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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十一章
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多方面戦線

「棄却される可能性は高いと思っていたが」


 言いつつ、エスピラは書き上げた手紙達に手を伸ばした。


 カナロイアか、ジャンドゥール。あるいはメガロバシラスを動かすかマルハイマナを追い立てるか。あるいは、マフソレイオにまた借りを作るのか。

 ドーリスは無理だろう。あの男は、のらりくらりと自分の利益も築き上げなければ動きはしない。裏切ることだってする。


 ならばいっそのこと、フラシに積極介入してハフモニ北方に親アレッシアの国を作ってしまうか。フラシの立地なら、プラントゥムも睨みつけられる。思い入れも無ければ心は痛まないし、何よりフラシの者達があまり持ったことのない物をエスピラは多量に用意できる。


(いや)


 元々、これはどちらに転んでも良い策だったはずだ。


 どうあがこうが、プラントゥムの軍団が来るのは最速でも冬を越えてから。物理的にもそうなるのだ。政治的な思惑や、どの派閥がどこに力を発揮したいのかも加味すればもっと遅くなるのが普通。


 それに、多数派の形成に失敗しても土壌ができた。グライオ救援への道筋にもしっかりとなったはずである。何より、エスピラが対価を支払わずにことを進められたのが一番の成果とも言えるのだ。


「対処すべきは、脱出用とも思われる小型櫂船か」


 呟いて、エスピラは唇を摘まんだ。


「逃げようとしている、と噂を流せばよろしいのでは?」


 シニストラがこともなげに言う。


「こちらが木材と鉄の流通を監視していることはアイネイエウスも知っているはずだ。その中で、わざわざ露見する可能性の高い所から切り出し、急速に完成させたと言うことは、その噂を流すことを待っているのでは、とも思ってね」


「エスピラ様が考え過ぎることを狙って、とも考えられるかと。念のためお聞きいたしますが、アイネイエウスが脱出用の船を用意していると噂を流されて、どう好転させるのでしょうか」


「やはり噂が流れた、と言って相手の動きを見抜いているんだと見せつける、とかか?」


「エスピラ様。そうこじつけられるだけの証拠があり、政治的な闘争もある中でそのような危険を冒してまでそのためだけに使いますか?」


「誰かを迎えに行く、と言うのもあるか」


 エスピラ、ソルプレーサ、シニストラ。この三者の頭に真っ先に浮かんだのは、マールバラ・グラムだっただろう。


 だが、エスピラは脳内で即座に否定した。


 ディファ・マルティーマに設置している防御陣地の内、トュレムレ側であり、かつ海側に敷設していたバーラエナなどの陣地は落ちたのだ。アレッシアとをつなぐ街道の抑えでもあるアクィラなども半分以上が既に落ちている。


 二年、で考えるのであればディファ・マルティーマに確実にたどり着けるのだ。

 しかも、アレッシア本国も神殿もエスピラが二年かけてカルド島を占領するモノだと考えている。最速でもエリポスの時のように人気最終年の冬が来る前に帰るだけ。この状況でもマールバラと通じている愚か者ならば、それより短縮するとは思わないだろう。


 何より、ハフモニとしてはカルド島を失陥してもディファ・マルティーマを奪い、メガロバシラスの息を吹き返させれば状況は好転する。カルド島だって奪い返せる。そう考えていてもおかしくは無い。


 ディファ・マルティーマにはメガロバシラス随一の良将アリオバルザネスが居るのだ。

 適当に人さえ集めれば、ある程度の計算が立つ。そこに、後から正規兵が加わればそれで勝ちだ。


「考えるのは、後にしようか」


 とん、とエスピラは左手の指で机を軽く叩いた。

 それがよろしいかと、とソルプレーサが小さく腰を曲げる。


「まずは犠牲者に哀悼を捧げ、アレッシアの神々に祈る。既に神官は到着しているから問題はない。高速機動後の物資の補充も既に完了した。同時に、カルド島の民から信を得ていることと背後を狙ったところでこちらが引かずとも街は耐えられるだけの力があることを示せている。裏切り者を出さないための引き締めも行った」


「ジュラメント様は御不満のようですが」


 言うな、とエスピラはソルプレーサに目を向けた。

 しかし、エスピラが心から信頼できる者達しかいない状況下であればソルプレーサは止まらない。止まるような男ではない。


「民のために、民を想って、民が嫌います。確かに良き言葉でしょう。ですが、民とは自分の要求だけを伝え、勝手に期待し、裏切られれば口汚く罵る連中のことを指しております。圧政、搾取は論外ですが、顔色を窺い、腰を曲げてへりくだるのも話になりません」


「ジュラメントはそのような男ではない」


「そうでしょうか。結局、あの者には土壇場での胆力がございません。誰かに促されれば動きますが、それだけです。思えばロンドヴィーゴ様も愚かな民に促されて動くような人でした。勝手に人を集め、兵を集め。自分が出ればどうにかなると思っている。最早、ウェラテヌスにとって姻戚である利点は乏しいかと」


「解消した時の損失の方が明らかに大きい、とは、言わなくても分かるよな」


 ソルプレーサが慇懃に腰を曲げ、肯定を示してきた。

 エスピラは溜息を吐きそうな雰囲気を出しつつ、アイレスへの手紙を手に取る。


「その話は軍団内にどれぐらい広まっている?」


 羊皮紙を険しい顔で見ながら、一言。

 ソルプレーサの方から衣擦れの音がした。


「ヴィンド様が火消しに動いておりましたので、これまではあまり公にはなっておりません。イフェメラ様も、その話題にはすぐに噛みついてきますので多くの者は口をつぐんでおります。ですが、酒が入るごとにジュラメント様は「エスピラ様の義弟」とくだをまき、特に愛人に対しては愚痴が多くなっているそうです。その鬱憤が兵に向かわず女性関係のみに向かっている所が、軍団としてはまだ幸いなところでしょうか」


「義兄としてはカリヨをもっと大事にしろと言いたいところだがな」


 一応、怒りを露わにして。

 ポーズであることはソルプレーサも分かっているだろう。半分は本音だが、声の圧ほど怒ってはいないこともカリヨにも非があると思っていることも理解しているはずだ。


 ただ、息抜きにはなる。

 仮にソルプレーサにも思うところがあっても、留飲をある程度は下げてくれるのだ。


「いや、カリヨもジュラメントも、もっと自分の娘に興味を持ってくれないものかな」


 それから、本気の嘆きがエスピラの口から零れた。


 ルーチェ・ティバリウス。エスピラにとって姪に当たる少女は、時折「ルーチェ・ウェラテヌス」と名乗っているとリングアやチアーラの乳母から聞いている。他の奴隷も耳にしているらしく、その度にエスピラに注意すべきか否かの訴えがやってくるのだ。

 家内のことなので、奴隷が訴えてくるたびに優先的に対応し、エスピラの時間が削られているのも事実なのである。


「カリヨ様にはヴィンド様が居りますし、ジュラメント様にとってもルーチェ様は些か扱い辛いのでしょう。そこにエスピラ様と言う面倒見の良い伯父が居れば、任せきりになるのも致し方ないかと」


 嘆いているようだがアンタにも責任があるぞ、と暗に言われ。

 エスピラは眉をあげ、困ったな、とシニストラを見た。ルーチェに関してはエスピラの子供でも無ければアルグレヒトの血も引いていないので特になにも思っていないのか。私はそうは思いませんが、とシニストラは静かに言うのみである。


「まあ、甥や姪は生意気だったり見下してきたりする年上が多かったが、ルーチェは違うからね。結婚まで面倒をみることもやぶさかではないよ」


「親子を想うならばそれこそやめるべきでしょう」

「ルーチェを思えばこそ、と言う話でもあるよ」


 ゆっくりと目を閉じ、一拍置いて目を開けた。

 葦ペンも手に取り、再び手紙に向き合う。


「そう言えば、小麦の高騰を予想して溜め込んでいる商人や金持ちがいるそうだ。アルモニアも交渉に当たっているが、緩急は必要だろう。ソルプレーサ。どのような手段を使っても良い。民の飢えを自分の腹を膨らませるのに使う者どもから小麦を吐き出させろ。不当に価格を吊り上げる奴らに、真面目に生きていれば自身の懐に入るはずだった分の財や食糧まで提出させろ。飢えの苦しみを、味わってもらえ。

 私が提供している商人への利益や優遇は、こんなことでは無いと。理解していただこうじゃないか」


 そして、手紙の内容とは関係ない話をソルプレーサに申し付けた。


「属州政府へは?」

「既に連絡済みだ。だが、商人や金持ちに借金がある者もいるらしいからな。無駄に動きがとろい。故に、カルド島の民はどちらが良いかをカルド島の神殿勢力を使って民に直接尋ねている」


「それはそれは。ならば、私はアルモニア様とのみ相談し、事を進めたいと思います」

「ああ。頼んだぞ」


 信頼を口にし、同時に他国の王への手紙を書き終える。


 日を置いてやってきたソルプレーサが持ってきた報告はこの件では無く、またもやある程度証拠が揃っている内通の噂であった。


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