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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十二章
453/1592

ジャンパオロ・ナレティクス

 オプティマ・ヘルニウス敗北。

 いや、大失態。


 その報が届いたのは、兵に与えた夏休み、もといディファ・マルティーマに居られる期間があと二日で終わりを迎える日であった。


「えっと、何だ。つまりシドンの降伏しますが他の部族を説得させてきますので身柄は解放してくださいって言葉を真に受けた、と言う話かい?」


 んな阿保な、と思いつつも、オプティマの人柄を思い浮かべればエスピラは納得してしまいそうにもなる。


「エスピラ様の所為かと」


 報告してきたソルプレーサがそんな失礼なことを言ってくる。


「酷いなあ」


「エクレイディシアにてアイネイエウスと芸術品保護のための取引を行ったこと。恥辱を与えてきた者たちに恩赦を与え解き放ったこと。裏切り者のメタルポリネイオを寛大な処置で終わらせたこと。

 エスピラ様は刃向かえないように剣を折るか、あるいは軍事とは関係の無い話を相手としただけだとは私達ならば分かっております。ですが、少し遠くで見ている者はそれが理解できるでしょうか」


「また、根回しか」


 面倒くさいなあ、とエスピラは呟いた。

 ソルプレーサがすぐに近くにいた奴隷に箝口令を敷いている。


「元老院は更迭の方針で固まったそうです」

「それは私の失態だな。必ずや、オプティマ様に挽回の機会を与えないといけないね」


 マルテレスの意見だけではなく、エスピラの推薦もあったから素早く更迭されてしまったのなら。


「イフェメラ……いや、ジュラメントはどうしている?」


「ラシェロ・トリアヌスの死の隙間を使ってピュローゼ・トリアヌスに取り入ったそうです。その後、エスピラ様と関係を持とうとした女性、とイフェメラ様に紹介し、ピュローゼ様はイフェメラ様の愛人となっております」


 ピュローゼ・トリアヌスはシジェロ・トリアヌスの娘だ。

 ジュラメントの言葉に嘘はなく、エスピラが二十の時にルキウス・セルクラウスを執政官にと言う訴えを行っていた晩餐会でエスピラにクロッカスを渡してきている。


「なるほど」


 唇を摘まみつつ、エスピラは続けた。


「愛人を政治ありきで選ぶとろくな結末にはならない、とは良く言われているな」

「外征時に愛人を作り、言語や文化、内部の様子を学ぶのは賢い手段だとされておりますが」

「今回は内だ」


 言いつつも、まあ、と思った。


「タヴォラド様と、元老院に手紙を書いておこう。ヌンツィオ様にも送っておくか。それから、ペッレグリーノ様を殺した相手を簡単に許して騙されたから軍団が不安定になったのであって、それをなだめるのに最適なのは息子であるイフェメラだとでも言っておこう」


 オプティマならば元老院が言うほど兵に動揺を走らせていないだろうと言う確信に似たモノは存在するが。


「かしこまりました」


 ソルプレーサの返事に隠れるように、足音が近づいてくる。その足音は躊躇内も無く執務室に入って来た。


「叔父上。マールバラが補給に成功したらしい」


 報告してきたスピリッテの後ろ、扉の外には護衛らしいサジリッオが見えた。

 弟のカンクロらしき人影もちらちらと見える。


「どうやって?」


「メガロバシラス式の船を作った後、近くの橋を全て落し通行料と称して奪い取る、あるいは見返りを貰う。川を使って多くを輸送する。そうして整えたらしい。献上品を活かすためにも、早く動いた方が良いと言わせてもらいたいところだが」


(木を伐りだし、夏の間も動いていたのも知っていたが)


「これまでのマールバラとはまた違いますね」


 執務室で一緒に仕事をしていたグライオが会話に入って来た。


「先の河川工事や今回の船を作り、橋を落とす策。どちらかと言うと、アレッシア兵が得意とする行動です。ともすれば、フィガロット様が近くにいる可能性もございます。アグリコーラには未だに万を超えるハフモニ側の軍勢がおりますので、状況次第では各個撃破されるのはこちらになるかも知れません」


 グライオが続けた言葉はスピリッテの夏休み切り上げを否定する言葉でもある。


「とりあえず、フィルフィア様がアレッシアに帰る道を変えよう。アグリコーラの近くを通ってもらう。ついでに、アグリコーラ攻略部隊の尻を叩こう」


 んー、とエスピラはわざと悩んでいるような声を出した。

 ソルプレーサが少し冷たい目を向けてきて、そのソルプレーサにシニストラが冷たい目を向ける。


「兵たちの夏休みは削りたくはないな。私が兵に与えた約束でもあるからね」


 でも、とエスピラはスピリッテに目を向けた。


「例えば、一応は私の指揮下に入っているが軍事命令権保有者は別の軍団が先に動き出すのを、私は強制的に止めることはできないよ。今の私は執政官ではなく前執政官だからね。法務官に対して法的な権限のある拒否権は持ち合わせていないんだ」


 かなり強い「お願い」ならばできるが、そのお願いを無視しても罰せられる可能性は低い。


「まあ、そうなりますよね」


 なんて生意気に言うものの、スピリッテは丁寧にお辞儀をしてから部屋を出て行った。


 スピリッテたちが去るのを待ってから、エスピラは「ジャンパオロを呼んできてくれ」と奴隷に頼む。奴隷が去って行く。


「さて、グライオ」

「はい」


「基本はジャンパオロに任せるつもりだが、ジャンパオロは第一列の指揮もしてもらう。両面でのフォローを頼んでも良いか?」

「お任せください」


 グライオが頭を下げた。


 今回はフォロー名目のグライオが実質的な主導者ではなく、本当にジャンパオロが主導。グライオは手助け。

 その意図は、しっかりと汲み取ってくれたらしい。


 翌日には別の成果、奴隷とは言え北方諸部族が子供を設けたと言うことはマールバラの寵愛を受けている部族だ、と北方諸部族の一つが調子に乗り出したとの報告が入って来た。


 北方諸部族はあくまでもアレッシアから見たから北方諸部族とひとまとめにされているだけ。部族間の争いも普通にあるし、今も全部族がマールバラに全兵力を供出していない、そして兵力の供出が遅れていくのは他の部族のことを信用しきれていないから。

 その不信感を煽り、エリポスに居た親ハフモニ派も逃走させ、カルド島をしっかりと抑えることで本国からの援軍を届かせない。


 そうしてマールバラへの増援を防ぐ壁を夏の間により強固にすると、エスピラもまた二個軍団を引き連れて出陣した。


 向かう先は一直線にマールバラの目の前。多くの土嚢を作り、壁とし、一万でマールバラ一万五千を睨んでいたスピリッテの元。


「さて。本物の工事と言うモノを見せてあげようか」

 と、エスピラがのんびりと言えば、一気に兵が動き出した。


 第一陣は土嚢を持って行く。他の者も持ってきた資材や近くから集める。


 何をしているのか。

 川を埋め立てているのだ。


 相手がメガロバシラスが使うような、川に使える船を作成したのなら、それを使えなくするまで。封鎖が意味なくなるのなら、自分たちに邪魔な川は無くすまで。


 そうして僅か半日で出来た浅瀬に、フラシ騎兵が突撃してきた。

 予期していたかどうか、で言えば予期していた。

 備えが万端かで言えば万端ではない。


 しかし、うろたえる高官はいない。第一軍団の百人隊長も歴戦の猛者。第二軍団の百人隊長もマールバラの猛攻に耐えてきた者達。スピリッテの軍団の百人隊長も全員が戦場から二人以上の部下を引き連れて撤退している。加えて、工事中に攻撃を受けた際の想定も徹底している。


 だからこそ、準備も見えて陣から出てくる様子も見えた攻撃による被害のほとんどは物的なモノだった。


「すぐ退いたか」


 鎧をつけず、エスピラは前に出た。


 兵は休憩しているようではあるが、その実しっかりと隊列に似た組み合わせを維持している。

 対する敵兵は騎兵が既に陣に引いており、日暮れも近い。


(こちらに動揺が見えるのなら一気に攻め込み、対応されたのなら宵闇に紛れて撤退する算段か。あるいは、伏兵か)


 それ以前に敵前渡河となるのなら、浅瀬とは言えこちらの不利は明白。

 攻め込む利点は薄いが、攻めぬことによって生じる不都合も無視はできない。


(さて)


 それでも、と踏ん切りがつかずにいるとスピリッテが近づいてくるのが見えた。


「エスピラ様」


 しかし、そのスピリッテを追い抜いたのはジャンパオロ・ナレティクス。歩兵第一列の高官の一人。


「私たちはアレッシアのために戦っております。だからこそディラドグマを乗り越えられましたし、だからこそエスピラ様から格別の計らいを賜っております。


 ですが、温存されたいわけではございません。


 我らにも怒りはあります。数多の仲間を、共に戦ってきた友を目の前で殺された恨みがございます。祖国を荒らされた憤怒は死してなお墓をこじ開けましょう。


 突撃を。

 攻撃の下知を。


 私たちは浅瀬を作りに来たのではございません。

 敵へ攻撃するための道を作っただけなのです」


 ふ、とエスピラは笑ってジャンパオロを見た。


「私が、腰抜けに見えたか?」

「畏れながら。我らにはエスピラ様の目を覚ますためなら自分の刃を首に突き立てることも辞さない者達ばかりですので」


 ふふ、とエスピラは心から、感情と完全に一致させた不敵な笑みを浮かべた。

 剣を手にかけ、抜く。


「私の最も尊敬する勇者たちに告ぐ。

 その武威、今一度天下に示してくれ」


「ウェラテヌスと、ナレティクスの名に懸けて」


 清郎とした声でジャンパオロが言うと、振り向きざまに剣を抜いた。

 ジャンパオロ自身が突撃を命じるオーラを天に放つ。


「誇りを胸に、怒りを剣に。さあ、続け!」


 そして、駆けだしながら瞬く間に列を整えると、歩兵第一列が一気に川を渡り始めた。


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