消費されるような死では無く、生産するための死を
「献上品です」
そう言って、口が悪いが部下には慕われている法務官、スピリッテ・セルクラウスがエスピラにパピルス紙を渡してきた。
外は暗く、子供たちは寝ている時間。いや、奴隷もほとんどが寝ている。ディファ・マルティーマの民も寝ている。
そんな時間に、まだ松明の明かりが灯る第二書斎にわざわざきっちりとした服装のままでスピリッテが来たのだ。
「助かるよ」
中身を見ずに、まずは感謝を告げ。
それから、エスピラは文字に目を落とした。書いてあるのは、名前。つまりは名簿。
「腹をすかせた負け犬五百二十四匹です。死ぬ勇気はありませんが、下水清掃や道路工事には使えるでしょう」
見覚えのある名前は、ほとんど無かった。
「寝返るのか?」
だが、スピリッテの言い方からマールバラの軍団に居る元奴隷か半島の民だろうとは想像がつく。
「こちらが迎えに行けば。戦場では寝返り、陣に居れば食糧に火を着けると。まあ、そこまでする勇気はないでしょうから。ただの裏切りと思ってくれれば大丈夫です。ついでに、マールバラの食糧事情も聞けましたから。どうやら、水と野草で嵩増しした大麦も頻繁に出ているそうですよ」
大麦は基本的に奴隷に与える食事だ。
「やはり、食糧は無いか」
「こっちにインツィーア地方にいたアレッシア派の住民の多くを逃がさせている時点でおわかりでしょう。まあ、土地に人が居なければ秋の収穫もできないと言うのに、それすら待てないのでは?」
「こっちもグライオの復帰を祝えとか言う酷い理由でエリポスから小麦を買い占めたけどな」
苦笑いを浮かべつつ、エスピラはちらりと乾かしている最中の粘土板に目をやった。
マールバラに住居を追い出された民の名を刻み、トュレムレに臨時の住居を与える。
これ自体はグライオに任せているのだが、名簿まで押し付ければグライオの本格的な復帰が遅れてしまうため、エスピラで引き受け、奴隷やたまに子供たちにも手伝ってもらっているのだ。
「ディファ・マルティーマは一気に六万を超える兵とそれを補助する人員が増えても養い切って見せました。まあ、だから次はもう耐えられないと考えるのは分からないことではありませんが、野戦にて敵軍を粉砕しないといけないのはマールバラも同じことでしょう。
叔父上のエグイ策略で、大規模輸送には大きな川を通らざるを得ないのに橋は壊れておりますから。船も集められない。エリポスなどに用意していた者たちは逃げ出しただけでなく考えも無しにマールバラの軍団に合流して食糧を圧迫している。でも、貴重な兵数になるから見捨てられない。
自分達の方が大規模なことをやっているのに、小規模に実行した叔父上によって自分たちの方が大きな打撃を受けるとは。とんだ皮肉ですね」
「油断はできないけどね」
言いつつ、エスピラはパピルス紙を置いた。
目の前にあるのは「発案者だからな」と言われて置いていかれたほぼ無人のトュレムレの土地の情報。これを分配しなければならないのだが、自身の軍団の者に分け与えるだけでも少し足りないのである。しかも、協力を取り付けたことによって小うるさくなった者たちにも配慮しなければならないのだ。
さらには急ぎで奴隷を入れてある程度耕作を進めつつ、私物化したと言う誹りをかわす手段を準備しなければならない。
しかも、土地の分配は婚姻にも関わってくるのだ。
アレッシアの軍団の兵士は未婚の割合が圧倒的に高い。武勲を挙げ、少しでも良い縁をと望む者が多いし、元老院も既婚者よりも未婚者を兵に選ぶ傾向にあるのだ。
少なくとも庇護者として被庇護者の縁談をまとめないといけないので、余計に考えることが増えている。
「セルクラウスは、被庇護者の婚姻をどうしているんだい?」
流石に、エスピラもこれは関わらせてもらったことが無い。
しかも、歴代のウェラテヌスの当主はエスピラに当主業務を口で教えることなく死んでいるのだ。
「分かりません」
すげない即答。
エスピラは、とりあえず苦笑を作ることにした。
「お爺様は歴史はありますが大して力も無ければ財も無いセルクラウスを一代でアレッシア最大の貴族に押し上げた方。父上はその地盤の分裂を招きましたが、それはお爺様の失策に依る部分が大きく、単体としては大敗北後のアレッシアを反転攻勢に導く基礎を築いた人。片手間になんでもできるのだろうと勝手に思っておりましたから」
「英傑と呼ぶに相応しい方々だからね」
エスピラもスピリッテに同調した。
しかし、今日の夜のような、わずかな涼しさで以ってスピリッテに否定される。
「まあ、多分叔父上と同じように迷われ、一人で考えておられたのではないでしょうか」
「……そうかい」
「叔父上のこと、最初に人間臭くて好きだと申しましたが、良く考えたら私はお爺様や父上のことを良く知らないだけではないかと思いましたので」
「そうかい」
「叔父上は、忙しさの割には子供たちに時間を割いておられます。叔母上に少し振り回されているところもございますし、何よりも子供にもそこまで格好つけずに接しておられました。
クイリッタ様は自分は父や兄に及ばないと言いつつもどこならその二人に勝てるのかを理解しており、リングア様もその話を聞けば自分ならと一歩引きながらも会話に参加できております。アグニッシモ様は叔父上を『権威を借る小物ごっこ』に遠慮なく引き入れようと手紙を書いておりましたし、スペランツァ様は親しい大人は道端に咲く花でも動くことを知っている。
私も、そんな風に育ちたかった」
エスピラは、会話と同時進行で続けていた思考を完全に止めた。
目は未だに手元の資料に向かっているが、注意はスピリッテの方へ。
「自分自身の気づきに関しては遅すぎると言うことは無いよ。心残りがあるのなら、今からでもタヴォラド様と話しては?」
「エスピラ様も後悔が何の役に立たないと理解されていると思いますが、だからと言ってヴィンド様やネーレ様を失わずに済んだ可能性を考えずにいられますか? もう二度とあんな思いをしたくないと言う願いに囚われてはおりませんか?」
エスピラは、顔も上げた。
視線はやや鋭く。抗議の意を威で示す。
スピリッテが父親譲りの氷を思わせる表情でそれを受け流した。
「まあ、囚われているでしょうね。慎重とは勇気を必要とする。犬はさっさと逃げ出し、猫は別の居場所を探す。人間だから耐えられる。それが慎重ですし、前までの叔父上はそうだった。でも今は違う。今の叔父上は臆病だ。慎重では無い。兵を殺すことを恐れている」
「何が分かる」
「少なくとも、そんな奴に指揮されたくはありません。どう有効に兵士を殺すか。敵、味方共にどう殺すか。それを考えるのが軍事命令権保有者の仕事であり、神から賜った使命です。
はっきり言わせてもらいます、叔父上。
私は死にたいと思っている。だが、犬死は嫌だ。自死もしたくない。さっさと死にたいがせめてアレッシアの役に立って死にたい。だから叔父上の下に来た」
虫の声が、僅かな隙間を静かに埋める。
「お爺様は偉大だ。近づくことすらおこがましい。触れることも許されない。私にとってはそんな存在でした。
父上もそうですが、あの人は簡単に切り捨てすぎる。最良の結果のために最速最短を歩む人だ。そして正しい。今ある力の振り分けを、理性的に考えて間違えることが無い。
でも、私はそんな二人の後を継ぎたくなどない。過去と比べられるだけだ。偉大な二人に比べて何と矮小な。何をやっても言葉の最中に『お爺様は』『御父上は』とつく。私を褒める人も貶す人も皆だ。
私はそんな生き方したくはなかった。私は私として生き、私として死にたい。
まあ、そんな考えの者いるってことです。敵にも、味方にも。死ぬために戦場に来ている。何かの役に立つために命を散らし、せめて父祖に顔向けできるように死にたい。
叔父上。私は、背中に傷を負う死に方はしたくない。それは私の第三列も思いを共有しております。彼らは敗残兵だ。辱めは十分に受けた。言われなきことを言われ、勇気ある者も臆病者だとけなされた。
此処しか無いんだ。
しかも、生き延びただけあって面倒くさい。要望が多い。口うるさい。
消費される様な死に方ではなく、確かに役に立つと、我が勇気を御照覧あれと天に叫びながら死を迎えたい。
そんな連中だ。だからこそ、叔父上の下に来た。忠誠心なんか無くとも叔父上に従う。
その叔父上が臆病者では、私は本当にただの間抜けで愚図でセルクラウスの恥さらしだ」
スピリッテがあまり調子を変えず、されど熱く言い切った。
先程の言葉を籠めるように、スピリッテが右手を握る。
「私は、名誉ある死を望んでいる。その死がアレッシアの勝利に繋がることを望んでいる。
何が死者の弔いになるかなんて知らないし、生者が勝手に言うだけだ。ただの押し付け合いに過ぎない。他の者にとっては迷惑だ。もちろん、死人にとっても。
だが、私はセルクラウスを継ぐ前に死にたいと思っているし、その死が祖国のためになることを祈っている。ただそれだけだ。弔い合戦も不要。悲しみも不要。涙なんぞ以ての外。
まあ、そこだけ覚えておいてください。
私の軍団は負け犬だ。どうしようもない奴らだ。
でも、最後の生き方と死に方だけは選びたい。選んだこの道だけは信じたまま眠りたい。
叔父上。勝手に期待を押し付けます。
私たちに、どうか。名誉ある死を」
深々と、スピリッテがお辞儀をした。
たっぷり三秒。音も感じない空間で。炎が揺らめくだけの明かりの下で。
君にも娘がいるはずだ、とエスピラが言えずにいる間にスピリッテが貴族らしい優雅な所作で体を起こす。
「それでは、失礼いたします。あまり根を詰め過ぎないように。
叔母上の我慢に限界が来れば、叔父上を監禁しかねませんよ?」
最後に父親に似た冗談を言って、スピリッテが去って行った。




