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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十一章
415/1591

前段階

 ヴィンドの手伝いもあってある程度のパンテレーア周辺の戦後処理を済ませたのはネーレの出発から数日後。

 遠回りをするイフェメラとシニストラも出発した後だった。


 シニストラが居ない間のエスピラの護衛はソルプレーサと、書類仕事を手伝う傍らでヴィンドが。マルテレスも自分がやると申し出てくれたが、執政官が執政官に守られるなど無い話では無いが体裁が良くないので断った。


 そうして、ネーレらの先遣隊が戦場予定地に着いたのは十番目の月の三日。アイネイエウスらハフモニ勢がスーペルの包囲を解いて戦場予定地に近づいてきたのは同五日。マルテレスが右翼側に布陣したのは同日夜。エスピラら本隊がコンフィーネ川を渡ったのは七日のことだ。これまた同日にイフェメラ・シニストラ両名とアイネイエウス軍の殿部隊とで小競り合いが生じる。


 追い払ったのはアレッシア。追い払われたのはハフモニ。

 そう表するのが最も適しているような戦いだった。


 小競り合いは翌日も頻発し、スーペルが城塞都市を出たのは八日。軍団を急がせ、着陣したのは九日。その頃にはハフモニ勢もほぼ着陣を済ませていた。


「十番目の月の十一日、か」


 ふう、とエスピラは息を吐いた。

 息抜きのようで、それでいて鋭く。


「観天師達の言うところには、雪はちらつかず、雨も降らない快晴になるそうです」


 エスピラが何を思って言ったのか理解したのか、ヴィンドが落ち着いた声で言う。


「心配しないでくれ。タイリー様に報告するには良い日だと思っただけだよ」


 言いながら、エスピラは地図に目をやった。

 行き先はピエトロらを向かわせた先。アレッシアの勢力下にある地域とをつなぐ主要街道。ある程度の資材を運び込ませ、封鎖する程度の陣地を築かせている場所だ。


 他にも数か所。まるでメガロバシラスとの戦いで夏場を越える長期戦を仕掛けた時と似たような布陣を。それでいて、左手の川にだけはほとんどそう言った仕掛けを行わないで。


 幾らカルド島が温暖な気候だからとは言え、冬を外で越したいと思う兵などほとんどいないのだ。

 来るとは分かっているが、より確実に会戦に持って行くための仕掛けでもある。


「左翼のスーペル様、右翼のマルテレス様。共にいつでも行けるとおっしゃっております。こちらも、三千の信用ならない者の準備は万端です。シジェロ様のお言葉は、非常に有用でしたので」


 シジェロ・トリアヌス。

 信用ならない三千の頭でもあるラシェロの娘にして凄腕の占い師。処女神の巫女。

 そんな肩書が並ぶ彼女だからこそ、三千の兵をある程度制御下に置くことができるのだ。


「良かったのですか?」

 と、ヴィンドが聞いてくる。


「良くはないが、致し方ない。できる限りエリポス以来の一万三千の者から犠牲者が出ることは避けねばならないからね」


 そのためには信用ならない三千に、いや、エリポスから合流した軍団兵の全てが死んでも構わない。

 エスピラの中では、冷酷なまでに命の順位が決まっているのだ。


「ならばお気を付けを。シジェロ・トリアヌスは処女神の巫女でありながら長年の功績と占いの腕で土地が与えられることが決まっているとも聞きます。アスピデアウスからアグリコーラ周辺の、未だにハフモニ側にある土地を貰い、代わりにアスピデアウスにクエヌレスの情報を渡すらしいです。


 残念ながら、このままではウルバーニがシジェロを出し抜くことは不可能でしょう。

 協力して、借りを作る形でクエヌレスを掌握するモノだと愚考致します。


 そして、元老院がエスピラ様の軍団に土地を分け与えるのを渋るのもほぼ決まったことのでは無いでしょうか」


「シジェロが、自分の土地を軍団兵に分け与える代わりに、と求めてくるか」


「おそらく。それに、処女神の巫女を妻に迎えることはアレッシア人にとっては大変な栄誉です。シジェロは味方を増やすことができ、エスピラ様は栄誉が加わることによって敵を増やす結末を迎えてしまう可能性も、また、非常に高いかと愚考致しますが。どうでしょうか」


「まあ、シジェロも最初からカルド島に一年間幽閉するつもりで私が申し入れを受けたのだともう気づいているだろうからね」


 そうなると。最も邪魔なのは。シジェロをカルド島に隔離している間に本国で動き回れる存在。その筆頭格であるラシェロとトリアヌスの者達。そして、最高神祇官であるアネージモ。


(殺るか?)


 しかしながら、アネージモを殺すには優秀な暗殺者が今のエスピラの手元には居ない。

 ただでさえアレッシア人で集団の暴力ではない暗殺ができる者は少ないのだ。その上、暗殺者の育成は遅々として進んでいない。暗殺者としてのメルアは制御できる自信が無いし、何よりも他の男に近づけたくは無いのである。



「アスピデアウスとしてもアネージモはもう用済みでしょう。いえ。他の家門からしても、能力に劣るアネージモを最高神祇官につけておくならば自分たちの派閥から出したい。居るだけなら自分たちの方が上手くやれる。


 そう思わせ、漏らし、アネージモ様自ら職を辞す形に持って行けばどうでしょうか。


 エスピラ様は七年前に借金をしてまで神殿のために働きました。エリポスの宗教会議にもエリポス人以外で初めて招待されております。対して、アスピデアウスやセルクラウスはサルトゥーラ様を用いて神殿を圧迫いたしました。エスピラ様が借金をしたのも、彼らが処女神の巫女を供物にしようとしたのがきっかけ。


 最高神祇官に最も相応しいのはエスピラ様です。

 そして、他国への影響力を考えればエスピラ様を永世元老院議員に就け、一貫性をもたらすのがアレッシアの利益に繋がります。


 対メガロバシラスの前にアリオバルザネス将軍を帰国させれば、エスピラ様を執政官に任じざるを得ないでしょう。その時こそが、改革の好機では?」



 ヴィンドがエスピラに近づき、唇をほぼ動かさずに言った。


 寒気も何も感じない。土の香りだけはしっかりと認識できる。


「アリオバルザネス将軍をどう逃がすつもりだ?」


「ティバリウス預かりに致しましょう。公的なことに関してはもうロンドヴィーゴ様は何もできない存在ですが、家中に於いては違います。父として、まだジュラメントに影響力を発揮するでしょう。それに、最近のジュラメントは各地で愛人を増やしております。良からぬ者が入り込んでいて、その者がロンドヴィーゴ様にメガロバシラスでの官職をと唆すのも、また仕方が無いことかと愚考致します。


 何せ、『エリポス人に認められた』と言う話はエスピラ様に対抗できる分かりやすいお話ですから」


 ディファ・マルティーマの緩やかな支配者。そして、エスピラの才を見抜いていたと言う少し的外れな賞賛。何もせずに転がり込んできたエリポスを制圧した軍団で軍団長を務めていたと言う栄光。

 そして、一気に全てを失うどころか空気と化した現状。


 なるほど。ロンドヴィーゴが甘い言葉に乗る準備はできている。


「先々を見据えられる君と言う人材を得られて、私は本当に幸運だよ」

「私は建国五門が一つ、ニベヌレスの当主代行。全てはアレッシアのために言っているだけです」


 無駄なほど慇懃にヴィンドが言い、礼をした。


「君から見て、ジュラメントはどう思う?」


 そんなヴィンドに、エスピラは試すように問いかけた。

 ヴィンドの顔が上がる。距離は近いまま。冬の寒さも相まって、体温すらも感じられそうである。


「オプティマ様になさるべきでしょう。不安をやわらげ、悪意にも笑みを見せる。それこそ、イフェメラなどのイロリウスの者以外が行けばささくれだつプラントゥムに行ける唯一の良将であるオプティマ様の長所。


 アスピデアウスによる人事をこれ以上通してはなりません。

 ですが、ジュラメントとイフェメラでは角が立ちます。暴走も起こり得るでしょう。


 友と言うのは良いですが、エスピラ様とマルテレス様の友情とは異なります。あの二人は互いに譲る。そして、ジュラメントはカリヨ様を妻に迎えようとしていたイフェメラも警戒しております。しかし、イフェメラにはその理由が一切分かっておりません。

 プラントゥム平定戦の軍事命令権保有者には、オプティマ様を推薦されるべきでしょう」


「君が良かったんだがな」


 能力は十分。むしろ、最適だともエスピラは思っている。

 が、問題はペッレグリーノ・イロリウス。軍事命令権保有者として異例の年数名を連ね続けている彼の軍団は、最早彼の被庇護者とも言えるだろう。


 そんなところに息子と同じ軍団に居て、息子より出世し、信頼を勝ち取り、息子の友達の妻を愛人としたような者が来れば。それも、血筋も良い者が来れば。


「畏れ多きお言葉にございます」


 ヴィンドが、目を閉じた。

 駆けてくる足音が聞こえる。


「報告がございます!」


 叫び、伝令が入ってくる。


「エスピラ様。ハフモニ軍が布陣を始めました!」


 時は十番目の月の十日早朝。

 先に会戦の意思表示をしたのは、アイネイエウスであった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 両雄並び立たず。 ついに決戦が始まるのか。 前回の、エスピラを口説いた内容、虚偽ではなくかなり真実に近い内容というのが、どうにも泣けてくるところですね……。
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