ズィミナソフィア
イフェメラの説得は楽だった。
エスピラの家であったことを説明するだけで全てが終わったのである。
父親の言うことが分かっていたのか、エスピラ同様に家長同士がこの調子では上手くいくものも上手くいかなくなることを察したのか。
どちらにせよ、イフェメラは手を引いた。初陣の時はエスピラの下で戦いますと約束して。それで全てが完結した。後は各々。エスピラはマフソレイオへ行く準備を整えマフソレイオに向かい、イフェメラがどうなったのかはもう把握していない。
「何と言うか、豪華な面子だよな」
正装がしっくりとこないのか、首元や袖のあたりをいじりながらマルテレスが言った。
石造りの控室では着付けを終えた奴隷が後片付けを行っている。
「一応、女王陛下への御挨拶だからな。少なすぎず多すぎず、アレッシアの未来を担う者を用意するか、本当に重鎮を並べるしかないだろうさ」
エスピラはトガを垂らして、左手を完全に隠した。
「未来を担う者か。むず痒いねえ」
なんて言っているものの、マルテレスの顔は嬉しそうである。
エスピラの口角が意地悪そうに上がった。
「護衛の意味も強いだろうがな」
「そこで落とすなよ」
「落としちゃいないさ。タヴォラド様もサジェッツァも人並みの腕はあるが一騎当千の猛者じゃない。私も正面切っての戦いは不得手だ。ニベヌレスの兄弟たちは良くも悪くも並み。フィルフィア様は剣よりも本が好きだからな」
フィルフィアはタイリーの四男、元処女神の巫女パーヴィアとの子である。
「そういや此処には世界最大の図書館があったな」
「そう言うことだ」
奴隷と目を合わせて、外を確認してきてもらえば既に準備が整っているとのことだった。
控室を出て、石造りのアーチの天井がある廊下に出る。
マルテレスのオピーマ一門と同じように有力な平民であるアルモニア・インフィアネやフィルフィアの友人らしき新貴族オルロ・ノウムス、メルアの遠縁にあたるシニストラ・アルグレヒトが既に準備を終えていた。
流石は名門と言うべきか、ニベヌレス兄弟は堂々としている。
「顔を売る必要があるってことか?」
マルテレスが吐息のかかる距離でエスピラに聞いてきた。
護民官選挙の対策としてだろうとエスピラは判断する。
「家に力があるのはシニストラだけだ。後は普通に振る舞えば良い」
「ニベヌレスだってそうだろ?」
「あの家はメントレー様の力が絶大だ。息子たちが何か言ったとしても意味は無いさ」
「古き良きアレッシアね」
皮肉交じりの呟きは足音で消えるほどでしかなく。
「揃ったか」
使節団長となっているタヴォラドが鉄のような声と共に全員を見回した。
後ろにはフィルフィア、副団長のサジェッツァは離れたところで目を瞑っている。
(フィルフィア様とオルロ様は図書館の中身を写本するのが役目。ニベヌレス兄弟は形だけ。サジェッツァとマルテレスはここから護民官選挙の指揮を執る、と)
アルモニアは交渉に長けているらしいので、タヴォラドと共にマフソレイオの商人と小麦の買い付けについて話すと言うのは把握している。最年少の十七歳のシニストラは奴隷が入れない場所などでの代わりと言う貧乏くじだ。
「今更諸兄に注意や説明など不要であろう。だが、あえて言わせてもらうならば『アレッシアの威信を示せ』。以上だ」
言い終わると、タヴォラドが踵を返して先頭を進み始めた。サジェッツァが続き、エスピラはその後ろ。二人の右斜め後ろに。隣にはフィルフィア。
タヴォラドとサジェッツァ以外は最高官位が財務官であるが、回数や年功序列を無視してエスピラが使節団の三番目に列せられているのはタイリーの力、サジェッツァの意向、何よりもマフソレイオの女王に気に入られていると言うのが大きい。
廊下を進んでいけば、エスピラにとっては見慣れた広間に出た。
全体的にはオレンジ色に近い光に満ちている部屋である。正面には大きな椅子が二つ。向かって右側に王、左側に女王。女王は落ち着いた金髪で、王はそれよりも色味が濃い。目の色は落ち着いた青。瑠璃紺の瞳。
いつもと違うのは一回り小さい椅子が女王の左側に用意されていること。座っている者の瞳の色は女王と同じだが、髪の毛は栗色。まだまだ幼い少女であり、アレッシアの使節団を前にしても堂々としているのが末恐ろしいくらいである。
タヴォラドが足を止めると、エスピラは膝をついて頭を下げた。
タヴォラドとサジェッツァだけは頭を下げずに立ったまま。あくまで王と対等。むしろそちらは壇上に座っているのだからそれで良いだろうとでもいうような態度である。
「遠路はるばる良くぞ参られました。さぞ、お疲れでしょう」
女王、ズィミナソフィア三世が先に使節団を労う。
女王の夫であり父たる王からの声は聞こえない。
「遠路とは言え、その先には我らが朋友が居るのです。疲れることがありましょうか」
いつもよりも親しみやすさの籠っている声でタヴォラドが返す。
「その言葉が本当ならばうれしい限りです。折角の皆様をもてなす宴も、主賓がお疲れでしたら盛り上がりに欠けてしまいますから」
「宴を用意して下るとは。ありがたい限りにございます」
「ただの宴ではなく、我が後継者の紹介の意味も籠っておりますから」
交渉に入る前に、条件になる前に。
アレッシアに幼き後継者を認めさせるために使節団を受け入れたのだろう。
拒否することは基本あり得ないのだが、火種としかねないことはすぐにでも消す、アレッシアとの関係は重視していると言うアピールだとエスピラは判断した。
同時に、アレッシアの使節の用件も、ことによっては断ると。断っても仲が悪くなりにくいように、と。
「後継者と言うのはそちらに座られているお方でしょうか」
タヴォラドが丁寧に聞いた。
「ええ。我が愛娘、ズィミナソフィアです」
ズィミナソフィア四世、とタヴォラドは元老院に報告するだろう少女が椅子から立ち上がった音がした。
「初めまして。ズィミナソフィアと申します」
それから、壇を下る音。
近づいてきた気配が、エスピラの傍で止まった。
幾つかの視線と、後方からの意識が向けられる。
「この言葉は、覚える必要がありますでしょうか?」
それまでのエリポス語から一転。
プラントゥムの言葉でズィミナソフィア四世がエスピラに話しかけてきた。
エスピラは顔を上げる。瑠璃紺の瞳としっかりあった。
「必要かと」
エスピラもプラントゥムの言葉で返す。
「ハフモニか、ハフモニとの戦争が終わればアレッシアが占領するのではないかと母上が良く話しておられます」
先程よりたどたどしい言葉になったのは、あまり練習をしていないからか。
それでも、五、六歳で他国の言葉を習得しているのは早すぎるぐらいだ。
「マフソレイオの宮殿はエリポス語でしか通じない場所が多くございますが、市井に出ればエリポス語は余り通じず、マフソレイオの言葉が必要になってきます。例えアレッシアがプラントゥムを占領しても、同じことが起こるでしょう」
エスピラはプラントゥムの言葉のまま、速度を落として返した。
「ならば、どの国の言葉を覚えるべきでしょうか」
ズィミナソフィア四世が聞いてくる。
「マフソレイオの言葉は?」
「既に」
と、マフソレイオの言葉で返ってきた。
「アレッシア語も」
「勿論」
次はアレッシアの言葉。
「ならばマルハイマナがよろしいかと。国境を接し、互いに仮想敵国としているのであれば交渉をする機会も多くなりましょう」
「それでは下に見られませんか?」
「アレッシアは常に貴方の味方です」
顎を引くようにズィミナソフィア四世が頷いた。
それから、壇上に戻っていく。
「何を話していたのですか?」
椅子に座ったズィミナソフィア四世に、現女王であるズィミナソフィア三世がそう聞いた。




