夜半の密会
「では、端的に聞きます。女王陛下はハフモニとアレッシア、どちらが勝つと思っているのですか?」
「アレッシアが勝つ可能性の方が高いでしょう」
エスピラが戸惑うほどの即答である。
もちろん、エスピラは眉一つ動かしはしなかったが。
「何故そのように思われましたか?」
「勝つまで続けるのがアレッシア。違いまして?」
答えは出ているようなものではないか、とエスピラは思った。
リンゴ酒に手を伸ばすと、視線の延長線上に女王の手が見える。視線を誘導するような動きでガラスコップの湖面を除けば、女王の首から下が映っていた。
エスピラはすぐさま視線を外して、自身のリンゴ酒を一口。
「あんまりな態度はアレッシアにも影響が出ますよ?」
女王が圧を潜ませた声で言ってくる。
「私は、個人的な付き合いとしては女王陛下と良い付き合いができていると思っております。それこそ、他の人には無いほどに。同時に、女王は普段は理知的で、感情的に動く時は相手を思っての行動しかとりません。そう信じておりますし、元老院もそう考えているでしょう」
独裁的でありながら重税を課さず、登用は完全にでは無いまでにせよ能力重視。共同統治者たる王を傀儡にはせず、生命も脅かさない。
そして、娘のことを考えているようにも見えた。
娘のことが無くとも、エスピラは女王の懐が深い人だと知っている。
「本当にそうかしら」
女王の右手が伸びてきて、絹のように滑らかな手がエスピラの頬を捉えた。
目の下をなでるように人差し指が動いている。
「私を傍に置いた状態でアレッシアに敵対することの愚かさを女王陛下は良く知っているはずです。それでいながら寝室に私を招き入れる。護衛も奴隷も置かずに二人きりで語り合う。これこそ、貴方が情け深い良き女王である証拠ではありませんか?」
「神官の職務を妻の生誕日に放り出したと聞いたのだけれども」
エスピラの左頬を掴む女王の力が強くなった。
目は鋭く、詰問官のような色がある。瞬きすら無い。
「ハフモニの手先を捕まえる機会が訪れたためですよ。神に誓って、その機会は逃すわけにはいきませんから」
「エスピラの目の前にいるのはその神の末裔よ」
とは雖も、マフソレイオの王族が運命の女神の末裔を名乗っているわけでは無い。
名乗っているのはアレッシアで信奉されているのとはまた別の太陽神の末裔だ。
「例え、女王陛下の推測が当たっていたとしても、私はマフソレイオの力を借りなければアレッシアから逃げることなど不可能だったでしょう」
頬を掴む手が握りつぶすような方向の力から抑える方向に変わったのを感じて、エスピラは言葉を続ける。
「女王陛下の価値は、立場は微塵も悪くなっておりません。炎が増えたからと言って処女神の神殿の炎が消されることがあるでしょうか? 分けることはあっても、代えることがあるでしょうか? 同じことです」
どちらも神に近い存在と見られているのだ。
女王、ズィミナソフィア三世の懸念材料の一つはズィミナソフィア四世に全ての関心が集まること。自身が用無しとなることだろう。
エスピラはそう判断したからこそ言葉を選んで、女王をアレッシアの民全員が頼りにしている処女神の炎に例えた。
効果は十分だったのか、女王の手がゆっくりとエスピラから離れていく。
「アレッシアの望みは分かっております。同盟の継続の確認と、戦時中の食糧、武器の提供。でも軍勢は要らない。そうでしょう?」
「はい」
「では、貴方の望みは何かしら? アレッシアのために、と言うことを除いた望みよ」
エスピラは逡巡したが、嘘を吐くメリットを感じられなかった。
だからこそ、正直に口を開く。
「実績を得ることです。父祖の名に恥じない実績を持ち、ウェラテヌスの力をアレッシアに示すことこそが私の望みです」
「貴方はまだ二十一。何をそこまで焦る必要があるのでしょうか。アレッシアの貴族と雖も、二十代後半から三十代になってようやく政治的にも自らの実績を立てていくものでしょう?」
それまでは武功を立てるか、現場指揮で優れた能力を発揮するぐらいしか目立つ手段は無い。
言い換えれば、文武両道をモットーとするアレッシアは、まずは武で非凡なる才を発揮した者が政治に入り、才を発揮してようやくトップになれる構造である。体が最も動くうちに数多くの戦場を経験して、人と人を学んでから政治を学ぶ。その方が効率が良いと考えていると言うことでもある。
「妹はもう十七歳ですから。普通の状況であればまだ焦る必要はありませんが、ウェラテヌスの男はもはや私一人。相手を探して準備をして家門の長と交渉をする。妹でもできないわけではありませんが、妹では交渉しようとしない人もいるでしょう。ですから、どうしても戦いが始まる前に婚姻関係を結ばねばならないのです」
「それだけ?」
タヴォラドに急かしたのはそこが主な要因ではあるが、もちろん一個の目的のために使節を組むことを急かしはしない。
「ウェラテヌスは今回の使節に入っているマルテレス・オピーマを護民官選挙で応援しております。マフソレイオがアレッシアの朋友であると明言してくれることは使節に入っているマルテレスにとっても大きな実績になるでしょう」
「その方が護民官になったとして、マフソレイオには何か利点があるのでしょうか」
個人的な信頼関係と国は別。
実に為政者らしいと言えば為政者らしい発言である。
「護民官には元老院に法を提言する権限があります。そしてマルテレスは法律関係が不得手。確かに一番の支持者であるアスピデアウスや同意しているタヴォラド・セルクラウスの意見も入ってくるでしょうが、マルテレスがアドバイスを求める者の中には友たる私も居るのは、火を見るよりも明らかかと」
「具体的な法案は?」
「時と状況に応じて」
女王の眉間が中央に寄った。
目つきも演技めいて険しくなっているが、恐らく本心も入っているだろう。
「マフソレイオが望むのなら、他国への依存、他国からの過干渉を防ぐためとしてアレッシアが受け取れる支援に限度を設けることもできます。逆に、方々からの支援を得るためとして、他国から受けた援助への返礼を明文化することだって可能です」
実際に元老院が認めるかどうかは分からないが、そんなことは女王が分からないはずが無い。
エスピラはゆっくりと手を伸ばして、机の上に置いてある女王の手を取った。
手のひらの中は女王からは一切見えないように気を付け、光が漏れることの無いように机の上の光源にやや手を引っ張る。
「護民官に限らないことですが、平時の選挙では莫大な金が流れます。そうまでして自分に近しい意見を持つ権力者が欲しいのです。そして今、マフソレイオは選挙に銀の一欠けも使わずに近しい意見を通すチャンスなのです」
話しながら、エスピラは顔もゆっくりと近づけた。
今度は革手袋に包まれたままの左手で、女王の髪を耳に掛ける。
それとなく、左手が女王から見えないのは確認して、顔を右側に傾けた。
「もう一人の男。アルモニアは再来年の護民官候補。ニベヌレス兄弟の父、メントレー・ニベヌレスは再来年の執政官。ここでアレッシアの用件を呑むことは、マフソレイオがアレッシアの権力を握る者に恩を売り続けられる最大のチャンスだとは思いませんか?」
女王の顔が至近距離でエスピラに向く。
「得られるのは二年。払うのは何年かしら?」
「払った後に得られるのは百年の友情ですよ。アレッシアと、マフソレイオの」
くつくつ、と女王の肩が揺れ、やがて『かたかた』と大きな笑い声が上がった。
エスピラが手を放すと、女王の体は大きく動き出す。
「個人的な関係から、一般市民に恒久の恩義を植え付けるって? 面白いことを提案するのね」
どうも、と首を一度傾けてから、エスピラは席に戻った。
「本当に実現すれば魅力的な提案だわ。でも残念。確証が無い。それに、確実に今得られる利益が無い。口約束には口約束で良いと考えているのかもしれないけれど、目に見えるモノが欲しいわ。アレッシアの信義を示して頂戴」
「信義こそ、モノで示すものでは無いと私は思っております」
はは、と大口を開けて女王が笑う。
それから、一気にリンゴ酒を飲み干した。
「どのみち、一度も王の耳に入れずに話は進められないわ。使節団の長達の話をきちんと聞かずに進めることもね。まずはそれから。待つ間、娘の面倒でも見てくれないかしら。エスピラほど他国の言葉に精通した人もいないでしょう?」
言っていることは正しくはある。
「喜んで」
故に、エスピラは頷いた。
女王が手で蝋燭を隠し、吹き消す。
部屋にはまだ光源はあるが、一番近くの光が消えたことで大分暗くなったように思えた。
「今日はもう遅いから、休みましょうか」
女王の言葉に、エスピラもゆっくりと口を開く。
「そうですね。息子が良く夜泣きするのでぐっすり眠れてないので助かります。そのために夜番の人を雇ったのですから。メルアも寝ていれば良いのに起きてしまうのですよ。二人目もお腹に居ると言うのに、それでは体がもたないのではないかと心配でして」
ああ見えて慈愛の深い人なんですよ、とエスピラは優しい声で惚気てから席を立った。




