運命のイト
「いやいやお待たせしてすみません」
と、オプティマが半裸のままやってきた。エスピラもアイネイエウスも構わないと受け止め、街の人の案内に従って品々を見て回る。
その過程で街の人を一番満足させたのはオプティマだろう。
彼の大きな反応は、それでいて耳を驚かせないものであったのだ。
あの焼き方が素晴らしいだの、この紋様は何がどうで珍しいものだの。この画とこの文字は良い組み合わせだ。普通は思いつかない、など。
最初は笑みを見せていただけの案内人の声が、どんどん高くなっていく。動きも大きく。視線の時間はオプティマへのものが一番長い。
アイネイエウスの側近の一人も、オプティマと話す機会が増えていっている。
「確かにベースはエリポス……いや、ベースがカルド島独自の文化でエリポスのモノを後から加えて出来上がったものでしょうか?」
良く分かったな。触れる機会が多かったのか? あれはどう思う?
など、いまいち踏み込めていないエスピラに代わり、ヴィンドがオプティマの発言を掘り下げてくれた。二人のやりとりを見ている案内人と最も反応していたアイネイエウスの側近の様子を見る限り、オプティマの言っていることは的を射ているらしい。
(マルテレスも知っていそうだな)
なんて、ついでに思いながら。
マシディリは大丈夫だろうか。クイリッタはトリンクイタ様が近くに居る以上審美眼も養っているよな。シニストラも詩作の才を認めていたし。ユリアンナもクイリッタに対しては対抗心を燃やしているらしいのでやってはいるだろう。
リングアは、どうだろうか。興味があることはエスピラに対してももっと知りたいとねだってくるが、芸術に興味があるのかどうか。チアーラはディミテラのことをもう一人の姉のように慕っているからエリポス産の芸術は見慣れているだろう。
一番下ではなくなった双子は、どちらも派手な芸術には興味が無かったな。
(将来的に苦労するからと教えるべきだろうか)
でも、絶対に必要ではないぞ、と。父もシニストラやヴィンドに丸投げしているのだから。
エスピラは会話をヴィンドとシニストラに任せておき。物品の記憶と子供の教育計画に思いをはせて。
気づけば、この引継ぎの中心人物はオプティマになっていた。
そのオプティマをノせているのはヴィンド。引き継ぎに時間をかけたかったであろうアイネイエウスの思惑とは裏腹に、ヴィンドに乗せられたオプティマに乗せられて案内人も饒舌になる。次へ次へと街の自慢の品々を披露してくれる。
そんな案内人の目が、一瞬会話に関係なく開かれた。口も開きはしないが少しだけ上唇とした唇が離れる。背の中央部分が少し伸びたようにも見えた。
「とっておきのモノがこちらにございます」
と、すっかりオプティマに言って、案内人が歩き出す。
視線が鋭くなっていたシニストラの前にエスピラは体を入れ、案内人にあまり視線を送らないようにした。案内人は表情を固めたようにも見える顔で振り返ったが、振り返った時より遅い速度で前を向く。そのまま、前へ。
風雨を凌ぐように広げられていた大きな布をくぐれば、目の前には文字が書かれた石の壁があった。文字、と言いはしたがただの記号にも見える。もちろん、文字も記号だと言われれば否定はできないのだが。
(リングアが好きそうだな)
思いながら、エスピラは近づいた。
誰も、案内人も何も言わない。
ちらり、と、オプティマの様子もそれとなく伺ってみたが、彼も最初の時のような喜色満面の表情を浮かべてはいなかった。少しだけ身を乗り出していることから、興味はあることは分かる。解読しようとしているのだろう。
(獅子、獲物の記号か? 槍。距離。古代エリポス語にも似たような文字列はあったな)
誰も何も言わないのであれば。
たまには自分が言っておく必要があるか、と。誤魔化し続けるのにも限界はあるのだ。
と言っても、エスピラが出来るのは芸術品から文化を読み取り、効率の良い支配や作戦の立案癖を見抜こうとする思考ぐらい。カルド島の歴史も参考に引っ張り出すしかないのである。
「獅子の狩り方と祀り方について、ですか」
だからこそ、口から出てきたのはこれまでの知識に基づいた見解。
本当は疑問形にしたかった。
が、少しだけ踏み込んで断定し、納得しているように見える頷きと空気を醸し出す。頭では必死に違った場合の言い訳を探して。
シニストラからは素直な感嘆。ヴィンドは目を丸く。オプティマは背筋を伸ばしてから大きな口を丸く開けて、はー、と頷いていた。ソルプレーサは何も変わらない。
そして、案内人は目を丸くした後にエスピラに頭を垂れてきた。
「読めるのですか?」
と、アイネイエウスがハフモニ語で聞いてくる。
近づいてきた時には音が小さかったが、手に力は入っていない。膝も腰も常通り。いや、やや伸びているともいえる。
「三番目の息子がこういうのが好きでして」
エスピラもハフモニ語で返し、続ける。
「エリポス語でも似たような単語があり、言葉ではなく意味のみを表す記号も文字を持たない部族で使われているモノに似たようなものがありました。それを繋ぎ合わせただけですよ。貴方と同じです」
アイネイエウスが口を開く。が、声が来たのは別の方向。
「エスピラ様。貴方こそカルド島の主に相応しい」
酷い訛りのあるエリポス語だった。
いや、ある意味カルド島ではこれが正式な共通言語だったのかもしれない。
エスピラは、堂々とヴィンドを見た。ヴィンドが首を振るように顔を右にやる。ソルプレーサは目を閉じた。
「私はアレッシア人だ」
どう言う返しをするべきか迷い、エスピラはその言葉を選択した。
「関係ございません。その言葉を読める者など、今のカルド島でもいないでしょう。我らの一族も今の言葉で聞いているだけ。何より、それを書いたのは神の御使いと言われております。自身の一部である獅子をどう狩るべきなのか。どう祀るべきなのか。狩るべき堕ちた獅子はどういった者なのか。それを記したモノだと時の族長が聞いただけです。
今では、書かれた時点でも正確に読める者はいなかった、とも言われております。それが読めるのは、即ち、エスピラ様が神より産まれたモノであるからこそ」
「エスピラ様は神の末裔であるマフソレイオの王族にも実の親であり実の兄弟のように慕われておりますから」
と、ソルプレーサが案内人の言葉の後に駄目押しを行った。
オプティマなどは手を叩き、少しはしゃいでいるようにも見える。アイネイエウスの側近の一人はエスピラに対して膝を曲げ、頭を下げかけていた。アイネイエウスの背筋はまっすぐ。笑みなど全くない。口も力は入っていないが真っ直ぐ一文字。ヴィンドの笑みは状況を読んだ作り笑いだろう。
(完全に読めたわけじゃ無い)
が、これは高い利用価値がある。
「ではこれに則り、神に捧げましょうか」
言いながら、エスピラは右手で壁に触れた。
案内人の方から勢いよく頭を下げたような衣擦れの音が聞こえる。
その前にまずはオプティマ様の気持ちを受け取りましょう、とも言って。エスピラは、案内人に残りの品々を見せるようにと少し急かした。
それからの案内人はこれまで以上に張り切り、民もこれまで以上に協力的で。
翌日の昼には全ての品の確認が終わった。祭りはもう少し気温が下がってから。それまでは、街の人も少し浮かれて配慮を忘れたのかアレッシア側もハフモニ側も同じ場所に留め置かれてしまった。
だが、特段喧嘩は起こらず。隣り合わせのまま感謝の筋肉踊りが始まる。
オプティマが笑顔で音頭を取り、踊り。アレッシア兵の一部が街の人やアイネイエウス側の人間にも酒を振舞う。
そんな中で、エスピラはやってくる人々への対応にも追われた。
「どうも」
と、年少の子から差し出された花冠を笑顔で受け取り、年長の子に頭にのせてもらった。
少し恥ずかし気に子供たちが笑って、出て行く。
「エリポス人以外でありながらの宗教会議への出席。マフソレイオの王族との良好な関係。エクラートンの早期陥落。文化財を保護しようと提案する。
私は貴方が神の子だとか御使いだとかは思いませんが、確かに神に愛されてはいるようですね」
隣で酒を傾けているアイネイエウスが、少々下手なアレッシア語で言った。
「君も見事だったよ。私の機動を止め、その時その時の軍団の弱点を見つけてそこを突くことによって時間を捻出した。マルテレス相手にした時も逆襲の機会をじっと待っていた。それまで負けなしだったマールバラを破ったマルテレス相手にそれをするのは、容易なことじゃないだろう?」
エスピラは、ゆっくりとアレッシア語で返した。
そして、手に持っていた杯をアイネイエウスの方へと傾ける。
「アイネイエウス・グラム。アレッシアに降らないか?」
しっかりと、アイネイエウスを見据えて。エスピラは一滴も酒を飲んでいない顔で彼と視線を合わせた。




