。これで、ナレティクスの被庇護者の一部を取り戻せると思います。いえ。取り戻して見せます。全ては、エスピラ様とグライオ様のおかげです」
「いやあ。グライオは確かにたくさん協力していたけど、私なんかに感謝をしてはルカッチャーノやアダット様、元老院のお歴々、此処まで来てくれたパラティゾ様にも感謝しないといけなくなってしまうよ」
と、冗談交じりにエスピラが言えば、ジャンパオロが大真面目にパラティゾに礼を言った。
シニストラにも頭を下げている。
さらには入って来たソルプレーサの手も取って、礼を言っていた。
そのソルプレーサは困ったように目を動かしている。それから、エスピラの下に視線をやって「恨みますよ」と訴えてきた。
(なんでだよ)
と思いつつも。育った環境的には建国五門の当主は雲の上の存在。エスピラの所為で色々崩れてはいるのだろうが、根っこの意識は変わらないと言う奴だろう。
「百人ほどの小部隊が、こちらに向けて動き始めました」
ジャンパオロの手を止めながら、ソルプレーサが言う。
「そこまで落ちたか」
言いつつも、エスピラは本気では否定していない。此処に軍功著しい敵の軍事命令権保有者がいるのなら、殺そうと試みるのは当然のことだ。
「じゃあ、予定通りに逃げようか」
最後に、パラティゾに「これからも息子と仲良くしてくれると嬉しいな」と親としての顔で伝えて、エスピラはぼろ小屋を離れた。
そのまま山中に入り、陽が暮れる前に隠れ家としている洞に入る。
そこで待っていたのは、第二軍団の高官を務めているリャトリーチだった。
「どうした?」
言いつつ、リャトリーチの叔父であるソルプレーサに目を向けて。
「プラントゥムの報告なら、これからするつもりだ」
ソルプレーサがリャトリーチだけに向けて言った。
リャトリーチは眉を寄せ眉尻を下げる。そんな顔で、譲るように頷いた。
「プラントゥムで何かあったのか?」
オルニー島経由でイフェメラらが入ったのは少し前だったな、と思い出しつつ。
イフェメラが軍事命令権保有者、フィルフィアが軍団長、ジュラメントが副官。ディーリーが軍団長補佐筆頭に居るが、軍団長補佐には元老院からの監視役が入っている。そんな布陣だ。
「良い報告と悪い報告が一つずつ。良い報告はイフェメラがシドン・グラムを打ち破りました」
「悪い報告から聞きたかったな」
冗談めかしつつ、エスピラはイフェメラを褒める言葉も付け加えた。
「悪い報告に繋がりますので」
と、ソルプレーサが返してくる。
エスピラは、笑みを消してソルプレーサを見た。
「イフェメラに破れたシドンですが、そのままトランジェロ山脈を突破。半島を目指して三万の軍団と共に進んでいると報告が入っております」
何も言えず、エスピラは左の口角を上げたまま固まった。
ゆっくりと右手を口元に持って行き、手で左の口角を下げる。
「トランジェロ山脈を突破させないのが第一義。と言うのは、流石に知っているよな」
「ペッレグリーノ様の意思を正しく継いでいるのなら」
「ジュラメントは何をしている」
「プラントゥムにおけるハフモニの中心都市、オス・マリアーノ攻略の準備を進めているそうです」
今じゃない。とは、言わずとも分かっているはずだ。
つまり、止めはせず、止めるつもりは無かったと言う事。
「フィルフィア様は何をされていた?」
「フィルフィア様は従順なフリをしておりますが、クイリッタ様を唆そうとした方でもあります。言い訳を用意しつつ、攻撃できる材料だけは用意しておく。そんな意図があっても不思議ではありません」
エスピラは大きな溜息を吐いて、右手のひらと指で両眼を撫でた。
(来るまでにどれだけかかるか)
山の冬は早い。
来訪者を拒む部族もいると考えるのが普通。
なら、来年になるか。
それ以前に、オス・マリアーノの攻略にも時間がかかるはずだ。あまり攻城兵器を持って行っていないこと、ペッレグリーノ様は行っていたがイフェメラは調略を行っていないことを考えると、一月で終われば早い方。なら、シドンが取って返す可能性もそれなりにある。
「マールバラは、インツィーアに残ろうとするか」
ただ、攻城兵器が無いマールバラはシドンと合流するためにも、少しでも近くに拠点を持っておきたいと思うと見ておくべきか。
「そのマールバラに関して、報告がございます」
慌てたようにリャトリーチが言い、エスピラの前に膝を曲げた状態で近づいてきた。
そのまま、何かを包んである布を差し出してくる。布は薄汚れているが絹製の特上の物。となると、主はスピリッテか。
エスピラは布を受け取り、広げる。入っていたのは指輪。あまり見慣れない模様。
「トラモント・タンデウス様の指輪です」
エスピラの左目が細くなった。
トラモントは第四軍団の軍団長補佐だ。
「何があった」
「第一軍団と第二軍団は無傷です」
リャトリーチが少し答えとは違うことを言う。
が、ある意味エスピラが最も知りたかったことではある。この辺りは流石と言うべきだろう。
「エスピラ様は何があったかを聞いているんだ」
ソルプレーサが小声でリャトリーチに言った。
少し厳しめの口調だが、怒ってはいないだろう。
「エスピラ様がアグリコーラに出発してから、マールバラが各防御陣地に威力偵察を仕掛けてきました。その内の一つ、私が担当する防御陣地の前に陣を張り、攻撃を開始したのですが、勢いはなく、陥落はしないようなもの。恐らく、他の部隊をおびき寄せるためのモノだと皆が分かっていたのでしょう。目の前でたくさんのモノを焼き、煙を立てておりましたが第一軍団と第二軍団の者は動きませんでした。
ですが、トラモント様が出撃されたのです。
第二軍団と第四軍団の防御陣地は離れており、マールバラが取って返しても陣地に帰れるから。そう誰もが思っていたでしょう。ですが、マールバラは一気にトラモント様の守る防御陣地に向かって行きました。後ろを襲おうにも伏兵の心配があるのと、鎮火に追われて遅れてしまいました」
申し訳ありません、と言うリャトリーチに「構わないよ」とエスピラはやさしく告げた。
リャトリーチがもう一度頭を下げ、それから続きを話し始める。
「普通は防御陣地に引くことを考えるでしょう。ですが、トラモント様はその場に簡易的な防御陣地を構築するとプラントゥム騎兵と軽装歩兵を迎え撃ったそうです。しかし、防御陣地は不完全であり、エスピラ様の構築されたモノに比べると防御能力に劣ります。結果、簡単に包囲され、他の軍団を釣る餌となってしまいました。
そこで打って出たのがスピリッテ様が率いる第四軍団全軍。一気に迫ると、マールバラが素早く軍を引きました。普通ならばこれで解囲されたはずなのですが、トラモント様は退いて行くマールバラの軍団に突撃を敢行し、未だに囲われたまま。スピリッテ様はその状態で敵両翼に兵力を集中させたそうです。
内のトラモント様と、外の第四軍団で挟み撃ちにする。
しかし、マールバラは巧みに内側の軍団を引かせ、守らせつつさらに第四軍団を包囲しました。その状態でのスピリッテ様の決断は突撃。多対一を作られながらも攻撃を加え続け、大勢を受け持っていたトラモント様の軍団が壊滅するまで攻撃していたそうです。
そして、トラモント様の軍団が壊滅した瞬間に第四軍団も退却を始めました。
鎧を脱ぎ捨てたり、剣を放置したり、盾も捨て。
そうして算を乱したように退却しつつも高価な武具につられ、さらなる金品を求めた北方諸部族の者を奥深くまで引き込んで殺し、退却したそうです。
ですが、トラモント様を始めとする千二百人は全滅。軍団としても三千人以上を失う大損害を受けました。それどころか防御陣地も失い、一時的にマールバラが入る始末」
「一時的に?」
「はい。グライオ様が足の速い者を先行させ、防御陣地を燃やしました。川の近くのモノは川の流れを無理矢理変え、水で押し流し慌てたところを第二軍団で攻め落としております。
結果的に防御線は破壊されましたが、マールバラも防御の堅い所でマルテレス様を迎え撃つことができず、さらに南方へと逃走いたしました。
この一連の戦いで、マールバラの軍団は最早一万程度までに減少しております」
「そうか」
それだけを聞けば、大戦果だろう。
だが、良くやったとは言えず。
「私が帰還し次第出頭するようにスピリッテ様に伝えてくれ」
エスピラは、重い息を噛み潰しながらそう命じたのだった。




