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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十一章
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月が綺麗ですね

「私に、ハフモニに寝返れ、とでも?」


 エスピラは鼻で笑った。

 アイネイエウスが大真面目な顔で首を横に振り、「いいえ」と断言する。



「この戦争の趨勢を決めるのは最早異母兄上ではございません。マルテレスでも無く、ましてやサジェッツァやタヴォラド、メガロバシラスでもない。


 貴方です。


 エスピラ様とディファ・マルティーマ。両方を味方につけた方が勝つ。

 ディファ・マルティーマだけでは不十分。二つ揃って、初めて東方世界を味方につけられるのです。


 そしてそんな影響力がある者を戦後も見過ごすとお思いですか?

 運ぶべき荷物が無くなったのにいつまでも馬を生かしておきますか? 戦う相手が居なくなったのに象を生かしておきますか? 戦争が無いのに剣を鍛えますか?


 いいえ。

 馬は肉に。象は家に。剣は鍋に変わります。

 エスピラ様。ハフモニの次は貴方ですよ」



(これか)


 エスピラを呼んだ目的は、これだったのか、と。


 最初に家族の話をしたのも、エスピラの敷居を下げるため。警戒を解くため。

 抜群の話題選びだろう。エスピラに対しては、これ以上ない選択だ。

 あるいは、断られる前提でエスピラの判断を鈍らせるための家族話か。


「ハフモニの次とは。ハフモニの将らしからぬ発言ですね」


 その全ても狙いの内であり、この悩みも狙いの内だろうとエスピラは思考を畳んだ。


「事実を述べているだけです。今のハフモニが勝つには、アレッシアが失態を犯すしかありません。ですが、決定的な間違いだけは起こさないでしょう。サジェッツァ・アスピデアウスとタヴォラド・セルクラウスとはそう言う男達です。何よりも、道を誤ればエスピラ様とその支持者が牙を剥く。それで以って統制が出来ている。


 しかし、戦争が終われば邪魔。貴方が邪魔。マルテレス・オピーマは政治に疎く、政治の師匠がサジェッツァである以上は大きな障害にはまだ育たない。ペッレグリーノ・イロリウスは功が目立ちにくく、本人もあまり主張しない。プレシーモ・セルクラウス・クエリは間もなく失脚し、ヌンツィオ・テレンティウスはインツィーアの敗戦と言う大きすぎる枷がある。


 貴方だけが邪魔なのです。

 元老院にとって。これからのアレッシアを描きたい者にとって。エスピラ様が邪魔なのです。


 エスピラ様。ディファ・マルティーマを拠点に独立されるのは如何でしょう。

 半島南部とエリポスの西海岸を支配域に置き、新たな国家を作り上げるのです。それが、貴方が生き残る道だと思います。その国ならば、土地も褒章も、兵に与えるモノは貴方があげたいがままに渡せるのですよ」



 エスピラは、今度は侮蔑を籠めて鼻で笑った。

 アイネイエウスの表情は一切動かない。それでも見下しながら、エスピラは口を開いた。


「他にもあるぞ。ハフモニの名門でありながらエリポス人の血が流れている。何より、能力のある人物がこちらに就く。いや、私の下でハフモニの存続、権利を守ることに奔走したと言う形を作りあげ、存在感を増せばよい。そうなれば、私を無下に扱おうとは思わないはずだ。そうは思わないか、アイネイエウス」


「エスピラ様が独立された暁には、私も行きましょう」


 当然の如くアイネイエウスが返してくる。

 表情は変わらず。真剣なモノではあるが、それ以上ではない。


「それは、ハフモニと結びつけるための使者として、だろう?」

「それだけではないかも知れませんよ」

「いや、それは無いな」


 断言し、エスピラはアイネイエウスとの間の床を左手の人差し指と中指で一度叩いた。


「私はアレッシアの建国五門が一つ、ウェラテヌスの当主だ。それ以上でもそれ以下でもない。アイネイエウス。お前もそうだろう? ハフモニの将軍で、母が違えどもグラム家の男だ。だから、私の誘いに乗ってくれない。君が来てくれれば、これほど嬉しいことは無いのに」


 君ほどの才が無下に散る様など見たくない。

 そうも続けようとしたが、止めた。


 勝敗が決まった訳では無い。戦いは、何があるかわからないのだ。


 骸になっているのがエスピラである可能性も十分にある。



「私はハフモニに残っても処刑されることはありません。英雄には成れずとも、英雄と呼ぶに相応しい功績も無ければ惜しくもありません。


 ですが、貴方は違うはずだ。


 英雄と呼ぶのに相応しい功績がある。この戦争に於いて誰にも劣らない実績がある。高い声望がある。それを、その全てを不当に破棄され、次の敵とされるのですよ」


「くどいぞ、アイネイエウス。ウェラテヌスはアレッシアを裏切らない。ナレティクスなどと言う面汚しと一緒にするな」


「くどくて結構。私には、どちらがアレッシアか分かりませんから。エスピラ様が居られる国が、建国五門が揃うところがアレッシアなのか。それとも、今のように一つの家門が国を牛耳る状態に手をかけているのがアレッシアなのか。


 ただ一つ言えるのは、ハフモニが処刑をし過ぎたのは巨大な国家が故にです。巨大な国家が故に、権力争いを優位に進めるために多少の罪でも政敵を蹴落としたかった。文官がいざと言う時に力のある武官の頭を押さえつけたかった。


 エスピラ様。これ以上は言う必要が無いでしょう。今一度、考えたうえで結論をお出しください。是非、自身の内と、軍団の者達の顔を思い浮かべ。彼らに報いる道は何なのかを忘れずにお答えください」



 エスピラは目を閉じ、次の瞬間には思いっきりアイネイエウスを睨みつけた。

 アイネイエウスは不動。受け止めたまま、エスピラを睨み返すように視線を返してくる。


「些か、不快だぞ。アイネイエウス」


「敵将ですから」


 剣と剣。

 否。視線と視線がぶつかり、押し合い、火花を散らす。


 音は無く、寒さも無い。感じない。ただひたすらに互いの姿のみを視界に収めて、睨み合う。


 どちらも動かず、瞬きすらしていないかのように。


 そんな時間。


 不動の時間。


 ただのにらみ合い。


 総大将同士が、近い距離で。何も言わず。



 どれくらいたっただろうか。

 すぐにも思えるし、長くも思える。


 そんな時のち、アイネイエウスが先に背筋を後ろにやった。


「駄目でしたか。全身全霊を懸けた、最後の一策だったのですがね」


 はあ、と。

 ただのくたびれた男のように。戦車競技場で負け続けたちょっと金持ちの青年のように。

 アイネイエウスが雰囲気を一気に崩した。


「私の負けです。民心が離れないようにしながら逃れてきた人をかくまい、それでいて軍の不満も鎮めて八つ当たりがカルド島の民や仲間に行かないようにする。本国の干渉も最低限に収める。もう、そんなことはできそうにありません。完敗です」


 エスピラも、雰囲気を少し軽くする。


「喋って良かったのですか?」


「秘密ですよ」

 と、アイネイエウスが片目を閉じて人差し指を立てた。その人差し指は、唇に触れる形で口の前に来ている。


 そんな、ちょっとふざけた空気のままアイネイエウスが立ち上がった。


「とは言っても、勝負に負けただけです。戦いに負けたわけではありません。かかるのちは、全軍で以って戦場にて貴方を打ち破るのみ。全ての労力を会戦に懸けるのみ。そうでしょう?」


「さあ」

 エスピラが首を小さく倒せば、アイネイエウスが笑った。


「全員に冬を越させられるほどの食糧が無い。家が無い。戦えば戦利品が得られるのに、我慢を強いられていて物資が枯渇していると思い込んでいる。

 これだけの状況を作っておきながら、会戦を望んでいないとは言わせませんよ」


 その言葉に、座ったままのエスピラは下を見た。

 口角は上がっているが、笑っている訳では無い。愉快な訳では無い。


「アレッシアに来い、アイネイエウス。嫌なら、私の下に来てはくれないか? この世界で、私が最も君を必要としている。君の力が必要なんだ」


 そして、上げた目で哀願し。

 エスピラの哀願を受けたアイネイエウスも、眉を下げ目尻を下げた。


「私は、ハフモニの将軍です。本国が何を言おうと、民が足を引っ張ろうと、同僚が詰ってこようと。私は祖国のために戦います。ハフモニだけは裏切れない。


 願わくは。

 願わくは、貴方と共に一生涯を駆け抜ける。そんな人生も歩んでみたかった」


 二回目の『願わくは』の間に深い息が入って。

 アイネイエウスが、お断りを告げてきた。


「そうか」


 エスピラも、顔を下げ、そして横に逸らして返した。

 唇を巻き込み、鼻から深く息を吸い、同じく深く吐き出す。


「そうか」


 同じ言葉を、もう一度だけ。


「会戦の日時は決めないでおきましょう。日時と場所を指定するのも男らしい戦い方ではありますが、私たちの戦い方ではございません。最後まで、私達らしく。全力で。どんな手でも使って、戦いましょう。しかし、雪が積もる前に、ですので十番目の月の中頃までにはですかね」


「そうだな」


 明るいのはアイネイエウス。暗いのはエスピラ。

 立って、月明りに照らされているのがアイネイエウスで暗がりにいるのはエスピラだ。


 衣擦れの音が、数度。

 アイネイエウスが動いたことが、エスピラが見ずとも耳で分かった。


「エスピラ様。私にもしもがあり、家族に危機が及びそうになれば家族を頼みます。母は……グラム家に嫁いだ者として殉じてしまうかも知れませんが、その時はそれで構いません。ですが、幼い娘が殉じるのは忍びない。娘から親が居なくなるのも想像するだけで胸が張り裂けそうだ」


 言いながら、アイネイエウスは絵画を掴んだ。


「私は、敵将ですよ」


「それでも、勝手ながら友のように思ってしまっております。カルド島に来て、貴方のエリポスの功績を聞いてからずっと。私は、一方的に貴方のことを知っておりましたから」


 ふうっ、とやや強く息を吐いて、アイネイエウスが絵を、親しい者を慈しむように掴んだまま揺らした。


 それから、離れる。


「この絵も。いえ、この絵ぐらいしか残せませんが、是非、持って行ってください。名も無い芸術家崩れの、精魂込めた遺作です。どこか埃の被る隅にでも置いておいていただければ、それだけでその画家も報われましょう」


 エスピラは絵を見て、それからこちらを向こうともしないアイネイエウスの後頭部を見た。

 垂れそうになる視線を、必死に引き戻す。


「家族の肖像画ならば、父親も居て然るべきだ。名もなき画家に、そう伝えてください。家族の欠けた家族の肖像画など、私は保護したくもありません」


 そして、アイネイエウスから目を切って立ち上がる。

 静かに、音も無く。背を向けて。


「三日後にまた来ます。完成していなければ、また別の日を」

「別に、会戦は三日と待たずとも構いません。お好きな時に取りに来てください。そちらも、暇ではないでしょう」


 視線は感じない。

 アイネイエウスは、外か絵画を見ているのだろう。


「……そうですね」


 エスピラも、アイネイエウスを見ようとはせずに歩き出した。

 すぐに玄関に到着する。


 引き戸に手を懸けたところで、声。

「今宵は月が綺麗です。私がカルド島に来て以来、一番の輝きですよ」


 エスピラは、少しだけ手を戸から離した。

 指先だけがかかっている状態になる。


「もっと綺麗に見える場所を知っております。半島に来られることがあれば、案内いたしましょう」


 そう言って、エスピラは再び腕に力を入れた。

 戸を開けて、外へ。寒気の出迎える、冷たい夜へ。


「楽しみにしています」、と。できもしない約束を本気で遂行できるかのような声がエスピラの背を押して行った。


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