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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十二章
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共通の認識

「トリンクイタ様譲りの世渡り術がありますね。伝令として、難しい言葉や厳しい言葉も兵に浸透させるのが上手いですよ。演説は大事な技術であることを考えますと、十分に素質があると言えるでしょうね」

「そのうち軍団長補佐にしたい?」


 普通は軍団長補佐では無く、自分の子が執政官に成れる器かなどを聞いてくるのでは? と思いつつも、エスピラは正直に口を開いた。


「ゆくゆくは、でしょうか。確かに現状では人が足りているとは言い難いですが、二個軍団の編成までなら中々割って入るのは難しいところですよ」


「マシディリちゃんなら?」

「本音を言えば、今すぐにでも」


 正直だねー、とクロッチェが笑った。


「能力を考えての評価ですが、親の贔屓に思われてしまいますのでできませんけどね」


 エスピラもたははと笑い返す。

 書物を置いていたメルアに、脇腹をつねられた。

 流石に、この意味は一つに絞れない。全てかも知れない。


「父上もそんな意図がおありなのかも知れません。叔父上の下でもう一つ成長しろ、と。思えばオプティマ様も叔父上と一緒に行動し、今はプラントゥムの指揮官となっております。形は違えと、ティミドの叔父上も叔父上と共に軍事行動を経験し、叔父上と裁判で深くかかわってから軍事命令権保有者となられました。高官だけではなく、経験の浅かった兵のみで構成されたと言っても過言では無いエリポス方面軍をアレッシア最強の軍団に育て上げてもおります。

 叔父上の真骨頂は、この人を遺す能力なのではないでしょうか」


「不吉なこと言わないで」


 メルアが、一番にスピリッテを睨みつけた。

 空気も冷える。夏の暑さなど感じないほどに。


「失礼いたしました」


 スピリッテがすぐに頭を下げた。


「まあまあ。能力がありすぎる人に対しては嫌味の一つや二つ言いたくなるものだからねー。とは言っても、言って良いことと悪いことはあるけどね。おばちゃん、怒るよ?」


 クロッチェがとりなし、メルアの怒気が収まる。


「叔母上は、十歳若い年齢をおっしゃられても通じますよ」


 クロッチェの「おばちゃん」に対していったのだろうが、一応メルアの機嫌取りも含まれているのだろう。ただし、露骨になれば機嫌を損ねるのを知っているのか、あえて婉曲に。


 さらに付け加えるのなら、メルアはそれでは機嫌が直らない。


「あらやだ。おばちゃん褒めても何も出ないわよ。お茶いる?」


 言いながら、クロッチェがウェラテヌスの家内奴隷を呼び寄せた。


「いただきます」


 スピリッテが頭を下げる。


「だめ」


 しかし、小さな声が奴隷の動きを止めた。

 スペランツァがひょっこりと現れる。


 奴隷の主人は誰かと言えばエスピラだ。スペランツァはエスピラの血を引く子供である。対してクロッチェはエスピラの義姉ではあるが血のつながりはない。ただし、大人。


 その他にもある様々な要因が、奴隷の足を止めたのである。


「何故だめなんだい?」


 エスピラは、しっかりとメルアの腰に手を回しながら戻ってきたスペランツァに顔を向けた。


 スペランツァが表情を変えずにエスピラの下にやってくる。ちょこん、とメルアとは逆側に座った。


「兄さんが伯父上達に討論をしかけてるから。おじ……お兄さんも参加して欲しい。です。権威を借る小物ごっこもやりたいです」


(小物と言う認識だったのか)


 それよりも何よりも、スペランツァも気に入っていたんだな、と。


「討論のテーマは?」

「人間の種類」


 何ともまあ難解な、とエスピラは思った。


「面白そうだね。私も参加してこようかな」

「だめ」


 あまりの即答に、エスピラは少しだけ哀しくなった。


「父上は勝っちゃうから、面白くない」

「え」

「いや。つまらない。勉強にしかならない」


 愛息からの遠慮のない否定が、エスピラの顔を見ずに続けられる。


 眉尻を下げる形で眉を曲げ、エスピラは隣の愛妻の頭に顔を寄せた。少々の汗の匂いと、いつもどおりの落ち着く大好きな匂い。夏の暑さはやわらぐことはないが、気にはならなかった。それどころか、もう一段階愛妻を強く抱きしめる。


「家に居ないからこうなるのよ」


 愛妻も冷たく言ってくるが、暑いのにエスピラから逃げようとはしなかった。


「では、すみません。少々行ってまいります。約束分は働かないといけませんので」


 スピリッテがスペランツァから貰った花を大事そうに布に包みながら言った。


「じゃあ泊まって」

 とスペランツァが言う。


「スペランツァ。困らせるんじゃありません」


 メルアから離れて言う。


「約束いたしました」

「本気で約束するなら、きちんと礼を取らないといけないよ。スピリッテ様はセルクラウスの次期当主有力候補。その方に頼むのに恥じないやり方を出来たかい? 威を借りるに十分な人だと思うよ?」


 少しだけ、ごっこになぞって。


「関係ありません。遊ぶ約束は約束です。スピリッテのお兄さんとかわしました。私の誠意も渡しました。分かってくれない父上は嫌いです」


 あう、と言わずとも言ってしまいそうな衝撃を受けて、エスピラはメルアに少し体重をかけた。メルアは迷惑そうな顔を浮かべつつも、口角が少し緩んでいる。


「良いじゃない。どうせ分宿でしょ? ならうちに来ても良いし、スペランツァちゃんも泊まって良いんだよ」


 クロッチェが笑いながら助け舟を出してくれた。


「それはお兄さんの実力次第です」

「お前は何者だ」


 少し舌足らずな声で一丁前なことを言ったスペランツァの頭を、エスピラはおふざけ半分で掴んだ。


「雇い主です」


 スペランツァがさらに花を取り出し、エスピラの手から脱出した。

 スピリッテとクロッチェのところに花を追加で置いていっている。


「可愛い雇い主だねー」


 朗らかに言って、クロッチェがスペランツァを持ち上げた。


 エスピラとメルアの子供らしくと言うべきか、スペランツァは今年七歳になる子供たちの中でも大きい方では無い。だが、軽々と持ち上げられるような大きさでも無いはずであり、クロッチェの少し日に焼けた腕に見えた筋肉は本物と言うことだろう。


 スペランツァは抵抗せずに持ち上げられており、クロッチェが後ろからスペランツァを抱きかかえた。そのまま歩いて行く。「父上、嫌いじゃないですよ」と、スペランツァが発した後、二人が消えていった。スピリッテも花を回収してから「失礼いたします」と言ってクロッチェに続く。


 エスピラは、少しだけ持ち直した。


「二人っきりになったな」


 言いながら、エスピラは残りの奴隷も下がらせる。

 さっきまで二十人以上いたにもかかわらず、今はエスピラとメルアだけ。


「そう。他の男に見られても良いのなら、私は別に良いけど?」

「そういうつもりで言ったわけじゃ無いんだけどな」


「あら。この手は何かしら」

「癒しを求めている手かな」


 言いながら、ゆっくりと押し倒す。


 だが、エスピラの耳は急いでこの部屋に向かってくる足音を捉えてしまった。

 メルアの目も一度足音の方向へと動く。


 戻ってきたメルアの丸い目が、じ、とエスピラを見つめてきた。瞬きは無い。エスピラは自身の姿がしっかりと妻の瞳越しに確認できた。


「今日、早く帰ってくるために頑張ったんだがな」


「…………そう」


 メルアの手が、エスピラの首に回って来た。


「あー……」


 ごった煮の感情をそのまま吐き出し、エスピラは体を起こした。自然とメルアも起き上がることになる。

 足音は、間もなく部屋に到着するようだ。


 きゅきゅ、と扉の前で止まり、穏やかに扉が開く。


「まだいる?」


 入って来たのは二人の長女ユリアンナ。

 エスピラと目が合うなり、「おかえりなさい!」と大輪の笑顔を見せてくれた。

 それだけで一気に不浄な感情が全て吹き飛ぶ。


 が、その大輪は部屋の中をぐるぐると見渡すために過ぎ去ってしまった。

 静かに入り、ディミテラを呼び寄せてから扉を閉めている。


「お邪魔しましたー」


 そして、そそくさと部屋を横切って中庭に二人して去って行った。

 いや、部屋を出た瞬間にまた戻って来た。


「しばらく人が来ないように頑張るね」


 それだけ言い残し、今度こそ去って行く。


 エスピラもメルアも、しばし無言で愛娘と友達が去って行った方向を見つめていた。


「ねえ」


 先に空気を動かしたのはメルア。

 ただし、いつもより声に力はない。


「流石に、向かおうか」


 言って、エスピラはメルアを抱えて立ち上がった。


 チアーラやアグニッシモは純粋に喜んでくれたし、義兄であるティミドも安堵の息を吐いてくれた。フィルフィアはきっちりと上下関係のある礼をしてくれる。


 しかし、リングアは驚いたような顔をしており、クイリッタは露骨に『熱でもあるのですか』と書かれた表情を向けてきた。ユリアンナはそんな二人に視線を向けて細かく首を横に振っている。自分の所為じゃないと。


 子供たち故、軽口も少々の毒も吐けず。

 エスピラは、とりあえず庭の木陰でメルアを自身の横に固定しておくことにしたのだった。


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