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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十一章
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空気を変えるもの

「そいつぁあ嬉しい言葉だ。よろしくな、イフェメラ様」


 白い歯を輝かせて笑ったのはオプティマ。

 距離があるから不可能なものの、タッチするかのように浮かんだ拳に、イフェメラも戸惑いながら遠くで合わせていた。それを受けて、オプティマが豪快な笑みを見せる。


 それだけで先程までの不穏な空気は吹き飛んだ。

 いや、オプティマが吹き飛ばした。


「良い人だな」

「俺に似て?」


 と言うふざけたマルテレスの返しに、エスピラも呆れたような笑いを返してやった。


「で、どうします?」


 会話を戻してきたのはジュラメント。

 ディーリーを嵌めるためだけかと思っていた愛人との関係は、夏を越えても続いている。


「まずは二日攻めようと思う。もちろん、全力でね」

「既に手筈が整っているのでしょうか」


 聞いてきたのはマルテレスの軍団の者。


「難しい質問だな」

 と、エスピラは笑った。


 幾人かに疑問の色が浮かぶ。


「そうだね。二日間で落ちる手筈は整っていない、と答えるべきかな。だから、力押しをするだけさ。全力で。ただし、兵は損なわない。こんなところで命を懸ける必要は無い」


「落とす気は無いのですか?」

 との質問もマルテレスの軍団の者から。


 さも自分たちは意図を理解しております、と言う顔をしているエスピラの軍団の者達も、果たしてどれだけ分かっているのか。


「落とすつもりで戦うさ。だが、まだ落とさなくても良い。目的はアイネイエウスを討つことだ。アイネイエウスさえ除ければ、カルド島にあるハフモニ側の街など幾らでも手に入る。逆にアイネイエウスを討てなければ、幾ら取っても取り返される可能性が残り続ける。

 大事なのは優先順位を違えないことだ。何につけてもね」


 言葉にしてはいないが、幾人かは元老院との権力争いを思い浮かべただろう。


 その上で、大事なのはアレッシアが勝つことだと。


 あるいは、イフェメラやディーリーの発言を受け、それでも団結して勝つ方が大事だと説いたように見えたか。


「マルテレス様。エスピラ様との最初の取り決めを覚えておいででしょうか」


 ヴィンドが会話に入ってくる。

 軽い調子で、それこそ良く焼けた肉が目の前にあっても様になる雰囲気で眺めていたマルテレスが、ヴィンドに顔を向けた。


「最初? 取り決めって言うと、なんか嫌な響きだけど、エスピラとは昔からの友達だからなあ。あ、エスピラを守るってのは男の約束だから心配しないでくれ」


 ヴィンドが丁寧な所作で首を横に振り、否定を示す。


「執政官として、カルド島に来た時の取り決めです」


 その言葉を聞いて、ああ、とマルテレスが大きく頷いた。


「優先軍事命令権をエスピラに。戦場での臨時の指示は俺が優先的に。ってやつか」

「はい」


 慇懃に肯定し、ヴィンドが言葉を続ける。


「エスピラ様ならばアレッシアに勝利をもたらす、と信じての言葉なのですよね?」


「もちろんだ。エスピラが神の子でもいつも絶対に正しい判断を下すわけでも無く、人の子でたまに間違うことも知っているけど、俺はそれでもエスピラを信じている。崇めろ、と言われても崇めないけどな」


 と、最後はエスピラに向けて軽口を。


「崇めてくれ」

 と、エスピラは冗談めかして言った。


「ははー。明日は俺を崇めてくれー」


 マルテレスも軽く返してくる。


 困惑の色は、九年前にカルド島に居なかった者から多く。されど、全員ではない。


「ちなみにですが、マルテレス様。仮に私が執政官であり、エスピラ様の命を受けているから私に優先軍事命令権をください、と言った場合は如何致しましたか?」


 緩んでいた空気が、再びやや苛烈になる。

 行き先はヴィンド。


「エスピラはそんなことしないさ。だから渡さない。大体、エスピラが誰かを派遣して、『私の言う通りにしろ』なんて言うと思う?」


「思ってはおりません」


 言って、ヴィンドが深々と頭を下げた。


「試すような真似をしてしまい、申し訳ありませんでした。


 流石は執政官。流石はエスピラ様の無二の友人。


 その慧眼感服する所であり、その堂々たる様、アレッシア人として誠に参考にするべき男児だと心より感じ入っております」


(流石だな)

 と、エスピラは思った。


 オプティマも確かに空気を変えた。

 彼の人柄で変えた。一気に、明るいモノに持っていった。これもまた才だ。


 そして、ヴィンドも空気を変えた。

 その場ではなく根本として。計算して。上同士の信頼関係を明示し、マルテレスに語らせることで双方をより高めた。その上で、今のエスピラの右腕とも言われている男がマルテレスに頭を下げたのだ。


 しかも、戦術的な目標を詳しく聞く機会を逸させている。人が多すぎるとして話したくないことを話さないままで良いようにしている。


 マルテレスも、やめてくれよ、と言いながらもまんざらでもない様子だ。


(ニベヌレスの格も上がっているしな)


 交易によって財を成した者を蔑む今の元老院議員。

 そんなアレッシアの根本にある意識を気にせず、力のみによってマルテレスを認めたニベヌレス。


 もちろん、元老院議員の全員がではないし、認めたニベヌレスと言ってもヴィンドだけだが。


「パンテレーアは一度攻めるとして、だ。ウルバーニ。夏の間の仕込みの調子はどうだい?」


 エスピラもその流れに乗り、大事なことは説明しないままに新たな謎を皆に渡した。


「今すぐ結実するかは分かりませんが、十分に土壌は整っております」


 ウルバーニの声が少しだけ裏返った。

 それでも、言葉の終わりにはしっかりと地に足着いた調子に戻っている。


「そうか。では、元老院にプラントゥムにも人・物両面での支援を行うように掛け合うとしよう」


 一番大きな反応を示したのはイフェメラ。

 ば、と、大きな衣擦れの音を立ててエスピラの方にやや身を乗り出している。目も大きい。


「あそこはマールバラの弟が二人もいるからね。しかも、軍勢も恐らく六万は残っているだろう。対してペッレグリーノ様は一万五千居るかどうか。その数で半島への侵攻を防いでいるのは流石だが、そろそろ厳しいはずだからね」


 エスピラは、そのイフェメラに視線をやってやさしく言った。


「父上が、ついに!」


 イフェメラが歓喜の声を挙げる。


「そんなに喜んでもらっているところ悪いが、利用している面もあるよ。

 何せ、ペッレグリーノ様は軍事面に於いてタイリー様と並び評されていたお方。そのような方にアレッシアが万全の支援をしたとなれば、ハフモニも気が気では無いだろう?」


「いえ! 元老院は父の言葉を真に受けて、支援を友好国に任せているだけでしたから!」


 一部の民会も援助はしていたが、それでも元老院のお墨付きが無ければ兵は増やせないのだ。もちろん、普通は、の話であり、エスピラは度々破っている。ペッレグリーノも、現地で少しばかり徴兵をしているはエスピラも把握しているところだ。


「プラントゥムを制すればその功はエスピラ様に並ぶモノになる。軍事力でもマルテレス様に対抗する切り札になり得る。そう言う論の進め方でよろしいでしょうか」


 ウルバーニが割り込むように聞いてきた。


 エリポス制圧とカルド島の占領に並ぶ功など無い、とイフェメラがウルバーニを睨みつける。ヴィエレもイフェメラに加勢した。ウルバーニの腕が一瞬内側に引き締まったが、堪えている。硬そうな握り拳も見えた。


 とは言え、ウルバーニも否定しづらいだろう。


 否定すると言うことはイフェメラの父親を否定することに捉えられてもおかしくは無い。難しい言葉選びを迫られているのだ。


「例え話だよ、イフェメラ。それに、歴代の功を数えれば私がペッレグリーノ様に並ぶことなど畏れ多い」


 あまり試すのも悪いので、エスピラは助け舟を出した。

 イフェメラの雰囲気が元に戻る。


「いえ。私は師匠も父上と同じかそれ以上に尊敬しております」

「ペッレグリーノ様には伝えてやるなよ?」


 子に言われると悲しいぞ、とエスピラは笑った。

 続けて、想像したくもない、と肩をすくめる。シニストラが「大丈夫でしょう」と大真面目に言った。ソルプレーサは顔を逸らして早く終わらないかな、と態度で示してきている。


「今すぐやることはこのあたりかな」

 

 苦笑いを浮かべながら、エスピラは家族の話になりそうだと辟易した様子を見せている被庇護者を気遣って話を終わらせにかかった。


 それから、シジェロによる占いのカレンダーを取り出す。

 運勢は、悪くは無い。


「準備を整え次第、すぐに攻撃に移ろう。くれぐれも、こちらに死者は出さないようにね」


 言って、エスピラはカレンダーを仕舞ったのだった。


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