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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十一章
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誘い

 軍団を集め始めたエスピラがまず行ったのは『褒美を与える理由を探すこと』である。


 プラチドとアルホールらには探すまでも無い。これまでの功績を褒め称え、彼らが奪ってきた財を分け与えれば良いのだ。


 マルテレスの軍も問題は無い。フィフィットとトランテを打ち破った功績や、結局スアウリーアを落とした功績を称えて給金を出せば良い。私の管轄外だから思いきったことは出来ないんだ、と少し減らしても問題ないのである。そこは、マルテレスなどに頼んで彼らに花を持たせるためとか言いつつ少し出させれば良いだけなのだから。


 スーペルらにも大丈夫だった。

 神官を守っていたことは大功であるし、クイリッタがある程度見繕ってくれていたおかげでもある。


 一番困ったのはヴィンドの軍団だ。

 もちろん、ヴィンドには功はある。ファリチェやジャンパオロも問題は無い。


 問題は、ラシェロなどが監督するエスピラに刃向かった部隊。

 エスピラは、結局ラシェロらには無し、という形にした。無し、と発表して、されど少しだけ豪華な食事を詫びとして用意する。落として、少し上げたのだ。


 とは言え、許されていると思われては困る。怒っている、許してはいないと言うことを伝えねばならないのだ。アレッシアの神々を裏切る行為であり、アレッシアの元老院に認められた権限を勝手に無視した愚か者だと叩き込まねばならないのだ。

 それでいて、裏切られないように気を配る。不仲になりすぎないように引き締め、甘やかし、適度な『飢え』で戦闘に向けた意欲を高める。


 それを、兵だけで五万人に迫る者達に対して。


「八万とか。コルドーニ様はどうしていたのだろうな」


 四日前に届いた愛娘たちからの手紙を読み返しながら、エスピラは嘆息した。

 アグニッシモとスペランツァの双子からは文字ではなく絵が届いている。


 豪華すぎる紙の使い方だが、マシディリもクイリッタもこちらに居る以上、止められる人物が居なかったのだろう。


「少なくとも、コルドーニ様はエスピラ様ほど手紙を書かれてはいなかったのでしょう」


 シニストラが静かに言う。


 それもそうだな、と返しつつ、エスピラは外している革手袋に触れた。まだ少しだけ乾かしたい程度に湿気っている。ような気がした。

 同じく乾かしている左手は、相変わらず他の部位に比べて白い。緑色の血管も良く見える。ただ、此処二年ほぼつきっぱなしだった歯形は、もう一つも無かった。


 エスピラが顔を上げる。シニストラの顔も入り口の方へ。耳には、整然とした足音が届いている。


 エスピラは左手を布でくるんだ。机の上で動かさなくてすむように配置も気を付ける。


「エスピラ様」


 入ってきたのはヴィンド。

 護衛も奴隷もつけていない。


「何があった?」


 問えば、ヴィンドが体の向きを変えずに天幕の入り口に目を向けた。

 エスピラもシニストラに目を向け、頷く。シニストラが丁寧に礼をして、それから静かに素早く天幕の入り口へと向かって行った。外に居る者を五歩遠ざけてから戻ってくる。


 シニストラがエスピラの後ろに到着するのを待ってから、ヴィンドがエスピラに近づいてきた。手は机に。されどエスピラの左手には近づかないように。


「とある画家が、エクレイディシアにて文化財を保護したエスピラ様を見込んで話がある、と。羊のいない羊飼いが伝えて参りました。その画家はエリポス人とハフモニ人の混血らしいです」


(アイネイエウスか)


 羊飼いは、アイネイエウスに忠実なグノートかも知れない。


「まさかここに来ている訳ではないよな」


 ヴィンドが頷いた。


「はい。ジッベリーナ山の中腹。曲木のある斜面の小屋にて待っている、とのことです。できれば、小屋に入るのはお一人でお願いしたいと申しておりました」

「大雑把だな」

「エクレイディシアでアレッシアの手に渡った絵画『望郷を謳う羊』に描かれた場所だと言えば分かる、とも申しております」


 あの木の板か、とエスピラは思った。

 曲木を見つめるようにも見える羊の絵である。


「今日か?」

「太陽が山に消えてからの時間であれば明日でも明後日でも。もっと後でも大丈夫だと」


 そうか、とエスピラは頷いた。


「罠でしょう」


 行こうとしているエスピラの雰囲気を察してか、シニストラがすぐにそう言った。


「アレッシア人を暗殺すればどうなるのかはオノフリオ様の一件で良く分かっているはずだ。それに、カルド島を統治しようとしているアレッシアの貴族がカルド島に住まうモノの頼みを怖いからと断る訳にはいかないだろう?」


 オノフリオはタヴォラドが独裁官だった時に副官だった者である。

 奴隷の軍団を率いてマールバラ以外のハフモニの軍団に対して成功を収めていたが、会戦では無い所で命を落とした。

 そのため、彼の率いていた奴隷の軍団は散り散りになり、山賊が増えると言う結果になりはしたが、アレッシアの民はマールバラに対する敵意をより明確にした事件である。アレッシアとハフモニで揺れていた者の多くをアレッシアに引き戻すことになったハフモニの悪手の一つなのだ。


「罠でしょう」


 エスピラの言葉を受けながらも繰り返し、シニストラが剣に触れ、短剣に触れ、既に整っている準備の確認を始めた。

 もう止めはしない。そう言うことだろう。


「ファリチェとヴィエレにソルプレーサを中心としてマシディリを支えるようにそれとなく伝えておいてくれ。もしも、が生じた場合だ。深刻にはならなくて良い。それが終わり次第案内を頼む。シニストラはいつも通り私を守ってくれ」


「かしこまりました」

 二人の返事が重なった。


 エスピラは軽く頷き返し、革手袋に触れる。ヴィンドは静かに、焦らず、しかし素早く天幕の外に出て行った。


 天幕に人が近づいてくる音がする。それが護衛のものであり、入ってこないと確信してからエスピラは左手を覆っていた布を外した。革手袋をはめ直し、一等品の羊皮紙と真新しい葦ペンを取り出す。


 内容は近況をただ短く記すモノ。

 箇条書きのようにだけまとめ、マシディリとクイリッタの様子も印す。二人とも、良い子にしている、と。


 苦労を掛けるがこれからも頼む、と締めて、エスピラはペンを置いた。


「警戒されているのでしたら、取り止めになった方がよろしいかと思います。名誉も名声も、失ったところでエスピラ様の命があれば取り戻せますが、命が無ければ何も手にはいりません」


 シニストラが淡々と、されどやや俯き気味に言った。眉も少し寄っている。口も、尖り気味だ。


「読んだのか?」


 そんな連れに、エスピラは冗談めかして笑いかけた。


「一番良い羊皮紙を使い、他の者への言葉を紡いだ葦ペンは絶対に使用しない。そこまでしてエスピラ様が文章を書かれる相手など、たった一人しかおられません」

「それなりの頻度で書いているじゃないか」

「急いで書き上げることなどただの一度もございませんでした」


 軽く言うエスピラと、重々しいシニストラ。


 結局最後まで対照的でありながら、準備の時は終わる。時間としても丁度良く、軽い引き継ぎと「気分転換」と称すには丁度良い時間。仕事の量。


 それを見越して、エスピラは天幕を出た。

 陣地の外でヴィンドと合流する。


 途中の小屋でペリースを外し、農民に扮してからジッベリーナ山を登り始めた。


 木々と小石。それから暮れていく陽。

 ヴィンドが先導して松明で道を照らし、ニベヌレスの被庇護者二名が最後尾でこれまた松明を持つ。エスピラとシニストラが農家の荷物に偽装した武器を持ち運び、ステッラが主人のような格好で中団を行く。


 そうして曲木に着いたときにはすっかり陽が暮れていた。


 風は弱く、やや肌寒い。星々は空に輝いており、見上げるのを邪魔する木々は何一つ存在していなかった。道も綺麗で、湿気もほとんどなく匂いも澄んでいる。


 人影も、無い。


「では、行ってくるよ」


 荷物からペリースを取り出し、羽織ながらエスピラは足を進めた。

 シニストラだけがすぐ後ろをついてくる。


 が、それも途中まで。


 小屋まで数メートルの所でエスピラはシニストラを止め、渋る様子を見せる彼に笑いかけた。それからは一人で。


 薄い木の板に手をかける。


 気配は一つしかない。が、上手く隠れられていたら分からない。暗殺者ならばうまく隠れているだろう。


(神よ)


 小さく祈り、エスピラは戸を横に引いた。

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