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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十二章
427/1593

術中

「帰ってこない斥候もおります」


 如何、致しましょうか。とでも言いたげな弱い瞳をリャトリーチが向けてきた。


 逃げることはあり得ない。そう言えるだけの信頼をエスピラは斥候、もとい被庇護者たちに向けている。

 その上で戻ってこない、と言うことは。死んだか、捕えられたか。


「カルド島にも多く残し、マシディリにもつけているからな。その分を自分たちで補おうと頑張っているだけかも知れん。だからそんな顔をするな」


 エスピラ自身、胸にこびりつくモノを感じながら、リャトリーチに対してはそう笑った。


(しかし)


 斥候が帰ってこない。

 山中で少しだけざわめきを残し、消しかけながら集団がいた痕跡を残す。


 こんなことをしてくると言うことは、マールバラが近くにいると言うことだろう。

 そしてマールバラが近くにいると言うことは、ディファ・マルティーマの攻略を止めたと言うこと。レオーネがほぼ陥落した状態ながらも持ちこたえたと言う証だ。


「師匠。居たとしても山中の兵は大した数では無いと思います。狩りに行きましょうか」


 イフェメラがエスピラの傍に来た。


「狩りの間にカルド島からの兵に不安が広がるのが問題だな。伏兵に適した場所も多い。少数の兵でもこちらの数千を混乱させることはできる。数千の混乱が広がってしまえば、流石に他の兵にも動揺が出る。その中で敵本隊が来れば、壊滅しかねないと言うのが最も怖いからな」


 この山には湖もあるのだ。

 そこに案内されてしまえば、溺死、なんて未来もある。逃げ惑う数千が耐える兵を水に突き落とすことだってあり得るのだ。


 事実、マールバラは戦争初期にそうして三万のアレッシア兵を消した疑いがある。


「山を出ることには賛成です。此処での戦いをマールバラが望んでいれば、確実に主導権を奪われてしまうでしょう」


 ヴィンドが言った。


 さっきは狩りを主張したイフェメラも二度、大きく頷いている。戦闘準備をしていない状況から戦闘準備、迎撃をできるだけの練度をエリポス方面軍は持っているが、相手は怪物。『出来る』では無く、相手を考慮せずにこちらが少しでもいつもの力を発揮できる場所に、と言うのに同意してくれたのだろう。


「ただし、後方の安全を取ることも大事です。此処は、警戒態勢で進み、山を出てからイフェメラに狩りをしてもらう。山中から出る部隊はネーレ様を先鋒とし、様子を探りつつ展開して陣を築くべきでしょう。この山を越えても丘がありますから。その丘の先までの安全を確保しなければ夜を迎えることはできません。戦闘になることを想定しつつ、戦闘にならなければイフェメラの狩りが終わるのを麓で待てばよろしいかと愚考致します。


 こちらの行軍を遅らせるのが目的の陽動作戦だとしても、ディファ・マルティーマには城壁と攻城兵器の数々があります。数週間遅れても落ちることはございません。カリトン様ももとより二年耐えるつもりのはずですから」


 すぐさま口を開いたのはジュラメント。


「城壁まで近づかれれば何があるかは分かりません。義兄上を恨んでいる者もディファ・マルティーマにはおります。特に父上などは、鏡を見ずに他人しか見ないものですから。フィガロット・ナレティクスのように自分も成れると勘違いするかもしれませんよ?」


 ジュラメントの父ロンドヴィーゴへの評価が高い人物はこの軍団には居ない。

 だが、それはそれとして、自身の父親を貶めるジュラメントの発言に良い顔をする者もまたいなかった。


「どのみち、山からは出るべきである、と言うことですね」


 ネーレが小さな声で言った。


 アルモニア当たりならば堂々と言ったのだろうが、彼がいないから、と言った理由での発言だからかも知れない。そして、確かに高官の仲を取り持つのにネーレ以上の者は此処にはいないのである。


「山中では軍団が縦に伸びる。道も狭く、連絡もし辛い。無駄に兵の不安も煽る。出るべきだろうな」


 最年長のピエトロが言えば、方針は確定した。


「縦列式戦闘行軍隊形に移行し、山を出る」


 覚悟の座った瞳が一斉にエスピラにやって来た。

 その中で、エスピラは口を動かし続ける。


「先頭はネーレとジュラメントの歩兵第一列。その次に再編中の第二軍団を率いてヴィンド、ジャンパオロ、ウルバーニ。次に第二列。最後に第三列と騎兵隊が組むが、イフェメラは山を降りる直前で引き返せ。プラチドとアルホールもイフェメラと共に山中の狩りに戻る。三人は戦闘用の隊形に移行して構わない。該当部隊の荷駄は第二列と第三列が持つ」


 構わない、と言うよりは命令だ。

 ただし、現場の判断によって変えても良い、と言うだけである。


「火種も用意しておくように。包囲殲滅を狙ってくれば、燃えるモノを燃やして無理矢理道を作ることも壁を作ることも視野に入れる。相手は寄せ集めだ。マールバラの指示が届かなくなれば乱れる部隊もあることはみんな知っての通りだと思う。


 幸いなことに此処は半島だ。これまでと違い、遠慮なく荷物は捨てて良い。投げつけて良い。壊して良い。相手を支えているのは三年間攻撃をはじき返し続けてきた防御陣地を先の一年間破壊してきたことであり、恐れているのは主力部隊が戻ってきてその支えを無くすこと。


 上から目線で挑め。驕ってはならないが、過剰に恐れてもいけない。


 勝つのは、アレッシアだ。優勢なのはこちらだ。神々と父祖の加護があるのはこちらだ。

 向こうが一番嫌なのは、我々の存在そのものである」



 言うつもりは無かったのに、と思いつつも、エスピラは空気がそうでは無いことを察知してしまった。

 そして、つもりが無かったことをおくびにも出さず、口は動き続ける。


「アレッシアに、栄光を」


 それは会戦に挑む者の言葉。

 軍団を一段上へと引き上げる言霊。


「祖国に、永遠の繁栄を」


 合唱は、戦場へ向かう男のソレ。

 警戒。敵兵が居るかも。あるいは、いないかも。

 そんな曖昧な前段階から、何故か会戦の決意へ。


 一抹の不安をおぼえながらも、エスピラは軍団を再度前進し始めたのだった。


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