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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十一章
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奴隷と自由民

「それは」


 どっちの意味でしょうか、と訴えるようにスクリッロの目が左右に動いた。


「私は随分君達に財と時間をかけている、と言う話だよ」


 軽く言ったエスピラに対し、スクリッロの空気は重くなった。

 エスピラも、実際には鳴らさないものの鼻を鳴らすように笑い、また少しスクリッロとの距離を詰める。


「失敗は構わないさ。絶対に失敗するな、だなんて、人に課すことじゃない。失敗に関してはどう繰り返さないようにするか、と失敗した後に周りがどう助けを入れられるか。そして、失敗した者が素直にそれを報告し、助けを求められるか。焦らずに挽回できるか。それが大事だと私は思っていましてね。


 だが、それ以前の問題ならば財はもちろん時間も何らかの形で返してもらう。


 属州政府の設立・教育には少なくない財と時間がかかっていますから。それだけの手間をかけ、私にしてくれた信頼を私も信頼で返したい。君達を信じている。だからこそ、カルド島の者で中核を作ってくれと頼んだつもりだったのだが、非常に残念だよ」


「……それは、本当なのでしょうか」


 言いにくそうにスクリッロが言った。

 目はかろうじてエスピラから逸れていない。

 トラディメントはスクリッロ直々の推薦ではないが、属州政府の高官に違いないのだ。


「疑うのはご自由に。調べることも止めは致しません。ですが、迅速に頼みます。

 私の軍団には優秀な者が多い。イフェメラやカウヴァッロなどの戦闘はもちろん、アルモニアのような交渉と調達が上手い者、ヴィンドのように何でもこなせる者も居る。


 そして、何よりもカルド島に於いて功が大きいのは此処に居ないソルプレーサと此処に居るファリチェです。

 片や情報網の敷設に尽力し、私の耳目として常に情報を集めている。その情報を集める作業に一役買っているのがファリチェの土地把握であり、常に敵に対して優位を取れているのはファリチェが私達に土地勘を与えてくれるから。そして、ソルプレーサを始めとする被庇護者が一方的に敵の位置を把握してくれているから。


 確かに、軍団として、戦う者としてはグライオが居ないため一人足りない、一手足りないと言うことはたくさん実感してきました。ですが、それがそのまま人材不足に繋がる訳ではありません。


 将軍。


 はっきりと言いましょう。誤解を恐れず言いましょう。


 カルド島は私に従わなくても生きていけます。生きていけない者は、刃向かう者と裏切った者のみ。


 ええ。私たちも貴方がたの協力無くしては此処での戦いが厳しいモノとなりましょう。貴方がたがハフモニと団結すれば追い出される可能性もありましょう。だからこそこうして警戒もしておりますし、だからこそ万が一には全力で叩き潰さねばなりません。

 無論、私は平和を望んでおります。貴方がたの力も理解している。それ故の警告なのです。


 知っているとは思いますが、元老院は私のことが嫌いでして。

 何故か。

 それは彼らの権力を私が脅かし、その生命、名誉までをも脅かしかねない存在だからです。


 例え味方でも、そう思われている。もし。仮に。私の言葉の裏付けを君達が取り、対策を打つ前に元老院に露見すれば、流石に私も庇えない。潰すしかなくなる。例え、行き先が泥沼でも。


 将軍。もう一度、私が属州政府の高官に相応しい者として出した条件を思い出して務めてほしいな」


 優秀であっても、アレッシアに敵対する可能性があれば足を引っ張るだけ。優秀である分、下がり幅も大きい。

 ならば、少し能力が落ちても忠実である方が大事なのである。


「申し訳、ございません」

「いえ。こちらこそ。気分を悪くされたでしょう」


 このタイミングで、扉がノックされる。

 入って来たのはカルド島の神官。「お茶以外なにも無いと聞きまして」なんて言いながら早取れのりんごを幾つかエスピラの前に出してくれる。当然、スクリッロにも。

 そして、「では、終わりましたら」と言って帰って行った。


 エスピラは、スクリッロと目を合わせた。

 それからりんごに目を落とし、やや眉が険しくなったスクリッロに対して右手のひらを向けながらりんごを指した。


「折角のご厚意ですから。あと、私の好物ですので差し出されたら食べたいなとも思ってしまっております。申し訳ありません」


 笑いながらも、エスピラは手を戻した。

 あくまでも頼み込むように。童心に帰ったような我儘を言うように。

 その実、私のためにいつもの行動を少し曲げてくれないか、とも取れる行動を。


「…………いただきます」


 言って、スクリッロが手を伸ばした。

 切り分けられたりんごを細い棒で突き刺し、口に入れている。


 咀嚼し、味わい、喉仏が動いてスクリッロが一言感想を言うのを待ってからエスピラもやっとりんごに手を伸ばした。酸味と甘みが、じゅわりと果汁と共に広がる。


「そう言えば、妻からもそろそろりんごが無くなると怒りの手紙が届いておりましてね」

「すぐにでも、手配いたしましょう」


 のんびり言ったエスピラに対し、スクリッロがすぐに言った。


「ありがとうございます。かかった費用はきっちりとお支払いいたしますので、なるべく早めでお願いしてもよろしいでしょうか? その分割増しになっても構いませんよ」


 スクリッロは忠誠心を試すようなエスピラのやり方だと思っていたのかも知れないが、そんなつもりは無い。いや、零ではないが、そのようなやり方でカルド島を統治するつもりは無いのだ。


 カルド島はエリポスと違う。

 大事なのは、以後、カルド島がアレッシアから離れないこと。


「それから、報告書にも目を通しましたよ。私が却下すべき事柄はほとんどありませんでした」

 と、エスピラが言うと、控えていた奴隷が厚い紙束を机の上に置いた。


 その様子を横目で見ただけでエスピラは続ける。


「ただ、奴隷の買い増しに関しては数を少し変えたいと思っております」


 そして、自分の懐からパピルス紙を取り出す。

 机の上に置き、奴隷が置いた紙束の中から対象の紙を探してスクリッロの側に向けた。


「大きな戦いが終結すれば奴隷の値段は安くなる。直近で言えば此処、カルド島の戦いが当てはまるでしょう。もう数年後を見据えれば、ハフモニとの戦争が。この時までに待てるのであればその方が財に余裕ができます」

「ですが」


 知っております、と言う少しの苛立ちの入ったスクリッロの言葉ではあったが、エスピラはそれを右手のひらを垂直に見せることで封じた。


 その右手を閉じながら横にずらし、口を開く。


「貴方がたが無駄遣いをしているとは言いません。私と貴方がたで見えているもの、必要だと思うものは違いますから。私の修正案が全くの現実が見えてない愚かな話だと言うことも十分にあり得えます。その上で言わせてもらっているだけですので、違うと思えば破棄してもらって構いません」


 と言っても、目の前で破棄できる者などそういないだろう。


 そんな自嘲染みた考えを持ながら、エスピラは緊急度を五段階評価した紙を指さした。一番下は後回しで良いもの。下から二番目は順番的に後回しになりかねないもの。一番上は絶対に必要な物で二番目が早めに必要なところだ。


「正直に申しましょう。奴隷の節約、買い控えは財の節約が一番の目標です。そこは当然ですが、もう一つ私が懸念することはこれだけ増やした時の奴隷の待遇です。


 カルド島はエリポスの流れを汲み、ハフモニの影響を大きく受けたこともある島。故に、アレッシアとは奴隷に対する意識が違うことは私も重々承知です。


 その上で言わせていただくのであれば、奴隷もまた大事な財なのです。少なくないお金と、維持費と、時間をかけて教育する。確かに彼らは奴隷だが人だ。大事に扱い、雇っている側が庇護者にならねばなりません。何かに傷つけられたら守り、訴えには耳を貸し、ちゃんとした衣食住を用意する。それが出来ねば雇ってはならないと私は思っております。


 私は属州政府の報告を見て、意見を聞いて、奴隷を受け入れる体制が整っていないように思えました。使い捨てなどと言う考え方はお止めいただきたい。


 まあ、あくまでも私の考え方ですので。無理ならばそちらの案を優先いたします」


 言い終わると、とん、と紙を纏めてスクリッロに渡した。


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