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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十一章
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十一歳

「ちなみに、俺だったらパンテレーアに残る軍団を背後から強襲するけどな」


 マルテレスがマシディリに投げかけた後、やべ、リンゴ酒だ、と慌てて酒を下ろした。

 すぐにエスピラの傍を離れ、別の酒を見繕い始めている。


 エスピラは、飲んでも構わないけどね、とだけ言っておいた。マルテレスは「いいよいいよ」と手を振るだけ。


 話しても大丈夫でしょうか? とでも言いたげに視線を向けてきた息子マシディリに、エスピラは良いぞと視線を返した。その愛息の後ろではカウヴァッロが干し肉を摘まんでいる。



「アイネイエウスは慎重であり、機を待つだけの忍耐力がございます。何より、こちらはパンテレーアがしばらく落ちないのを知っておりますが、アイネイエウスはいつ落ちるかも分かっておりません。今、落ちているのかどうかすらも分かっていないのです。


 他にも父上が敢えて落とさず誘っている。あるいは落ちていないふりをしている。様々なことが考えられる上に父上とマルテレス様が親友であることは知っているでしょう。スーペル様が父上の下で働いたことがあることも知っているでしょう。


 その状況にも関わらず自分の軍団が今の状況では突っ込む可能性は低く、防御陣地群の堅牢さも聞き及んでいればますます攻撃に移ろうとする気は削がれると思われます。


 もちろん、マルテレス様がおっしゃる通り強襲されないとは言い切れませんし、有効な手であることに変わりはありませんが、ヴィンド様もヴィンド様。食糧と財を陣地に蓄えることで強襲を受けた後に相手の統率を乱そうとしているとおっしゃられておりました」



 目の前の戦利品を奪うことに必死になり、またその戦利品を奪う機会を指揮官が奪おうとすれば恨む。そうして相手を足止めしつつ指揮系統を乱し、あるいは信頼関係にひびを入れる。傭兵主体なら、特に効果てきめんだろう。


「ちなみに、マシディリはアイネイエウスがどう動くと思っているんだ?」


 リンゴ酒ではない酒を探し当てたマルテレスが、エスピラの横に座り直しながら酒を傾けた。


「戦場に先に布陣するように見せかける動きをすると思います。アイネイエウスも父上が会戦に乗ってこないことは理解しているはずですから。その上で自軍の士気を高め、本国からの消極的だと言う批判をかわさないとなりません。それには先に戦場を見繕う形を作るのが一番でしょう」


「何よりも動かざるを得ないってか?」


「はい。此処で動かなければ、カルド島に居る親ハフモニ派からも軍団に収容してしまったカルド島の民からも『味方を見捨てた者』、として見られてしまいますから」


 動けば罠にはまる可能性が高いのに、動かざるを得ない。

 それが、今のアイネイエウス。ハフモニ軍のカルド島駐屯部隊。特に、両の港町の失陥はあらぬ憶測をハフモニ本国に招くのだ。


 もちろん、積極的にそれをまき散らすのはエスピラであるのだが。


「優秀だなあ」


 と、笑ってマルテレスが立ち上がった。

 行き先はマシディリ。乱雑に頭を撫でている。


「褒めて頂いているところ申し訳ないのですが、あくまでも推測です。本当にアイネイエウスがそのように動く保証はありません」

「でも兵数に関しては心配する必要は無いんだろ?」


「ええ。まあ」

「なら別に良いじゃないか」


 最後はぽんぽん、とマシディリの頭をやさしく叩き、マルテレスがエスピラの方を向いた。


「で、お父さんはどう思っているんだ?」


 すっかりとマルテレスのペースになったことについて、最初にエスピラと話をしていたネーレは何も言わない。ある程度慣れたようである。


「アイネイエウスにとってはスカウリーアとパンテレーアを攻め落としてほしいとまでは言えないが、今の不能な状態にあることは望ましいはずだ。なんせ本国と連絡が取りにくいからね」


 他の将軍がアイネイエウスよりも本国の顔色を窺う可能性が低くなるのだ。

 しかも、最終的に奪われなければ大きな失態にはならない。この落ちそうで落ちず、されど利用はできない状況こそがアイネイエウスにとっての最善である。


「そう聞くと、本当に安全に移動できそうな気がしてくるな」


 笑いながら、マルテレスがネーレに酒を勧めた。

 ネーレが口をつけ、持ち上げる。喉は動いていない。いや、少しタイミングがおかしい。

 多分、実際には飲んでいないのだろう。


 マルテレスがシニストラに勧めないのは、シニストラが酒に弱いことを覚えているからなのかどうか。


「少々お酒を控えられては? 相手がこちらにとって最善の状況を整えてくれる。つまるところ、罠か、何か事情があるのか。そこまで考えたアイネイエウスがその後も単純な行動を取る訳が無いと誰しもが思いつくことでしょう」


 天幕の隅で蝋燭を奪うようにして読書をしていたクイリッタがぶっきらぼうに言った。

 占いのためにと従軍しているシジェロの監視役となっている愛息は、夜だけは基本的にエスピラの下に来てくれている。


「言えてるな」


 しかし、マルテレスは豪快に笑って受け流した。

 楽しそうな調子のまま、クイリッタに近づいてくる。


「ちなみにだが、クイリッタはどうなると思っているんだ?」


 エスピラは、陽気な友人に向けていた視線をネーレに変え、小さく肩をすくめて書き続けていた紙を手渡した。ネーレが慇懃に受け取り、軽く目を通しただけで服に仕舞う。


「知りません。私のやるべきことではありませんし、私の興味の対象でもございませんので」

「いやいや。アレッシアで出世しようと思えば必要だぞ?」

「酒を勧めるな」


 エスピラは視線を戻し、友人にくぎを刺した。

 少しだけ顔に赤みが出てきている友人は、悪い悪い、と歯を見せて笑い返してくる。


「サジェッツァ・アスピデアウス。あの程度の戦技術で良いのなら私でも盗めます。それで十分でしょう。戦いが終わるまで兄上が逆立ちしていても、私には勝ち目がございませんから。やるだけ無駄です」


「自信満々と言えば良いのか、諦めが早いと言えば良いのか」


 マルテレスが嘆息する。



「トリンクイタ様は父上の最も優れた能力は吸収力とそれをすぐに出力できることだとおっしゃられておりました。兄上も同じです。馬術、剣術、戦術。そして、交渉術。恐らく元老院議員に今の兄上が混ざっても上位の実力でしょう。ただまだ体が出来上がっていないが故の体力不足のみが課題となるはずです。


 翻って、私はどうでしょうか。


 馬術。乗るだけ。

 剣術。弟に簡単に負ける。

 戦術。無理矢理引っ張り出したアルモニア様に忖度されてしまいました。


 しかし、口先に於いてはその後に叱られたとは言え、父上を走らせることに成功しております。顔も、兄上よりも私の方が幾分か良いでしょう。審美眼だって父上よりはマシです。母上に睨みつけられた回数は兄上よりも上です。


 私には私だけの活躍ができる場所がある。それは、戦場ではございません。此処に私が握るべき剣はございません。ただそれだけのお話です」


「十一歳?」

 と、マルテレスがクイリッタを指さした。


「はい」


 クイリッタが堂々と受け止める。


「末恐ろしいねえ。俺の息子たちよりも賢いよ」

「父上の軍団でも働けるのはマルテレス様の御子息の方でしょう。私は、どう考えても高速機動についていくことはできませんから」


 クイリッタが話は終わりと本に目を下ろしたが、マルテレスは気づかなかったかのようにクイリッタと肩を組んだ。

 クイリッタの目が丸くなる。


「どっちかくれ、エスピラ。オピーマの後継者にしたい」

「どっちもやらん」


「ケチ。じゃあリングアをくれ」

「『じゃあ』などと言う輩に渡すものは何もないぞ?」


「あー、と、娘! クイリッタと俺の娘を婚姻させてくれ」

「父上とマルテレス様の仲を考えれば、双方ともに利は薄いでしょう」


 エスピラよりも先にクイリッタが断った。


「多分美人だぞ。ほら、何度か見ただろ。ナターシャ。カルド島で出来た俺の新しい愛人の。シジェロ様の占いでは生まれてくる子は女の子だからさ、絶対かわいい子になるって。親の贔屓目無しで」


「母上、チアーラと身近に素晴らしい女性が居る影響で私の目は肥えております」


 クイリッタはマルテレスから逃れようとするかのように体を動かしていた。が、がっちりとした腕に捕まれて離脱は叶わないようである。


「ユリアンナが泣くぞ」

 と、マルテレスが酒を飲みながら笑った。


 ディミテラの名を挙げなかったのは、きっとユリアンナを挙げなかったのとは別の理由であろう。


「どうせ泣きつく先は兄上ですから。頑張ってくださいね」

「まずは反撃が来そうだけどね」


 マシディリが珍しく冗談めかしてクイリッタに返した。

 いや、珍しく思うのはエスピラだから、なのかもしれない。もしかすれば、兄弟間ではいつものことである可能性も捨てきれないのだから。


「本当に、兄上は父上に似ておりますよね」


 クイリッタがそんな兄の発言をそのままマルテレスに持っていく。


「お? じゃあ、クイリッタが俺に似ているってか?」


 エスピラが人前でも平気で冗談を言う相手としてのマルテレスと、マシディリが人前でも冗談を言った相手としてのクイリッタ。


 そういうことだろう。


「ご冗談を」


 マルテレスがクイリッタを抱きしめるために腕を広げた隙に次男が脱出して、エスピラの前まで来た。


「父上。私の結婚相手は母上よりも美しく、されど黙って私の後をついてくる裕福な家門の方を望みます」


「一生結婚できないのは、ウェラテヌスにとっても痛すぎる損失だな」


 そう、エスピラは笑って返した。

 マルテレスが「自分の妻以上に綺麗な女性なんていないってさ」とさらに笑いを重ねる。


『ディミテラ』


 クイリッタが暗に示したのは彼女のことだろう。


 エリポス随一の美女であったアグネテの娘にして、人質でもある故か物静かであまり反抗はしない。それでいて自分の意思はしっかりとある女性。それが、ディミテラだ。


 クイリッタが本気で意図してかどうかは分からないが、エスピラには少なくともそう思えた。同時に、ディミテラと結婚を認めるにはまだ無理だとも。


 愛人にする分には文句は言わない。子供を作っても構わない。してほしければ協力だってする。

 が、ウェラテヌスの当主としては利益の無い結婚に優秀な人材を使う訳にはいかないのだ。


(ディミテラに、価値を、っと)


 脳内のやること一覧に於いて、その優先順位を高くして。

 エスピラは会話を楽しみながらも新しいパピルス紙を取り出して、ハフモニ在住の商人への手紙を書き始めたのだった。


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