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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十一章
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理解

「完璧だよ、マシディリ。もう任せても良いかもな」

「お戯れを」


 言って、マシディリが頭を下げた。耳が少し紅い。


「この場には、父上と父上の信任が厚く私も良く見知っている方々しかおりません。ですから、このように私の口が回るのです」


(クイリッタか)


 ただ、子供たちは一人一人得手不得手が違う。何も比べることじゃないとエスピラは思っているが、それでは納得しないだろう。


(難しいな)

 子育てとは。


「しかし、なんと言うか。高度ですね」

 と、ファリチェが言う。

 マシディリは頷きつつも、目を僅かに動かして口を開いた。



「確かに長く練られ、積み上げられては居りますが、自分にとってしっくりと来る考え方ひとつに出会うだけで紐解きやすくもなると思います。私にとっては、全ては基礎に基づいているだけだ、と。簡単な基礎にどうやって落とし込むかでしか無いと言う思いがあればこそ、紐解きやすく思えているのです。


 例えば、マールバラの包囲殲滅作戦も槌と鉄床戦術だけでなく、この考え方でも当てはめることが出来ます。


 包囲、つまり外周を回ることで実際に戦う味方の兵力は多くでき、相手を内側にすることで戦える兵を少なくする。相手同士の距離を詰めさせることで振るえる武器を減らす。囲っているので相手は満足に食事をとる時間がない。そのような精神状態に無い。


 問題は、相手も分かっている基礎にどう持っていくか。当てはめるか、ではあるのですけれど……」



 生意気なことを言って申し訳ありません、とマシディリが謝った。


 ファリチェとヴィエレが慌てて謝罪を返している。非常に分かりやすかった、と。そう言う考え方もあったのか、と。

 流石はエスピラ様の子供にして後継者だと。ウェラテヌスを継ぎし者だと。血が濃くつながっておられる、と。


 マシディリの笑みは、少しだけぎこちないように見えた。


「私はまだ論ずるだけであり、何事も為しておりません」

 と言うマシディリの言葉は、二人の被庇護者にはあまり届かなかったようである。


 そんな二人を窘めるように、被庇護者としても先輩であるソルプレーサの咳払いが聞こえた。相変わらず足音無く、静かに多くの者に気づかれずに入って来たようである。


 それを証拠にファリチェとヴィエレの指は伸びており口は薄く開きそうだ。目も黒い部分が大きい。後ろのシニストラは、変わらずの不動なのか物音一つなかった。


「エスピラ様」


 ぼそり、とでも言うべき声量にも関わらずはっきりとした声でソルプレーサが呼んできた。

 空気がぴりりと締まる。


「ディーリー様がハフモニと接触していると言う噂と、証拠とも言われている木の一つを持ってまいりました」


 言葉の後でエスピラの前に置かれるのは切り取られた木の幹。暗号らしき文字が書かれている。


「またあの男ですか」


 ヴィエレが桃色の歯肉を露わにした。ウェラテヌスの名を穢そうとする不届き者め、と唸っている。爪どころか指までが掌底に突き刺さりそうなほどに拳が硬くなっていた。

 ファリチェの口は閉じているが、表情は真剣な状態の時の常のモノ。


「他にも数人の噂がございます」


 その後にあげられたのは、ブレエビの処刑に伴い罷免された者達も含まれていた。


 ヴィエレの鼻筋には皺が深く刻まれ、小刻みに動いている。

 ファリチェの眉間にも皺が寄せられた。が、こちらは攻撃的ではない。


「こちらの兵数を削減する策、だろうな」

 と、エスピラは呟いた。


 はっ、とヴィエレが歯肉を口内にしまう。ファリチェの目もエスピラに。


「ああ、確証は無いよ」


 さらりと言いつつ、エスピラは木を手に持った。


「こちらが一枚岩じゃないのは知っているだろうからね。政治的な闘争もまた露わになってきたことも把握していてもおかしくは無いさ。だからこそ、偽手紙などの策は予想していたけど。随分と早いな」


 随分と早いな、の前に大きな溜息を吐いて。

 エスピラは、木を机の上に戻した。


「早いと不都合なのですか?」


 聞いてきたのはファリチェ。


「サルトゥーラあたりの職務に忠実な者を利用して偽だと言う確証を掴ませようと思っていたけど、こうも早いと余計な奴らも介入しかねないってことさ。後は、こちらが向こうの増援を防ぐことをどこまで予想しているのか。それに、現実以上の高い評価をしかねないっていうこともあるね」


 噂の中では会議もしにくい。

 名前の挙がっている者達は多かれ少なかれエスピラに牙を剥いた者達なのだ。当然、そんな者たちをあまりにも信じすぎれば軍団から不満の声が上がり、嫌悪の目が彼らに向かう。

 かと言って排除すれば、本当に離反しかねないのだ。


(予想外の手ではないが)

 タイミングは完璧だ。


「如何致しますか?」


 ソルプレーサが慇懃に尋ねて来た。


「芝居を打とう」


 とん、と指で机を軽く叩いてからエスピラは続けた。


「噂の人物の数を増やす。並行して、気にしていない旨を私が噂の人物たちに伝えつつ、ブレエビの下で私の命令を破った者はその罪を忘れていないことも匂わせる。それから、私が逆に離反を利用する策を組み立てていると言う噂も流そうか」


 おお、と感動するファリチェとヴィエレとは対照的に、ソルプレーサが嘆息する。


「折角労力をアイネイエウスに向けられると思っていたのに、分散されてしまいましたね」


 兵力の分散だ、と思ったのか、ファリチェとヴィエレの顔が今度は引き締まった。


 エスピラは口元に右手を当てつつ、全くだと呟いた。思考のため流れていく目は、愛息に行きついて。何とはなしに癒される目的で眺めていれば、マシディリは背筋を伸ばしてやや緊張していったようにも見えた。指もしっかりと丸められている。


(論は完璧か)


 むしろ、出来過ぎなぐらいだ。


 それから、思い浮かぶのはマルテレスの軍団の面子。能力。生まれ。役割。調査を担当した被庇護者が抱いた各々の感想。


(なるほど)


 これは、アイネイエウスの思惑を完全に外せる手だ、と。

 その後に生じる不利益は、戦後にのみ訪れる。しかし、その不利益もやりようによっては利益となってしばらくのちに返ってくるのだ。問題は、自身を慕う者たちの忍耐。


(信じるより他あるまい)


 上の者がやるべきことの一つは、腹を括ること。

 そのために人々の上に立っている。


「休暇中の軍団の雑務は全てマシディリに任せる。決済に必要なウェラテヌスの印は既に指輪があるから問題ない」


 決定事項だ、と言う響きを持ってエスピラが言った。


「父上!」

「かしこまりました」


 マシディリの悲鳴のような声と、ソルプレーサとヴィエレの慇懃な声が重なった。

 ファリチェは遅れて頭を下げている。

 マシディリは、諫言役のソルプレーサの即答に対し、らしくない視線を向けていた。


「マシディリ。軍団には休暇を与えている。兵に与えたこの休みは絶対だ。つまり、今やるべきことは基礎。難しいことでは無い」

「しかし」


 言って、マシディリが口を閉じた。

 否定することへの恐怖か。期待を裏切ることへの後ろめたさか。あるいは、もっと別の。


「論だけ、と言ったな、マシディリ。ならば実践の場を与えるだけだ。何。ファリチェとヴィエレもつける。困ったことがあればアルモニアに聞くと良い。もちろん、私でも構わないさ。


 何より、私はマシディリが実践が少ないとは思っていないよ。


 ディファ・マルティーマにおけるアスピデアウスへの反感の軽減。マシディリが行ってくれたこれは、カルド島の民に対する行動を策定する際に大いに役立った。べルティーナやパラティゾを動かして船団を出現させたのもマシディリの力だ。


 問題ない。いや、むしろ問題を起こしてくれて構わないよ。お前は出来過ぎている子だからね。息子の失敗を拭って、「流石父上」と私も言われてみたいのさ」


 と、最後は少しふざけて。

 シニストラが「エスピラ様は寂しいのです」と言えば、マシディリは頷くしかできなかったのだろう。


 息子の善性を利用したことを父親としてのエスピラと個人としてのエスピラは大いに反省しながらも、当主としてのエスピラとアレッシアを憂うエスピラはマシディリと言う楽しみな才能に経験を積ませられる結果に満足して。


 軍団長としてのエスピラが己に最後の苦言を呈す中、エスピラは笑顔で「じゃあ、頼む」と告げたのだった。


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