遺族
「いえ。むしろ、エスピラ様には感謝しております」
と言ったのは、ネーレの父親だ。ナザイタレの短剣を、愛おしそうに手で包んでいる。
隣にいるうつむき気味の母親も、頷いていた。ネーレの姉は堂々としている。
が、妻や弟がいないのは、そう言うことだろう。小さな部屋に案内されたのは、そう言うことだろう。この少し暗い部屋は、家の中心部から離れているのだから。
「私たちがネーレを送り出せたのは、あくまでも軽装歩兵としてでした。
しかし、そんなネーレをエスピラ様は引き立てて下さり、ついには重装歩兵の装備を揃え、人の面倒を見ることができるまでにしてくださいました」
「ただ偏にネーレ様の人柄と能力故です」
静かに返す。
隣に座っているメルアは、ずっと下を向いていた。
「そうだとしても、我々もエスピラ様には感謝の思いも抱いております。エスピラ様が私費を投じて臨時給金を施してくださったのは有名な話。ネーレはその多くを私たちに送ってくださいまして。本当に、助かっております。ナザイタレは財に縁のない家系でしたが、おかげで、本当に。今の物価にもついていけております」
(感謝の思い『も』、か)
当然のことではあるが。
「臨時給金を出せたのも、ネーレ様を始めとする皆のおかげです」
ぐ、とエスピラはペリースの下で左手を硬く握りしめた。
「本当に、ネーレ様は得難い人材でした。必ずやナザイタレに栄光をもたらす、最高の男だと思います。本当に、申し訳ございません」
頭を、下げる。
慌てたような衣擦れの音が聞こえてきた。
「おやめください」
建国五門が一つ、ウェラテヌスの当主が貧乏家門のナザイタレに頭を下げる。それは、非常にまずい。
そのような感情があったのかも知れない。
「せめて、見送りの際は心行くままのモノをお願いいたします。もし足りないことがあれば私が援助いたしましょう。それが、私が最後にネーレのためにできることですので……」
財で何とかする、と言っているようでエスピラ自身少し嫌な思いもよぎるが。
「ならば、と言うとネーレの意思を無視しているようで少し語弊があるのですが」
と言いながら、薄暗い机の上に父親が広げたのは一枚のパピルス紙。
「ネーレの、遺言です。もしも自分がエスピラ様とアレッシアのために死ねたのなら、葬儀は戦後、エスピラ様に執り行ってほしい、と。だから、まだ私たちもネーレを見送ってやれていないのです。お願いしてもよろしいでしょうか」
エスピラの目が垂れる。
口角もやや垂れながら、エスピラはネーレの父親を見た。
「私などでよろしいのでしょうか」
「息子の望みです」
エスピラの視線が垂れる。行き先はパピルス紙。もう二度と増えることの無い、ネーレの筆跡に。もう二度と聞くことのできない声と見ることのできない顔を幻視して。
「かしこまりました。必ずや、盛大なモノを」
「ありがとうございます」
頭を下げる両親と姉にしずしずと答え。
エスピラは、外に出た。
まぶしいばかりの太陽がエスピラの顔をさらに下げる。
足は重く、それでも気丈に振舞う老夫婦のためにも早く帰ってあげなければとの思いが強くなった。
「こら!」
そんなか飛び込んできたその声は、次の瞬間にはエスピラの目の前に来た男の子に対してのモノだなとぼんやりと理解できた。
声の方をちらりと見れば、ネーレの妻が小さく頭を下げている。
(息子、か)
どうしようか、と思いつつ、表情は定まらない。
そんな中、男の子の視線がまっすぐにエスピラにやって来た。
「父上は、アレッシアのお役に立てましたか?」
そして迷いなく男の子が言う。
エスピラの目が大きくなった。
一秒開いて、ゆっくりと戻っていく。
「ああ」
熱くなる目を堪え、潤むのも何とか抑えつつ、エスピラは口を動かした。
「すごく。すごく、立派な勇者だったよ。素晴らしいアレッシアの男だ」
男の子が笑う。
「それなら良かったです。父上は、私の誇りですから」
くしゃっと、良き顔で。
十歳くらいだろう。そう思わせる元気な笑顔で。十二歳の男の子が。
エスピラが言葉を返す前に、その男の子が姿勢を整えた。
「私も父のようになりたいと思っております。いつか、エスピラ様と共にアレッシアのために働きたいと思っておりました。でも、今のエスピラ様の下では働きたくありません。
父の死が立派であったのなら、何故エスピラ様は胸を張っておられないのですか。
そんな腑抜けのために父が死んだとは思いたくありません。
エスピラ様が腰抜けでないことはアレッシア人なら皆知っております。ならば、父の死がそうしたのでしょうか。それなら、私は父を誇りに思えなくなってしまいます。
ナザイタレも誇りある一門です。誇りある生き方、死に方ならば誰が責めましょうか。仮にナザイタレがエスピラ様を責めているように感じるのなら、それこそエスピラ様の願望と言うものです。
父を愚弄しないでください!」
強い言葉を吐かれて。
エスピラの口が、歪に固まった。
母親が慌てて謝っているのが視界の隅で動いているが、言葉は頭に入ってこない。
「子供に言われて情けない」
メルアが冷たく言い放ってきた。
エスピラは、ふふと。力無く。しかし、良い方でも力まずに笑った。
(ネーレの子か)
素晴らしき息子だよ、と。
「すまなかった、立派なアレッシアの男よ」
言って、しゃがむ。
男の子よりも低い位置に目の位置を持ってきて、しっかりと見据えた。
「君の御父君は、ネーレは立派な男だ。私にとっても誇りだよ。だから、君もネーレの代わりには成れない。君は君の誇りをもって、ナザイタレと、そしてアレッシアのために生きてくれ」
男の子の両手を掴み、自身の両手で包む。
「ネーレは、私にとって唯一の存在だ。君にとってもそうだろう?」
こくり、と頷いた男の子に、「私も君と共に戦える日を楽しみにしているよ」と言って、エスピラはナザイタレ邸を後にした。
向かった先は処女神の神殿。
ヴィンドの遺言が発表される場所。いや、もう既に「された場所」になっているはずだ。
「カリヨにも、謝らないとな」
入る前に呟く。
「ねえ。最近うるさいんだけど」
メルアが冷たい声で刺してきた。
エスピラが苦笑していると「謝る必要もないと思うけど」と、メルアが続けてくる。
それでも気合を入れ直しているエスピラを置いて行かないのは『やさしさ』だとエスピラは思うことにした。
「行こうか」
軽く抱き寄せてから、扉の前で離す。
そして、奴隷に扉を開けてもらった。
「エスピラ様!」
真っ先に駆け寄ってきたのは、ヴィンドの父親だ。目には涙をためており、何故かエスピラの手を取って慰めるように何度も頷き、エスピラの手を叩いている。完全にエスピラを置き去りにして慰めにきているのだ。メルアの無表情も少し困惑に固まっているようにも見える。
奥では悲しんでいるように見えるカリヨが居た。が、どこか泣き真似に見えるのは兄妹だからか。
「ヴィンドも、ヴィンドも幸せでしょう。エスピラ様にそれほどまでに思われていたとは」
涙声とだみ声で濁音におぼれていく声は良く聞き取れなくなっても続く。
「本当に。いや、エスピラ様もご両親のぬくもりを知らないのであれば、私のことを」
「エスピラ様が困っておられます」
静かに言ったのはスーペル。
(何故?)
と。
カルド島に居るはずなのに。
「建国五門の当主代行が亡くなったのだ。建国五門の者が来るのは当然のことだろう?」
目だけで伝えた疑問に、スーペルが応えてくれた。
奥には蒼のペリースを羽織ったルカッチャーノも見える。
「いや。すまない。孫を、ヴィルフェットをお頼みいたします」
涙ぐみながらヴィンドの父親、アダットが言った。
エスピラの疑問はますます膨れ上がる。
「ヴィンド様の遺言だ。子をエスピラ様に育ててほしいと。ただし、ニベヌレスとしての誇りを忘れず、行く行くはニベヌレスの当主に。されど力が無いとニベヌレスの者達かエスピラ様が判断されれば、当主は別の者に、と言うことだ」
スーペルが説明してくれた。
育てる、面倒を見る、と言う話はエスピラも覚えている。口頭での約束だが、確かにあった約束だ。
しかし、それではアダットがこうはならないだろう。
「何かあれば、ニベヌレスが力になります。必ずや、このニベヌレスが」
「お気持ちは分かりますが、少々落ち着いてください。私がエスピラ様に説明いたしますから。今は、気を落ち着かせて」
なおも熱烈に涙ぐみながらエスピラの手をさするアダットを、スーペルが落ち着かせた。
人がやってきて、アダットが離れていく。
エスピラとスーペルは少し遠い所に。
「何が?」
と、エスピラはスーペルに聞いた。
スーペルの目がやってくる。




