勉学
「マルハイマナも元はメガロバシラスに居た人なのでしょう? なんでマルハイマナはマルハイマナの言葉が主流なの?」
流暢なエリポス語で、エスピラの膝上に居るズィミナソフィア四世がエスピラに聞いてきた。
最初は何度か次期女王を窘めていた教育係も護衛の者も、最早この状況に何も言わない。エスピラは座りやすいように調整してあげたり、左手でズィミナソフィア四世を支えたりするだけである。
「マフソレイオは元々あった王国が土台になっておりますが、マルハイマナはそうではありません。メガロバシラスの大王が諸民族を統合していった結果できた国です」
最後まで答えを言わずにエスピラは言葉を止めた。
この年頃の子供はまだ直観的に物事を考えている場合が多いと言うのはタイリーからの言葉ではあるが
「強力な味方が欲しかった、と言うこと?」
どうやら、ズィミナソフィア四世は本当に神の子がごとく聡いと言うのがエスピラの出した結論である。
(タイリー様に言わせれば『成長が早い』か)
「その通りです。言葉が通じなければ心も遠くになってしまいますが、通じれば意思の疎通が図れますから。ですから、連れて来た者たちだけではなく、現地の者を登用して将軍としたのです。将軍同士の意思疎通にも言葉は必要ですので」
本当だったらマフソレイオも必要ではあるはずなのだが。
そうはならなかったところは、女王の権限が強くなった背景と一致しているのだろうかとも思う。
王が軍と密接に結び付けず、基本的に従軍しない女王と軍への距離と一緒になったことでどちらでも良くなったのだろう。統治者は神の末裔であるべきと言うマフソレイオの国民性も、外から来た現王族にとってはマイナスになった。
『王と女王を神格化』したのだから、この二人の子ではなく女王の子でも大丈夫。跡継ぎをと頼みこむのは王の方。妊娠出産産後で女王が統治できない時期も、元々言葉が通じないのならば最終決定者がいなくてもある程度回る仕組みになってしまっている。他の国と比べて、一部の最終決定と気ままな立案のみで良いことが多いのだ。
だからこその、女王統治。
あくまでも、エスピラの推測ではあるが。
エスピラはマルハイマナの本を読んでいるズィミナソフィア四世に目を落とした。
才能に恵まれた神の子として、この娘はマフソレイオ最高の統治者を期待されるのだろう。
(大変なことだ)
と思ったが、エスピラも結局マシディリと言う名に同じ願いを託している。
「勝手なものだな」
「何が勝手なのですか?」
思わず零れたアレッシア語での呟きを、ズィミナソフィア四世がエリポス語で拾った。
「大人たちの考えが、ですよ」
「母上のことですか?」
「肯定しづらいことを聞いてきますね」
言葉とは裏腹に、エスピラの中からは楽しそうな笑みが出てきた。
「もう十日になりますが、母上は仕事が忙しいなどと言って昼間は碌に会わず、夜はお酒と共にうやむやにしていると聞いております。不誠実過ぎないでしょうか?」
「どこからそんな話を聞いたのですか」
「兄上がおじいさまから聞いているそうです」
ズィミナソフィア四世には兄と弟、妹が居る。
兄と妹は金髪に瑠璃紺の瞳だが、弟は金髪に水浅葱の瞳だ。
一応、王を継ぐのは兄、女王を継ぐのはズィミナソフィア四世の予定になっている以上、現王は尋ねられれば応えるのだろう。彼自身、毎回話し合いの場に居るわけでは無いが、たまに親し気にエスピラと肩を組んでくるあたり人懐こさは変わっていないと見え、国王が答えられる情報を持っていると言うことは納得のいく話ではある。
(時間をかけすぎたな)
誤魔化す意味も含めて、エスピラはズィミナソフィア四世に回した左手で彼女を少しばかり引き寄せた。
「御母上だけの責任ではありませんよ。私も今回の交渉は時間がかかりそうだなと思っておりましたから。だから緩く構え、ひと先ずははぐらかされ続けているのです」
攻略口を探すと同時に仲をより深めるために。
「面倒くさいのですね。母上は、エスピラ様のことを良く気に入っていますのに」
「国と国の関係は個人と個人の関係の延長線上にはありませんから。仲が良くても協力しないこともありますし、その逆もまたあります」
「メガロバシラスとマルハイマナが協力すると言うことも有り得るのですね?」
「マフソレイオとマルハイマナが協力する日も有り得るかも知れません」
出自が同じと言うこともあり、メガロバシラス、マフソレイオ、マルハイマナの三国は互いの王位継承権を主張しているのだ。
もちろん、本音のところは主張が通るとは思っていないだろう。武力を用いるまでと思っているはずだ。
それでも正当性の確保や大義名分と称して代替わりするごとに他国に向けて後継者として名乗りを上げ続けているのである。
「マフソレイオとマルハイマナが協力できれば、母上はエスピラ様を困らせませんか?」
「御母上を困らせているのは私の方ですよ」
子供をあやすように頭をなでて、エスピラはズィミナソフィア四世が持っていた本を持ち上げた。高さ的にはズィミナソフィア四世も読める位置である。
そこからゆっくりと音読して、時折ズィミナソフィア四世に優しく目を向ける。何かを言いたげにしていたズィミナソフィア四世も、エスピラの後に静かに読み始めた。
風土の話。マルハイマナを征服して、領土を広げていく過程の話。
子供が読んでも面白いものでは無いだろうに、ズィミナソフィア四世は文句を一つも言わずに読み続けている。
「あねうえ!」
舌足らずな声と共に、瞳の色の違うズィミナソフィア四世の弟が走ってきた。
こちらはお付きの者がすぐ傍まで来つつも文句を言わない。エスピラの服を引っ張り、登ろうとするのを見ているだけである。
「駄目」
ズィミナソフィア四世が弟を拒絶する。
「やだ。ずるい」
弟も感情のままに姉に噛みついて、エスピラの膝上によじ登ろうと椅子に足をかけた。
落ちそうになった弟の背をエスピラが抑えると、弟が姉に勝ち誇った笑みを浮かべる。もちろん、悪意などほとんどない、認めてくれたよ、的な笑みである。
「違うもん」
そして、姉はエスピラの膝上の中央を陣取った。
弟が入る隙間が無いように足を広げている。
(困ったなあ)
なんて思いながらエスピラが膝上で繰り広げられている幼い領土争いを眺めていると、廊下の兵の衣擦れの音が耳に届いた。
空気も引き締まり、張りつめ始めている。一瞬だけ目を向けると、護衛の者たちも教育係も背筋を伸ばして不動の姿勢を取っていた。
その中で近づいてくる足音と言えば、女王のものに他ならない。
エスピラは周りの様子に気づいた気配の無い子供たちに目を落とした。
姉の方が、弟を大分追いやりつつも落ちたりはしないように気を配っているみたいである。
「随分と打ち解けたようですね」
足音が止まり、女王の声が聞こえた。
真っ先に弟が反応して、先程までのこだわりは何だったのかという勢いで母親の元に駆けていった。女王が優しく息子を受け止める。
娘の方は、やっと落ち着けると虚勢を張らんがばかりにエスピラに深く腰掛けて本を開いていた。
「ええ。幸いなことに」
エスピラは息子を抱きかかえてゆっくりとあやしている女王に丁寧に返した。
女王の目が娘に行く。
「ズィミナソフィア。エスピラに少し話があるのですが、良いですか?」
「はい。構いません」
弟と言い争っていた面影は一切なく。
どちらかと言えば凪いだ湖面のような態度でズィミナソフィア四世がすんなりとエスピラの膝上から降りた。
女王も息子を教育係に預けている。息子は女王に手を伸ばしたが、「良い子にしていてね」と頭をなでるだけ。
「では、行きましょうか」
そして、女王がエスピラに微笑みかけてきた。




