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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十二章
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ゆめゆ忘れぬよう

「これは、タヴォラド様だけにお伝えするのですが」


 声量を落とし、わざと周囲を目で探って見せた。

 タヴォラドの眉間に薄く皺が寄る。



「南東のディファ・マルティーマに五万。南西のカルド島に一万弱。北西のプラントゥムにペッレグリーノ様とオプティマ様の一万五千。北にヌンツィオ様の一万。カルド島とエリポスに予備戦力あり。対してアレッシアの戦力は徹底抗戦するか不明な四万。実戦経験に於いても他の方面軍に比べれば圧倒的に劣っている。


 これは脅しです。


 アレッシア市街に入る際には武装できないと言う決まりのみが私たちを縛っておりますが、その気になればいつでも体制をひっくり返せるだけの力が今の私にはあるのです。


 そのこと、ゆめゆめお忘れなきよう」


「ハフモニに勝つよりも?」


「マールバラに勝つよりも容易でしょう。戦後にありとあらゆる妨害が入ると確信が持てるほどに。ただ、それでもマールバラに勝つためにはグライオが必要なのです」


 エスピラが言い切れば、メルアがお茶を持ち上げた。

 自然とフィアバの目がメルアに行く。


「私は異母姉上と約束してないから」


 これも、脅し。


 今はディファ・マルティーマにフィルフィアもティミドもいる。

 その身の安全をエスピラは保証しているが、そのエスピラに約束を破らせることのできる人物こそがメルア・セルクラウス・ウェテリなのだ。


 しかも、フィアバはメルアからしてみれば約束の前提条件に失敗している。


「兄上が姉上と手を取っても良いけど?」


 メルアがタヴォラドを睨んだ。姉上とはプレシーモ・セルクラウス・クエリのことだ。

 無論、手を組むなんてことはできないのは誰もが分かっている。


 折角追放間近のプレシーモが復活するだけでなく、今度はセルクラウスの乗っ取りを始めてくることが容易に想像できるのだ。しかも、タヴォラドは芯のない人物とされ、信用も大きく失ってしまう。


「何が欲しい」


 タヴォラドが仏頂面のままエスピラに聞いてきた。


「セルクラウスの全て」


 悠々とエスピラも返す。


「アレッシアは人質を認めない」


「誰が誰を人質にしたのですか?」


 エスピラは首を傾けた。

 目を盛大に泳がせたフィアバが、下を向く。顔色も悪い。両手は真ん中に寄るようになっていて、机の下では膝がしっかりと引っ付いているのだろう。


「サジェッツァと個人的な信用を持ち、インツィーアの敗戦後から立て直した実績で相談役としての地位を確立する。アレッシア市民に嫌われているからこそ表には出ないと言うことにし、同時に批判するのは頭の無い奴だとサルトゥーラが言うことによって愚か者を黙らせた。


 そうやってアスピデアウスに取り入ったかと思えばフィルフィア様を私の下に派遣し、オプティマ様に大功を挙げる機会を授けて見せる。


 見事に全ての陣営に良い顔をしておりますが、戦場で最も避けねばならないのは中途半端な決断です。そろそろ覚悟をお決めください」


 アスピデアウスに着くか、ウェラテヌスに着くか。


 兄弟の内、三女のクロッチェ夫婦、五男ティミド、四女メルアのいるエスピラか。

 誰もいないサジェッツァか。


 次女フィアバ、四男フィルフィアを持つタヴォラドはどうするのか、と。


「セルクラウスは主催者から参加者に成り下がった、と言う事か」


 タヴォラドの体がやや前傾姿勢になる。

 瞬きは無く、特に大きさの変わらなかった目がエスピラに。


「だが、オピーマの次に政局に大きな影響を与えるのはセルクラウスの決断だ。排除の難しさで言えば、セルクラウスの方が大きな影響力を持っているとも言える。私を味方につけた方が勝つ。そのことを、『ゆめゆめ忘れるなよ』」


 タヴォラドの姿勢が戻った。

 エスピラは口角を上げる。ひょうきんに片眉を上げ、お茶を飲んだ。


「勝つのはアレッシアですよ、タヴォラド様。それに、甥が伯父の後を継ぐと言うのも良くある話です。当然、弟も。ですがね」

「フィルフィアか」


 氷のような声で言い、瞬きもせずタヴォラドが唇だけを動かし続ける。


「そう言えば、無垢な子供に家族の悪口を吹き込んで唆すなどと言う大罪を犯したのもフィルフィアだったな」


 タヴォラドの言葉に真っ先に反応したのはフィアバ。

 勢いよくタヴォラドの方を向いた。髪も凶器となり得る速さで動いている。


「待って」


 そのフィアバのお茶の入った陶器に、別の陶器がぶつかった。

 壊れ、零れる。茶が広がる。ドライフルーツが点々と零れ落ちる。


 フィアバの反応は驚いたようなソレでは無く、陶器が来た方向を素早く確認するモノ。顎は引かれ、右手をやや後ろに。左手は机の上、胸を守れる位置に。背筋も張りすぎず、手もどちらかと言えばゆるく握っているような状態だ。


「私とエスピラの大事な子供たちにちょっかいをかけて、生きている方が不思議だと思わない?」


 陶器を投げた張本人であるメルアがフィアバを睨みつけた。

 最初とは比べ物にならない怒りである。が、フィアバも視線こそ逸らしてはいるものの姿勢をほとんど変えず、真正面から受け止めていた。


「有用な人材は貴重だ」


 そんな姉妹の争いを脇に置いて、タヴォラドが言い放った。

 フィアバの視線がタヴォラドに向こうとするが、メルアの視線がそれを許さない。


「だからこそ、フィルフィアに処罰を下さなかったが、今では庇う不利益の方が大きくなった。それだけだ」


 そして、タヴォラドが来ようとしていた奴隷を下がらせる。

 再び会話がほとんど聞こえないような距離に奴隷が下がった。間には草が広がり、風に少々なびいている。


「そんな」

「後の処罰は君が決めると良い。フィルフィアには、有用性を示せと伝えておこう」


(なるほどね)


 エスピラが処分できないことを知っての発言だ。

 責めているようで、その実フィルフィアを庇っている。


「随分とご兄弟に甘い」

「君が言えたことでないだろう」


「ねえ。エスピラもセルクラウスの正統な後継者足り得ること、忘れてないかしら」


 政治的な跡継ぎとしてはあり得るが、セルクラウスとしてはあり得ないぞ、とエスピラは思いつつ。

 タヴォラドは、メルアの発言を無視したようだ。


「メルアは私にセルクラウスも継いでほしいの?」


 代わりに、エスピラは頬を緩めて愛妻に聞いた。

 きつい視線がその愛妻からやってくる。


「あら。また忙しくなる余地があるなら、もっと子供たちに構ったらどうなの? 貴方が抱いたら、フィリチタも泣いたんだけど?」

「悪かった」


 エスピラは、小さく手を上げた。

 メルアの厳しい視線は続く。


「最高軍事司令官のことは発議しておこう」


 そんな夫婦のやり取りを無視して、タヴォラドが話を続ける。


「だが、これに関しては私も消極的な反対に回らせてもらう。どうせ、トュレムレ奪還戦が本題なのだろう? そっちは通すように動くが、永世元老院議員とアスピデアウスの一部を切り崩しているのなら私が特に何かをする必要は無い。何よりも、ヴィンドとネーレのいない君にならばグライオを返しても良いと多くの者が思うだろう。負けて欲しいわけでは無いからな。

 これで良いか?」


「エスピラは全部くれと言ったのだけど」


 すぐに切り返すのはメルア。


「被庇護者の数が足りないのです。多くを養えるようになったのは最近。養成も間に合っておりません。タイリー様が育てられた方々が欲しいのです。アレッシアの、ために」


 エスピラもメルアに乗っかった。


 アスピデアウスなどに対しては「マールバラに背後を突かれたくないでしょう?」などと付け加えただろうが、これ以上は言わない。


「考えておこう」


 それだけ言うと、タヴォラドが奴隷を呼んだ。

 メルアが壊したモノを片付け、新たなお茶と陶器を準備させるためだろう。奴隷も、それを察知してテキパキと動き始めている。


 同時に、この話題の終わりをウェラテヌス夫妻に、フィルフィアの件にはもう突っ込むなとフィアバに告げる行いだ。


「授業料は高くついたが、私は君が良い経験をしたと思っているよ」


 そんな奴隷の動きを見ながら、タヴォラドがまた口を動かした。


「父上は君にはどうしようもない所で死んだ。インツィーアで散った者もそう。

 だが、今回は君の指揮下で君が大事にしていた有能な者が死んだんだ。それを経験してこそ執政官としての道が開けると言うモノ。まあ、君は異常な速さで出世し、経験してしまったけどね」


 メルアが思いっきりにらみつけるも、タヴォラドの氷のような表情は変わらず。


 以降は、ぎこちない空気をまったく感じ取れていないかのようにタヴォラドが少しずれた話題を提供し続けたのだった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] メルアにしてもカリヨにしても、どういういきさつでこんな戦略眼をモノにしたのか。 女子が強すぎでかたなしですなぁ。
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