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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十一章
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前日戦

「応じるな。陣地から一歩でも出た者が居れば、陣に返ってくる前に、そして三歩と歩かぬうちに殺してしまえと全軍に通達しろ」


 エスピラは事務処理をするように言った。

 アレッシア兵が頭を下げ、出て行く。

 他の数人の足音も聞こえた。恐らく、命令の伝達のために数十人が動き出したのだろう。


 一応ハフモニの動きがあった後であるので、十代後半のウェラテヌスの被庇護者が八名、薄暗い天幕に入って来た。皆、闘志を内に秘め、静かに、されど研ぎ澄まされている。


「シニストラとイフェメラは、まだ所定の位置に着いていない。そうだね?」


 エスピラはぺらり、と書類を眺めながら聞いた。

 お茶の種類を聞くような声である。


「はい。今朝の時点では連絡を受けておりません」


 返ってくるのは腰を下げつつも淡々とした声。


 戦場の様子を肌で感じさせるため、と言う名目で伝令をさせているが、ディラドグマ以来の兵に混ぜないためだと言うのは皆もう把握している。練度の差と連携を乱さないためだと言うのも理解しているはずだ。


 ついでに言えば、二年後に控えたマシディリが成人した後の初期を支える面子を育てる目的もある。


 きっと、自らの身辺を固めるのはマシディリ自身で選びたいはずであり、エスピラが選べばいつか反抗したいと思う時が来るはず、と言うのがエスピラの考えなのだ。


 だからこそ、エスピラが準備したいのは困った時に支えられる人。軌道に乗るまでの補助となる人材。


 それの、最終段階が今だ。


「歩兵第二列を起こしておいてくれ。ヴィエレの部隊にだけ戦闘準備をさせよう。それから、スコルピオを第一列のテントの中団あたりに用意しておくように。そのまま放てば、前に居る者に当たる位置で構わないよ。新型も用意しておいてくれ」


「かしこまりました」


 若者の一人が出て行った。

 その後は、ヴィンドと祭事の話を続ける。どの儀式が済んでいるか。準備ができているのか。そんな話の後で、また別のことをやらねばならない。


「エスピラ様。ハフモニ軍から十七名が前に出てきて、エリポス語で挑発を始めました。アレッシア語を話している者も二人ほどいるそうです」


 そんな報告が届いたのは布陣が完成したらしいとの報告から一時間後。

 エスピラの目の前の木の皮や布の切れ端は山積みのままである。


「何千人もの結婚相手を考えないといけないんだ。ちょっと、今は構っている暇はないって伝えてきてもらえないか?」


 戦争後、軍団が解散した後に未婚の者たちで望む者の結婚相手を上司として、そして庇護者として探さないといけないのだ。


 庇護者が別にいる者は庇護者に投げ出してしまいたいが、エスピラにと頼んできている者も居る。被庇護者で何も言ってきていない者も居る。何も言ってきていない者には後で確認をしなければならないし、幾ら忠実と雖も話を変える者も居る。

 結婚だから仕方が無いとは思っているが、引き延ばしやはぐらかしなどをされては仕事が増えるのでやめてほしくもあるのだ。


「では、いってまいります」

 と、大真面目に言った若者を自然とリーダー格になっていたアビィティロが止めた。


 エスピラ様の冗談だ、と言って気真面目な若者を元の場所に戻らせている。


「こちらの戦意を高めるためにもしばらくは放置しようか」

「かしこまりました」


 アビィティロが返事をして、二人を伝令として外に出した。スーペルとマルテレスに伝えに行くのだろう。


 エスピラは、流石だ、とアビィティロの評価をまた少し上げた。


 アビィティロは十七。マシディリの五つ上。つまり、エスピラにとってはジャンパオロと同じ年齢差。ヴィンドにとってのエスピラと同じ年齢差。


 エスピラは文字から目を上げる。そのまま、前者にとってはさほど気にならないが、後者ならばそれなりに差があるように思えるな、と思考を逸らした。



 ぴく、とエスピラの目が動く。反応したのは大きな足音に。乱雑そうではあるが、その実ある程度揃っている。誰のモノかと言えば、ラシェロ・トリアヌスのモノだろう。


「エスピラ様。攻撃の許可を」


 そして、予想通りラシェロが天幕に入って来た。

 勢いはある程度死んでいる。天幕を跳ね上げることも無く、静かに入って来たのである。


「我慢なりませんか?」


 ゆったりとエスピラは聞いた。


「あれだけ口汚く罵られ、我慢できる者はおりません。エスピラ様も一度お聞きになっては如何でしょうか」


「確かに。兵が言われている言葉を一切知らないのも問題ですね」


 ラシェロの動きが少し止まった。目の黒い部分も大きくなっている。


(予想外だったか)


 エスピラはラシェロに笑みを向けた。

 酒宴や晩餐会で使うモノとは少し違い、それでいて家族に向けるほど親しくもない笑みである。


「行きましょうか」


 ペリースを整え、革手袋を触って確認し、天幕の外へ。

 ヴィンドがすぐ後ろに来て、ラシェロは少し遅れて後方から。その状態で前に行けば、ステッラが途中で合流した。伝令部隊はラシェロのさらに後ろから着いてきている。


「確かに、これは聞くに堪えませんね」


 そして、エスピラは罵詈雑言を聞きながら笑った。

 ラシェロの意識は最早挑発してきている者たちよりもエスピラに多く割かれているようである。


「門を開け、兵を下げましょう。自分の言葉が真実であり、本気でアレッシアが腰抜けだと思っているのなら僅か十七名でも攻め込んでくるはずです。違うのなら、最後の最後で実行に移せない腰抜け。まともに相手にする必要は無いでしょう」


 伝令が走り、門を開けに行った。

 その様子を見ながら、エスピラは銀を一粒取り出す。


「ルティニウス」


 呼んだのは近くに居た歩兵第一列に属している十人隊長。

 エリポス語は「石を投げろ」などの簡単な言葉しかわからないが、挑発されていることは分かっているのか立ち姿勢に力の入っていた男だ。それに、賭け事が好きだとエスピラは記憶している。


「は」


 そんな男が、急いでエスピラの傍にやってきた。


「私は攻めてこない方に賭けるが、君はどう思う?」


 一粒の銀を、エスピラはルティニウスに渡した。

 ルティニウスが両手で受け取る。


「あ、私も。攻めてこないと思います」

「そうか」

 と、エスピラは苦笑して見せた。


『エスピラ様と賭け事をするな』。そんな話を最初に聞いたのは此処、カルド島でマルテレスから。その話が今も生き続けている、とは、エスピラが賭け事の場に顔を出すと皆が一様に、異常なまでにエスピラの様子を窺ってくることからも分かっている。


「まあ、私の賭け分だ。ただ黙って見ているだけでも暇だろう? 皆にどっちか聞いて、少し楽しむと良い」

「ありがとうございます。しかし、勝負になるでしょうか……」


 きっちりと疑念も言ってくれるあたり、エスピラが六年間かけてきたことは無駄では無かったらしい。


「誰か一人くらいは莫大な財の独り占めを狙って攻めてくる方に賭けるかも知れないぞ?」


 悪戯っぽく笑って、エスピラは近くに居た他の兵も呼び寄せた。


 何を対象に賭けたのかを話し、雑談をし、門が開いても敵が動いてこないのを見てから離れる。賭け事自体は今日の夜まで継続だと伝え、他の場所へ。


「遊んでいる場合ではないのでは?」


 ラシェロが、少しだけ怒りを滲ませた声で言ってきた。


「遊んでいる場合ですよ。それに、良く伝わるでしょう? 攻めてこないと言うことも、余裕をもって対処して良いと言うことも。攻めてこないと言いつつ、攻めてくる可能性があることだって伝わりますし、何より挑発されているのに朗らかな雰囲気で門だけが開いているだなんて。ハフモニ側が見たら何を考えますかね」


 ただ言葉で聞くだけよりも、一瞬の思考が入る。

 それも、自分の意思に関係無く攻めてこないと思い、自分の思考で攻めてこないとたどり着くのだ。


「ティーダー。向こうでも同じことをしていたのだがね」

 と、エスピラはまた銀を一粒取り出して、賭け事が好きで計算が得意な兵を呼び止めた。


 話すのは同じこと。

 それから、談笑。


「さて」


 話が終われば、エスピラはペリースを目立たせて移動する。


 同じことを数回繰り返すだけで、調子の良い者はエスピラの近くに来た。エスピラも笑いながら応じて、銀を賭けに出す。当然、止まって数分の話もし、また別の場所へ。


「あまり散財されるとシジェロも苦労するのですが」

 と、言ってきたラシェロに対し「財はどう使うかこそが重要ですよ」と返し。


 エスピラは笑みも深め、怒りが見えないのに怖く見えるような表情を作り、ラシェロと目を合わせた。


「それから、ご自身の口にはお気を付けください。良からぬ推測、まるで私がシジェロ様を娶るような取られ方もできる言葉は、些か不快ですよ」


 トリアヌスは信を失っていますから。

 ティバリウスとの結婚で益の無い姻戚関係は十分ですから。


 そんな言葉が、ソルプレーサが近くに居れば吐き捨てらえていただろうと思いつつ。

 エスピラはラシェロの足が完全に止まったのを確認すると、明日のためにともう少しだけ確認作業と士気を高める作業を続けたのだった。


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