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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十一章
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未来に向けて。

「正確に神の御意思を判断できるものではありませんが」

 と、シジェロが切り出した。


 エクレイディシアに臨時で作った設備なのだ。エスピラも、それは仕方が無いと思っている。


「『雷雨を凌ぐには新たな薪が必要。しかして、炎の中にある薪の数は幾つになるのか』と、出ております」


「薪が燃え尽きなければ聖なる炎の維持ももう少し容易く行えておりますからね」

 おだやかに言いつつも、エスピラは険しい顔を崩せなかった。


(トュレムレに反転されれば、グライオが危うい。されどこのままではディファ・マルティーマも危うい、か)


 エスピラとしては元老院にはもっとアグリコーラを攻める構えを見せるとか、ディファ・マルティーマに援軍を送って欲しかった。その要請も送っていた。が、無視されている。


 一方でマールバラの立場で考えれば、トュレムレを落としてもメガロバシラスが意見を翻すことは厳しい。トュレムレが半落ちの状態でディファ・マルティーマを手に入れるからこそ、エリポスを動かせる目が出るのだ。エスピラをカルド島に閉じ込めて置ければ、より可能性は高くなるのだ。

 それに、下手にトュレムレを落としてグライオを殺せば、元老院の腰が軽くなることも考えられる。


 アレッシアは剣でお返しする。

 人質は意味が無い。


 しかし、現状を見るに、エスピラの信任が厚かったグライオが生きていることが元老院の腰を重くしているようにも取れるのである。


「あまり思い悩まないでください」


 やわらかに。鳥の羽根と羊毛を高級な絹で包んだような声で、シジェロが言った。


「エスピラ様と言う炎は最早アレッシアと言う竈をしっかりと熱しております。そのために失ったモノもありましょう。アレッシアが失ったモノも多いでしょう。

 恐らく、もっと全体を俯瞰しろ、と神は仰せなのです」


 慰めか本気か。

 それは分からないが、シジェロの私的な思いを知らなければ素直に感謝出来ていたはずである。


(しかし、視野は気づかない内に狭くなってしまうモノだからな)


 どう言う意図があったにせよ、エスピラとしては気を付けなければならないことだ。


 常に、もっと広く。多くの可能性を。


「マシディリについてはどうでしたか?」

「『炎』そのもの。そのような人物であると出ております」


 炎、とはアレッシアの守り神である処女神を表すモノでもあり、処女神の巫女が占いの時に声を聞くモノでもある。

 神聖であり、必須のモノだ。


「アレッシア人にとって炎とは大切なものです。また、炎と一口に言っても大きさによっては人が移動してできる風にも負け、ある程度の大きさがあっても風雨から守らねばなりません。しかし、ひとたび大きく成れば街をも呑み込み、山を焼き払う大きさにも成ります。

 戦いだけではなく街づくりにも精通しているエスピラ様には余分な言葉でしたでしょうか」


 揺らめく炎に照らされながら、シジェロが振り向いた。

 橙色の明かりは綺麗な玉肌を血色良く見せている。


(シジェロからアレッシアの困窮具合を図るのは無理だったか)


 決して恵まれてはいない行軍と言う状況下でこれなのだから。なんて、少し関係ない思考も交えつつ。


「いえ。人から言われるからこそ見えることもありますから」


(恵まれていないのにこれだからこそ、神に愛されている存在、か)

 と、エスピラは話題を変えるのではなく主軸に据え、左手の革手袋を少々強く握りしめた。


 運命の女神フォチューナ神に、心の中で祈りも捧げる。


「それなら良かったです」


 言って、シジェロが炎から離れた。


「マシディリ様の火は、徐々に大きく成ろうとしております。順調に育てばエスピラ様に比肩するか、あるいは、もっと」

「私とメルアの子ですから」

「タイリー様の孫でもありますものね」


「まあ、その通りですが。私が言いたかったのはそう言うことではありませんよ」


 では、と頭を下げ、エスピラは階段を登り祭儀場から出た。


 神聖な場所故入れずに待っていた奴隷から、シジェロが占ってくれて出来たカレンダーを受け取る。並んでいる数字は良くもなく悪くもなく。暑い盛りは動くな、と言うことだろうか、とエスピラは考えた。


(アイネイエウスはどうしてくるか)


 不安ではあるが、まだまとまり切っていない軍団を真夏に動かすのはリスクが大きすぎる。

 監視の目を緩めなければ十分に対応可能なはずだ。


「エスピラ様」


 近づいてきた足音と声に、エスピラは離れるような足の動かし方で振り向いた。


「エスピラ様に、処女神の加護のあらんことを」


 シジェロが近づきすぎ無い所で頭を下げてくる。

 エスピラも、ありがとうございます、と丁寧に言って、シジェロから離れた。建物からも出る。外はすっかり気温が上がってきており、ペリースと手袋が中々に応える季節だと実感させられてしまう。


 そんなエスピラの目に、ラシェロ・トリアヌスが映った。


 向こうもエスピラにもちろん気が付いており、咄嗟に笑顔を浮かべた後に「これはこれはエスピラ様」と言ってくる。


(別に娘に用事があると言うのも何も疚しいことでは無いが)

 と、腰を数度曲げ目も最初は泳いでいたラシェロに対して思う。

 あるいは、疚しいことでもあるのか、と。


 近くの建物の角に隠れるようにしたウルバーニも見えたため、エスピラは「お元気そうで何よりです」と言ってすれ違った。「娘さんに会うのでしたら、もっと堂々として良いのですよ」とも言っておく。


「私は堂々としているつもりでしたがね」

 と返ってきたが、会話は終わり。


 エスピラは外へ。ラシェロは中へと入って行った。消えていく背を見届けてからか、ウルバーニがエスピラに近づいてくる。


「ラシェロ・トリアヌス。最近は良く娘のところに行っているようですが、機嫌よく出てきたところはほとんど目撃しておりません」

「会話の時間は?」

「臨時の神殿に入ってから出てくるまで一時間も無いでしょう。タヴォラド様によってあの女の私有財産に締め付けが入ったそうですから。クエヌレスの財を守る口実にすれば、味方を作ることはそう難しいことではありません」


 あの女、とはクエヌレスを牛耳っているプレシーモのことだろう。


「やって良いんだぞ?」

「ありがとうございます」

 と、ウルバーニが目を閉じて小さく背を下げた。


 エスピラも、別に助言をしたりはしない。内容までは分からないが、ウルバーニが本国とやり取りをしているのは知っているのだ。むしろ、軍団にあってエスピラに露見せずに動けることはほぼ無いのである。


「自分で考え、動き、実行する。ウルバーニ。君の美点は私も好きだよ」

「ありがとうございます」


 あまり言葉に力は無い。

 かと言って何も思っていない訳では無いだろうが、事務的に受け入れている面もありそうだ。


「この後もそうだが、高官には今後の作戦会議がこれから増えていく。その前に私の宿舎に来て多くの者が討論をしたり私に質問したりしているのは知っているな?」


 伝記にも書いているのだから。


「はい」


 そして、その伝記を読んでいるらしいウルバーニは肯定の意を返してきた。


「来て良いんだぞ。遠慮はするな。君が来ることによって同じように新しい軍団の者が来やすいと言う利点もある」


「百人隊長も、と言うことでしょうか」

「その通りだ」


「経験と知識が欲しいと」

「ああ」


 経験、の意味を理解しているかを考えかけ、やめようとし、やっぱりやめない。

 エスピラの考えは短い間に二転三転したのである。


「何故、軍団創設初期に私が異常なまでに経験を欲したのか、分かるか?」

「は。と、あっと」

「経験が浅い軍団だったからだ。だから、できる限り皆に共有して欲しかった。生の声で、質問ができる環境で。少しでも具体的に、鮮明にイメージしておいて欲しかったんだ」


 目が泳いだウルバーニに、エスピラは責めていると取られないように気を付けて答えを告げた。

 そうでした、そうでした。と言葉をつけるのが合っているような調子でウルバーニが二度頷く。


「今欲しているのは、少しでも多くの視点から物事を見たいからでもあるが、もっと大事なことは何か分かるね?」


 ウルバーニの目が上に行った。

 下がっている右手の人差し指だけが曲がった形で伸び、細かく一度、二度、と動いている。


「カルド島に関する知識と、数年の経験から気候や動植物について知るため、でしょうか」

「その通りだ、ウルバーニ」


 満足気に言った後、エスピラはウルバーニの肩に右手を乗せた。


「期待しているよ。今後も、ね」


 耳元で、内緒話であるかのようにエスピラは囁いた。

 もう一度肩を叩き、離れる。


 今日の会議は大事なモノだから遅れるなよ、と雰囲気を軽くして言い、エスピラは自分の宿舎に戻って行ったのだった。


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