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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十一章
403/1591

賭けに出たのは

 エスピラらの先鋒は当然ネーレ。対してアイネイエウス側はフィフィットとトランテと言う、アイネイエウスの意見を良く聞く者だと分かったのは動き出してから。野営陣地を築かせている山中でのことである。


(移動速度から見ると、各部隊に物資が配備されているか)


 簡易的な地図に石を置いて。頭の中で道中を思い描いて。

 エスピラは、そう推測した。


 同時に、それならばアイネイエウスが強権を握っている訳でも無いことも、軍団に無理矢理にでも指示を聞かせられる可能性が低いことも分かる。


「最後方にグノート。アイネイエウス自身は中軍でしょうか」


 ソルプレーサが言いながら、簡易的な地図の二か所を叩いた。

 その最後方として叩かれた場所も、既にエスピラらが見下ろしている道を越えている。


「グノートは、少年時代にはアイネイエウスに頼み込んで食事を恵んでもらうくらいの家だったらしい。しかも、親や兄ではなく、四男であり兄弟と母が異なるアイネイエウスに、だ」


「貧乏な若造。そして、実績に乏しく血筋も良くない。となれば、百人会に近い将軍はほぼ軽んじ、そうでなくとも意見を尊重する者は少ないでしょうね。アイネイエウスに忠実なのも、ただ阿っているだけ、と言われかねないと思いますし」


 ジュラメントが淡々と補足して来た。


「能力と血筋が無い上に才能があると言われても居ない十代後半からカルド島までのエスピラ様、と言う訳ですか」


 他の者が言いにくいであろうことをソルプレーサが言い切った。

 ソルプレーサに視線が集まっていくが、エスピラは苦笑しながら「そうだな」と肯定する。


「ただ、アイネイエウスはマルテレスには及ばない」

「義兄上も、恵んでもらったことが?」


 義兄上をやや強調しながらジュラメントが少し道を逸らしてきた。


「マルテレスが勝手に狩りの成果や催事の残りを私にくれただけだ。建国五門が一つウェラテヌスの当主が、育ち盛りで腹がすいたから何か恵んでくださいと他人に頭を下げられるはずが無いだろう?」


 話は終わりだ、とエスピラは空気で訴えた。

 その空気を察してか、イフェメラとヴィエレが前に出てくる。


「師匠。ネーレ様とカウヴァッロ移動後にぬかるんだ地面ですが、幾つかの迂回路を検討しました」


 言いながら、簡易地図で一本ずつ、計五本の経路をイフェメラが説明する。地元の者の見立てでは何人ぐらいまでなら問題なく道を通れるのか。どれくらい増えてしまえばぬかるみ、足を取られてしまうのか。


 朝焼けは雨の兆候の通り、本当に雨に降られてしまったのだ。

 特に山中は観天師を持ってしても意見がいくつも分かれることがあり、なおかつ観天師自体を各隊に分けていた。加えて、シジェロなどの占い師は置いてきている。


 大きな支障が無いことは事前の占いや観天師たちによる長期の予測で分かっていたが、こういった細かな予想外は得てして起こり得てしまっても仕方が無いのだ。


 まあ、正確には『雨が降ること』が予想外だったのではなく、『雨によって此処まで地面が使えなくなること』が予想外だったのではあるが。


「少し、慎重すぎるんじゃないか?」

 と、ジュラメントがイフェメラに言いながら、「この辺りには無かったのか」と聞いた。


「雨で動けなくなる影響はハフモニの方が大きい。その辺りだとまだかち合う危険性があるだろ」


 イフェメラが言って、「ですよね、師匠」と目を輝かせて言ってきた。


「結局のところ、相手のすぐ後ろを通過しようとしている時点で常に危険性はあるけどね。まあ、まだ戦う訳には行かないからイフェメラの判断を私は優先したいよ」


 エスピラの言葉を受けて、イフェメラが胸を張った。ジュラメントは綺麗に頭を下げ従うことを明示した後、イフェメラに呆れたような視線を送っている。イフェメラは、それに対して「ふふん」とでも言いたげな表情を浮かべた。


 後は誰がどの経路を通るのか。道案内は誰がするのかを定め。


 それから、観天師に師事しているヴィエレに一度天気を見てもらってから行動を開始した。


 先に移動するのは第一陣の片割れであるジュラメント。イフェメラもついて、一番本来の予定に近い経路を行く。

 次はピエトロとヴィエレが隣接する二つの経路を使い、エスピラら第三列が最後に行動を起こす。最後だからこそ、敵に近いと思われる経路を使用すると決めて。

 最も近い経路は破棄した。ただし、何かがあって千名以上の進軍が不可と判断した場合にのみ一度道を戻り、その部隊がその経路を使うとだけ決める。


 そうして、思わぬ機動停止から数時間後には再びアレッシア軍は動き出したのだった。


「父上」


 ヴィエレの判断で第二列から第三列に移って来たマシディリがエスピラを呼んだ。


「疲れたか?」


 聞きつつ、エスピラは自身の匂いを嗅いだ。

 汗臭い。が、他の者もそうであるためある程度は致し方ないかと思いつつマシディリには近づかない。


「いえ。荷物は父上が持ってくださっておりますのでそのようなことは言っていられません」


 生真面目にマシディリが言う。

 僅かな休息の最中にある第三列は、既に並び始めていた。


「一人の遅れは大勢の迷惑になる。状況が、ではなくお前の疲れの程度を教えてくれないか?」

「疲れはございません。あと二日でも三日でも駆け抜けて見せます」


「そうか」

「私が申し上げたいのは、それだけの日数をこの軍団が走り続けられるかどうか、です」


 体力的な問題では無いだろう。


 メルアがどの程度読んでいるかは分からないが、恐らくエスピラの書いている伝記をしっかりと読み深めている一番手はマシディリである。乳母を始めとする家内奴隷の話や元敵でありマシディリの先生の一人であるアリオバルザネスの言葉を総合すると、そうなるのだ。


「どういうことだ?」


 聞きながら、エスピラはしゃがんだ。

 マシディリが近づいてくる。視線は周囲へ。近くに人が居ないかを窺っているようでもある。当然、エスピラの近くにはシニストラが居続けるのだが、それはもう気にしていないのだろう。


「四万や五万の人が踏みしめたのならば、雨が降った後もその地面は荒れるはずです。それなのに、五つも新しい経路が見つかった。これは、アイネイエウスの軍勢が伸び切っている、あるいは分割して個別に進んでいる、と言うことでは無いでしょうか」


 無い話では無い。が。アイネイエウスがするにはリスクに対して返ってくる利益が少なすぎる。

 少なくとも、エスピラはそう考えているのである。


「マシディリも、アイネイエウスの軍団は見えているほど兵数が無いと言うことは分かっているよな?」


 何より、本人がマルテレスに説明したのだから。


「はい。そして、父上はアイネイエウスが前回同様に大軍勢を自分の指揮下に置くための策を練ってくると想定しておりました。

 ですが、例えば相手がアイネイエウスではなくアリオバルザネス将軍だった場合、大軍勢を指揮下には置かず自身の命令を聞く軍団だけを選び、残りを捨てます。

 そして、父上もその手段を取る方です。アイネイエウスもまた父上のことを研究しているのであれば、父上と同じ手段を父上の思考の外を攻めるために選択してもおかしくはありません」


 エスピラは目を細めた。

 この話を、行動を開始した今言うということは。

 出発前は思いついていなかったのか、今でも自信が無いが言わないと後悔するからか。

 それとも。


「何故、今言った?」


 推測を全て横に置いて、エスピラはひとまず愛息に尋ねた。


「経路を発見したのはヴィエレ様とイフェメラ様です。私は、イフェメラ様には良く思われていないようでしたので、確証の無い推測ばかりの話で余計な反感を買い、また軍団の空気を悪くはしたくなかったのです。父上は、私に甘いと、皆が申しておりましたから」


「相談を怠ったことによる損失を考えての行動か?」

「確実に空気を悪くすることによる損失の方が大きいと考えての行動です」


 なるほど、とエスピラは左目だけを細くした。

 大きいままの右目は、これから進む先に向ける。


「イフェメラ様は、父上にとって必要な人材です」


 マシディリが言う。


「この軍団に居る者は皆私にとって必要な人材だよ」


 そう返し、エスピラは立ち上がった。


「伝令!」


 エスピラが声を張り上げれば、鎧をつけていない男が五人駆け寄って来た。

 一糸乱れぬ動きでエスピラの前に片膝を着く。


「スーペル様、ヴィンド、オプティマに伝えろ。持ち場の死守が最優先だ。今は、まだ早い。とな。これは、執政官としての言葉だ」

「かしこまりました」


 伝令がもう一人男を加え、去って行く。


「オプティマ様、ですか?」


 マルテレスではなく、と言う疑問だろう。


「勘だよ。マルテレスの嗅覚を私は信じている。だから、マルテレスを命令で縛ることはしたくないだけさ」


 愛息にそう返し、エスピラは再び第三列に号令をかけた。

 そして、その進軍が止まったのはほどなくして。


『ハフモニの軍勢が近くに居る』


 その報が、斥候からもたらされてのことだった。


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