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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十一章
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子育て。子が育て。

「最も気持ち悪い瞬間は何だと思う?」


 夜。自身の天幕でメルア宛の手紙を書き終えたエスピラは愛息たちにそんな問いを出した。


 マシディリは短剣を手入れしていた手を止める。クイリッタは少し顔を上げただけですぐに手紙を書く作業に戻って行った。


「母上が笑顔の瞬間以外ありえないと思います」


 しかし、マシディリよりも早く返答をしたのはクイリッタ。

 マシディリがいつものように、されど夜故に小さな声で咎めている。


「気持ち悪いとは酷いな」

「しまった。父上の前でした」

「クイリッタ」

「いえ、兄上。私は良く分かっているだけです。母上がもし私に良き笑顔を見せてきたのなら、次に来るのは山が爆ぜるような恐怖だと」


 では父上、お答えをお願いいたします、とクイリッタが手紙を書く手を止めた。


「こちらからは読みにくく、こちらの行動を読んできているように見える相手に完全に読まれているであろう手を打たされた時、と言いたかったのだが。入りが回りくどかったか?」


「いえ。父上。先の私がまさにそれでしたので、強引に道を変えた結果兄上も敵に回してしまいました。こうなるから街を落とさざるを得なかった、と言いたいのですよね?」


 クイリッタの言葉にマシディリが目を大きくし、それから横に一度泳がせた。


 クイリッタに謝っているようにも、それでも例えが悪いと叱りたいようにも見える。加えて、気づかなかった自分自身を責めているようにも見えた。


「流石だな、クイリッタ。ちなみに、メルアの話を出すことで兄の思考を奪うのも計算していたのかい?」


 エスピラは少し冗談めかして聞いた。

 クイリッタが体もエスピラに向け、頭を下げてくる。


「買いかぶりすぎです、父上。それは偶然に過ぎません。私は兄上を支える立場の人間ですから。そのような真似をするつもりはございません」


「しても良いけどね」

 とは言え、当主に求められる資質を多く持っているのはマシディリだよ、とエスピラは締めた。


 話を戻そうか、と言いながら手紙を取り出す。


「このままであることの危険性を理解しているのなら嬉しいよ」


 エスピラが目の前に持って行った手紙に、クイリッタが目を丸くした。口は淡く閉じられているだけ。


「目の前の都市を平押しすると同時にアイネイエウスにエクレイディシアの明け渡しを要求する。あそこはエクラートンの初代王を尊敬して建てられた都市であり、産業は発達していないが数百年もの間建物が保持され、美術品が数多集められている都市だ。

 出来る限り、あれらが失われる可能性を下げたい。と言う旨が書かれていてね。守り手であるならば、名前の響き的にも適職だとは思わないかい?」


「父上! 危険すぎます!」

 真っ先に反論してきたのはマシディリ。

 エスピラの予想通りである。


「せめて父上が目の前の都市の攻略を止めてからの交渉が適当でしょう。これでは、使者が殺されても文句は言えません」


「ウルバーニとラーモを着ける。心配するな」

「なればこそ、です。父上。せめて中立の者に場を持ってもらいましょう。例えば、カルド島の神官や街の有力者。彼らを交えた話し合いの場を設けるなど、やり方は幾らでもあります。

 文化を破壊しつくす侵略もあり得る中で、父上の相手の歴史を守ろうとするやり方は私にとっても誇りではありますが、このやり方はアイネイエウスを虚仮にしているように見えてしまいます」


「中立の者が私の意図を正確に伝えられる確証はあるのか? それと、これは相手も読んでいる常道から大きく外れる戦い方だ。中途半端な動きで相手の思考に完全に入ってしまうのであれば、意味は無い」


 しかし、とマシディリは発したが口の動きは止まってしまった。


 ウルバーニに対する不安、などもあるのだろうかとエスピラはあたりをつける。口にしてしまえば良いのに、とエスピラは思うが、できないところもマシディリの美点だとも理解しているのだ。


 今はただ、黙って愛息の言葉を待つ。


「父上はウルバーニの忠誠も試している」


 ただ、言葉はエスピラの視界の端。次男クイリッタからやってきた。



「同時に、事が上手く運べばウルバーニにとって大功になる上に落ちたクエヌレスの名声を取り戻した者として当主争いで一気に有利になりますから。また、誰の下でその功を為したのかと言えば私の下になります。


 つまり、ウェラテヌスの下。しかも、当主でも次期当主でもない者の下。クエヌレスもウェラテヌスの庇護下に入るでしょう。ティバリウス、ベロルス、クエヌレスを支配下に。主従のある協力者としてアルグレヒトとネルウス、ナパール、ディアクロス。主従とはいかないまでもニベヌレスとタルキウス、ナレティクスもまたウェラテヌスの味方。


 兄上。私は、この戦争は既にどうアレッシアが勝つか、から戦後の支配体制をどうするかに主軸が移りつつあると思っております」



「カリトン様のネルウス、ピエトロ様のナパールはウェラテヌスではなく父上だからこそ協力しているに過ぎない。トリンクイタ様のディアクロスは親族だから。他の建国五門もまた父上だから。決して、ウェラテヌスの下にいると言う意識は無い。


 クイリッタ。私たちがそこを勘違いしたら駄目だ」


 淡々と、黒く言ったクイリッタに対して、マシディリが言い聞かせるように、そして咎めるように返した。


 クイリッタの視線がやや冷めているのに対し、マシディリの視線はやさしい。敵対する意思は無いとしっかりと示している。


「ウルバーニの件は兄上もお認めになると?」


 クイリッタが冷たい表情のまま言う。


「確かにウルバーニ様が当主になりたいのであれば何かしらの功は必要だと思います。しかし、父上。私はやはりプラチド様やアルホール様など、確実にクイリッタの身を守ってくれる者に変えるべきかと思います。そうでないのなら、私が」


「兄上は私から活躍の機会まで奪うおつもりですか?」


 駄目だ、と言おうと思ったところでクイリッタが先に拒絶した。


「兄上は誰からも認められております。父上も早々に後継者に指名し、母上も兄上のことは特別気にかけております。シニストラ様やソルプレーサ様は既に兄上にも忠誠を誓っており、アリオバルザネス将軍も良き弟子を持ったと酒の席では常に溢しております。

 タヴォラドの伯父上も、私よりも兄上と話す時間の方がいつも長い。ズィミナソフィア陛下も兄上のことをしっかりと覚えて帰ったと聞いております。それに、最近では戦術に於いてこの軍団でも有数な実力者であるイフェメラ様にライバル視されたそうでは無いですか。

 兄上は、これ以上何を望んでおられるのですか?」


(これは)

 完全に、マシディリが何も言えなくなることを知って言葉と言う剣を選んだな、と。


 エスピラは、左目を少し細めた。眉間にもうっすらと皺が寄る。


「二人ともメルアが命を懸けて産んでくれた子供だ。そして、私の血も流れている、愛しい存在だ。そこに優劣など無いよ。父からの愛情に差があるように思えたのなら私の失態だ。ただ、能力の向き不向きがあるだけなのだからね」


 エスピラは表情を変え、眉尻を下げ気味にして述べた。

 失礼しました、とクイリッタが言う。



「しかし、父上。そして兄上。物事にはきれいごとでは通らない優先順位がございます。


 ウェラテヌスにとって一番避けねばならないのはもう一度家門を傾けること。政敵も増え、戦場にも多く立つ父上の命が明日もあるとは限らないのです。ならばこそ、多くの者に認められている兄上が亡くなる可能性も下げねばなりません。


 また、もしもと言うのはいつ訪れるか分からないのです。なればこそ、他の兄弟にも兄上に劣らぬナニカが必要だと私は考えております。


 父上はああおっしゃってくださいましたが、私には才も徳も兄上には到底及びません。私は馬鹿を馬鹿だと言ってしまい、屑を屑だと下に見てしまうのです。

 だからこそ、父上が下さった機会を命を懸けて活かし、少しでも兄上に近づかないといけないのです。それが、ウェラテヌスのためになりますから」


 口を開こうかとも思いながら、エスピラはマシディリを見た。

 マシディリはクイリッタを見ている。視線は真っ直ぐ。強きモノではなく、受け止めるようなモノ。一貫してクイリッタを否定しようとする意思は見えない。感じられない。


 ならば、とエスピラは何かを言うのをやめた。


「クイリッタ。父上も、次男だった。現に、お爺様から父上に当主が移るまでの間には叔祖父上から伯父上を挟み、父上に巡ってきている。何があるか分からない以上、ウェラテヌスのためにも死んで良いなどとは思わないでくれ」


 マシディリが、神妙な顔に良く合う声で言った。


「兄上。私は、死にたいわけではございません」


 対してクイリッタの雰囲気は静かなモノから変わらずに。

 エスピラは、静かに息を吐いたのだった。


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