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夜半の密会

 宴がつつがなく終わり、三々五々に使節が割り当てられた部屋に帰っていった夜。


 月明かりがマフソレイオの宮殿内に差し込むが、炎はほとんどなく一度月が隠れれば足元も見えにくくなるほどに暗くなっていた。マフソレイオの人たちもほとんどいない。


 その暗闇の中を、エスピラは音を立てずに明るい時と変わらない速さで歩いていた。

 見張りの兵士も最早顔なじみで、人影に警戒するもののエスピラと分かるとすぐに道を開け、扉を開ける。


 そうしてたどり着いた部屋で、エスピラはほとんど音を立てずに扉を叩くと返事を待たずに入った。


「お待ちしておりましたよ」


 部屋の中には肩から下まで覆う一枚の服だけのような女王。

 小さな丸テーブルの上には蝋燭。


「陛下は?」

「御父上はもう良いお歳。最近は疲労が抜けない日も多いですから、先に休んでいます」


 タイリーと同じぐらいの年齢だったはずだとは思ったが、昼間の王を思い浮かべて覇気という点では随分と弱まっていたなとエスピラは女王の言い分に納得した。


「娘は随分と大きくなっていたでしょう?」


 女王が勧めてきた向かい合うような形の椅子に、エスピラは座った。

 女王手ずからエスピラの好きなリンゴ酒をコップに注いでくれる。


「まだ六歳ですか? 驚きました。既に三か国語以上を操れるとは」

「エスピラは幾つの時に三つ目の言葉を習得しましたか?」


 お礼の動作をしてから、エスピラも返礼で女王のコップに酒を注いだ。


「さあ。何歳の時だったでしょう。一つ確かなのは、少なくとも六歳の時では無いと言うことですね」


 リンゴ酒の入った容器を置いてから、コップを持って軽く乾杯を交わす。

 一級品の、アルコールを感じさせない飲みやすさが喉を駆け下った。


「どのような会話を?」


 まあ、母親なら嘘に気づくよな、と。


「アレッシアとハフモニについては十分に情報を集めているから交渉には気をつけろ、と忠告していただきました」

「あらあら。あの娘ったら。貴方に会うのを楽しみにしていたと言うのに、そんな会話をするなんて」


 ほほほ、と女王が口元を手で隠し、上品に笑う。


「何か、アレッシアにご不満でも?」

「不満。不満ねえ」


 楽しそうな笑みを湛えたまま、女王がコップを弄ぶ。


「タヴォラド・セルクラウス、サジェッツァ・アスピデアウス。この二人は十年後にタイリー・セルクラウスに匹敵する存在になっていてもおかしくは無いと思うのですが、他の人選はどういう意図なのか、と。もちろん、貴方のことを言っているのでは無いですよ」


 女王が浮かべているのは、人を食ったような笑みである。


「マルテレス・オピーマは次期護民官です。才能で言えば、私を超えるでしょう。アルモニア・インフィアネも護民官になる男です。元老院に取り込むべき平民。フィルフィア・セルクラウスとオルロ・ノウムスは血筋で選んではおりますが、図書館の知識をアレッシアに持ち替えるにはこれ以上の人選は無いでしょう。


 ニベヌレスの兄弟は、完全に対外向けの血筋のアピールです。彼らに才はありませんが、再来年の執政官の息子たち。使節団に箔をつけるにはうってつけです。非才なのは本人たちも承知しているのか、あまり声を大にして首を突っ込んでは来ないのも扱いやすいのでしょう。


 シニストラ・アルグレヒトは荷物持ち兼二人目の護衛です。あとは」

「若い男の子だからと言って私が無条件で喜ぶわけでは無いのは、貴方なら良く分かっているでしょう?」


 女王がエスピラの言葉を遮った。

 エスピラは表情を変えずに、口を開く。


「人選などの準備に関しては私は一切の権限を持っておりませんので。ええ。密約によって」


 エスピラは後半部分を言う速度を落とした。

 女王の口元の笑みが深くなる。


「その主は言ってくれないの?」

「人選の意図を馬鹿正直に申し上げたのでは満足できませんか?」


 エスピラは作り物の笑みのまま首を傾げた。


「私と貴方の仲じゃない」


 弄ばれていたコップが動きを止め、エスピラの方に少しばかり押し出された。

 対抗するように、エスピラも女王のコップと自身の間に自分のコップを置く。


「秘密は誰にだってあるものですよ」

「悲しいわ」


 微塵も悲しそうではない。


「娘の嘘を堂々と暴かせるのはどうなのでしょうか?」

「正直に答える方にも責任があると思うのだけど」


 なるほど、とエスピラは思った。


 この言葉に関しては、同意しか出てこない。自分の中のどこを探しても反論は無い。あるとすれば、きっとズィミナソフィア四世もこういった場でエスピラが女王に伝えることを想定している、という程度である。


「密約はマフソレイオにとっても悪い話では無いですよ。少なくとも、私はマフソレイオの味方。その私に利する内容ですから」

「そうでしょうね。三人目までは私も無条件でアレッシアに味方しても良いと思えるほどに良い人選でしたもの」

「他のメンツも大きく外れてはいないと思いますよ。マルテレスに関しては、むしろ大当たりだったと将来思うことは間違いないでしょう」


 これに関しては、エスピラは最大の自信をもって言えた。

 そのことは女王にもしっかりと伝わったと思っている。


「隠れた人材ってとこかしら? それが、ハフモニに居ないと言う保証はあるの?」


 天秤にかけている、というのは分かっていた。


 マフソレイオはマルハイマナと東で国境を接し、西の果てはハフモニと地続きなのだ。

 もしもアレッシアがハフモニに負ければ、挟み撃ちの形になってしまう。アレッシアが消えたとすれば、三方向から攻撃を受けてしまう。


『勝つ方に』味方につけた場合はハフモニとアレッシアが争っている間にマルハイマナとの境界地域だけ警戒していれば良いのだ。


「ハフモニは失敗した将軍に厳しい国家。行政の長が敗軍の将を処刑することなど日常茶飯事です。勝敗は時の運も絡むと言うのに、そのようなことを繰り返している国家が果たしてアレッシアと同じ水準の将兵を生み出し続けられるとお思いですか?」


「上がいなくなるから隠れていた人材がすぐに力を発揮できるようになる、とも言えるとは思わなくて?」

「失敗を恐れさせ、委縮させれば折角の才能を見逃すことも多いと思います」


 マフソレイオも失敗即処罰の国家では無いから、本来の考え方は自分に近いだろうとエスピラは思っている。


 特に、今はほぼ女王の独裁なのだ。

 国家体制は女王の思想を大きく反映しているはずである。


「マフソレイオがハフモニに攻められる可能性もあるのではなくて?」

「戦局次第でしょう。アレッシアとハフモニの間にある二つの島がそのまま穀倉地帯となっております。普通ならわざわざマフソレイオまで足を延ばさず、その二つの島を取り合うのが良いはず。奪えれば、そのままアレッシア攻撃の拠点にできますから。

 以前の戦争のように」


 前回のハフモニとの戦争では二つともハフモニの領土であった。

 故に、アレッシアの苦境も長くなったのである。


「可能性はゼロではないのね」


 マフソレイオが攻撃される可能性が。


「例えハフモニと結んでもゼロにはなりませんよ。ただ、マフソレイオが支援をしてくださり、アレッシアが全力で戦い続けられれば限りなくゼロにはできますが」

「アレッシアにせよハフモニにせよ、蝙蝠は出来ないの。だから慎重にもなるわ」

 言って、女王がリンゴ酒を飲み干した。


 コップが置かれたタイミングで、エスピラがおかわりを注ぐ。


「例え苦境に陥ろうと支え続けてくれると言うのはありがたい限りですよ」


 エスピラは慇懃に頭を下げた。

 くつくつと女王が笑う。


「貴方の妻はそのような存在なのかしら?」


 この場を見たら物を壊し、部屋に引き込んで、部屋から出そうとすれば思いっきり噛みつかれそうだなとエスピラは思いつつ。


「妻ならば笑ったり馬鹿にしてきたりはしそうですが、決して私を捨てはしないと思いますよ」

「そうなの? メルア・セルクラウス・ウェテリの悪評は、私ですら耳にしたことがあるのだけれど?」

「それは耳にしたのではなく調べたのでしょう」


 エスピラは声を刃に変えて、殺意と共に女王の胸へと突き刺した。


「冗談よ。本題を続けましょう」


 そう言って、女王がリンゴ酒を半分ほど飲み干した。


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