方針会議
「プラチドとアルホールが未だに帰ってきておりませんが、よろしいのですか?」
エスピラが微睡から戻ってくると、シニストラがそう聞いてきた。シニストラ自身はエスピラが記憶にある時と同じ場所に立っている。エスピラの手には読んでいたはずの手紙が確かに握られており、机の上には書きかけの手紙がそのままの状態で置かれていた。葦ペンだけは横にズレ、汚れないようにはなっている。恐らく、シニストラが動かしてくれたのだろう。
「構わないさ。あの二人は確かに作戦提案は少ないが、理解度は高いからね。百人隊長を務めていたと言うこともあって経験も豊富だ。単独で動いてもらっても戦果が期待できる二人だよ」
何より、二人とも三十の後半を迎えてから自発的に十歳近く年下のエスピラにエリポス語を習いに来たのだ。そんなことはそうそうできることじゃない。そういった部分を、エスピラは尊敬している。
「ところで、私はどれくらい寝ていた?」
「三十分も寝ていないと思います」
時間としては、会議には十分に間に合う時間らしい。
「会議の時間を少々遅らせましょうか」
シニストラがエスピラの顔を覗き込むように、しかし背筋は伸びたまま聞いてきた。
「いや。帰る必要は無いよ」
「しかし、エスピラ様が昼寝をされるなど。私は初めて見ましたので」
くすり、とエスピラは楽しそうに笑った。
「メルアと居る時の私は、度々朝のパン配りをマシディリに任せているぞ?」
「それは、また話が違うのではないですか? その、流石に私も朝一にエスピラ様の邸宅を訪ねるのは遠慮してしまいますが」
「父祖への数少ない不満は防音対策を練らなかったことだな。住んでいない今、丁度改築している所だよ」
ははは、と笑うエスピラに、シニストラが「メルア様と居ればそれだけでエスピラ様の疲れも取れますので今とは大きく違う、と申しているのです」と大真面目に言ってきた。
シニストラの眉は下がっており、眼光にも力はほとんど入っていない。
「すまない」
と、エスピラは笑みを止め、素直に謝った。
「だが、そう心配しないでくれ。私の傍には君が居る。君が居るからこそ、気を抜いても大丈夫だと心の底から思えているんだ。君が傍に居て、誰が私を害せる? 誰もいないさ。誰もいない。それほどまでに信頼しているんだよ、私の剣であるシニストラをね」
シニストラが信奉しているのは鉄と武具の神ウェルカトラ神。
その信奉者にとっては武具の一つ、鉄器の一つ一つが神の意思の宿る信仰の対象であり、感謝を捧げる存在なのだ。
「そこまで気を遣っていただき、誠にありがとうございます。しかし、マシディリ様のことも考えれば、エスピラ様が疲れ果てるのは少々よろしくない事だと思います。マシディリ様は、エスピラ様に良く似ておりますから」
シニストラがしっかりと頭を下げ、それから同じくらいしっかりと目を合わせてきた。
その目は真っ直ぐであり、十人居れば十人がシニストラの言葉に偽りはないと答えるだろう。百人居ても結果は同じだ。
「その言葉は非常に嬉しいが、マシディリは私と違って綺麗だ」
「それはエスピラ様の願い、いえ、期待がそうだからでしょう。
ウェラテヌスは『期待』を裏切らない。
エスピラ様が自身に課しているその思いを、マシディリ様もまた自身に課しているのです」
「課している、か」
「……申し訳ありません。言葉が悪かったとは思っております」
「そう深刻に捉えないでくれ。それではシニストラの方が気にしていることになってしまう」
笑って、エスピラは立ち上がった。
少しだけ体を伸ばし、ペリースを整え革手袋を巻きなおす。
「まあ、今日はゆっくりと休めるはずさ。やっと、今年の刈り入れを待たずして冬を越せる算段が付いたからね。全く、元老院め。マフソレイオからの支援だけで此処にいるアレッシア人七万を賄えるだなんて思っていないよな」
五万の軍団と、それを支える二万人。アレッシア市民権を持つ者はもっともっと数を減らすが、この二万には奴隷も含んでいるため、そうでなくても語弊はある。
「元老院は何を考えているのでしょうか」
「人の足を引っ張ることだな。本当に、アルモニアが居て助かった」
食糧を引っ張ってくるのに、非常に活躍してくれて。
商人たちが戦争が長引くからと溜め込んでいた小麦を出させることに成功したのだ。
アルモニアの交渉の成果でもあり、エクレイディシアに於ける偶然の好機に上手く付け込めたからでもある。
本当はウルバーニに元老院からの支援を引っ張ってくる試みをしてほしかったところではあるが、致し方ない。言っていないのだ。指示していないのであれば、そこに思考が行かないのも仕方が無いことである。
「焦らずとも刈り入れを待てば飢えなかったと思いますが、それでも決行したのはアイネイエウスを食糧攻めするためですか?」
皆との歓談で話していたこととは違うのに、と言うことだろう。
「選択肢の一つであり、相手の頭にあれば良いだけだよ。あとは今後の統治も考えて、変な商人に小麦がない方が良い。不正摘発の準備も行っているよ」
食を抑えることは権力の掌握にも繋がる。
そうさせないために、それだけの力がない商人からも小麦は奪うのだ。鉄も、木材も。
ただし、高騰はさせない。アレッシア側が暴利をむさぼり、贅を尽くすことは許さない。
「動きは変わるでしょうか」
「変わるだろうな。アイネイエウス単体ならば大胆に捨てることもしただろうが、思い出させる奴は多い。大胆な策に乗らない者も、その危険を冒した後に大きく傷を広げる者もいる。変わらざるを得ないよ」
「……心中、お察しいたします」
はは、とエスピラは頬を上げ口を開いた。
「私の話じゃないさ」
言って、扉を開ける。
四歩ほど扉から離れたところでソルプレーサが頭を下げていた。
ソルプレーサが近くに来たのは最近だろう。エスピラとシニストラの話し声が近づいてくるのが聞こえ、留まることにしたと言ったところだろうか。
「皆様、揃われました」
「そうか。ご苦労」
わざわざ伝えに来るのは軍団長の仕事ではないが、ソルプレーサはいつもやってくれている。
「スーペル様がルカッチャーノ様しか連れてこなかったとはいえ、エスピラ様を除き三十三名の大所帯となります。本当に作戦会議を行っても大丈夫でしょうか?」
漏れないのか、と言うことを言っている。
「どこかではやるしかない。それなら、早めに行うよ。その方が修正も効くからね」
トリンクイタを神殿側として招待しているのだ。
プラチドとアルホールは居ないとはいえ、マルテレスが高官全員を連れてくればこうもなる。
「ジュラメント様に新しい愛人を紹介したのはディーリー・レンドですが」
「カリヨに報告が行っていなかったよ。可哀想に。ロンドヴィーゴ様は僅かながらに残っていた権威も完全に失ってしまわれた。被庇護者も、僅かな財も。私も、流石に夫に裏切られた妻だと言われたらカリヨを止められはしないよ。
ああ、そうそう。サルトゥーラ・カッサリアにこのことについても説明はさせてもらったよ。流石に、ディファ・マルティーマ内の出来事とは言え責められれば面倒くさいからね。原因と、何がいけないのか分からないのなら君の妻にも話を聞くようにってね」
ただ、とエスピラは周囲を窺いつつ続ける。
「今回はジュラメントが一枚上手だったな」
「ジュラメントが?」
と、シニストラが繰り返す。
「カリヨにあえて知らせないことでディファ・マルティーマの権限を完全にウェラテヌスに移した。しかも、私と自身の評価をほぼ変えずに、だ。全ては妻カリヨと父ロンドヴィーゴの確執によるもの。そんな処理ができる。
加えて、私はしたくなかったディーリーへの監視もジュラメントが引き受ける形になったとでも言うべきかな。
協力するフリをしておきながらレンドに一撃を加えたのはジュラメントだ。彼の執着の幾ばくかはジュラメントが受け持つことになる。
私も友の信頼する者を攻撃などしたくなかったからね。
共に部下同士が争うのであれば、それは二人で止めるしかあるまい」
「考え過ぎでは無いでしょうか?」
シニストラがなおも怪訝な声で言った。
エスピラも笑い声を返す。
「そうかもな。だが、そのためのサルトゥーラだ。ディーリーだって追放はされないし、罷免も無い。罷免されては私も困る。それでも同じ平民出身でもあるサルトゥーラに何か言われれば思うところもあるだろうし、民会も黙っていない。仲良くはないみたいだしね。
しつけ、で済むところで介入しやすく成ればそれで良いのさ」
言っている内に人のいるところが近づき、エスピラは話題を終わらせた。
シニストラもソルプレーサも口を閉じる。
その状態で歩いて行けば、奴隷が頭を下げた後、中庭に作った天幕を開けてくれた。
一気に静まり返ったその場所に、エスピラは足を進める。
三十一名。夏。
熱気は凄く、湿気も高い。
エスピラの軍団はウルバーニが唯一緊張感が低いとも言えるが、ウルバーニも他の者から比べれば十分に高い部類だろう。
背筋を伸ばし、顎を淡く引き、足が揃っているのがエスピラの軍団の者。
足がやや開き、肩もゆったり。口元にも余裕があるのがマルテレスの軍団の者。
マルテレスの軍団は多様性があるが、背筋が伸び切ったり体が一本になっていたりする者はいない。誰もがどこかに余裕を作っている。
そんな二種の高官たちの一番奥にはマルテレス。
エスピラの位置はその左。立場的には下の席ではあるが、多くを待たせることによってバランスを取っている。
「集まってもらったところ悪いが、結論は単純だ。
インツィーアを、今度は我らが行う。以上」
そして、入るなりエスピラはそう宣言したのだった。




