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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十一章
382/1589

最も避けねばならないことを避けるために

 ぞろぞろと続いて入ってきていた高官が、やや遠巻きに並び始める。その中でシニストラは何も変わらずにエスピラの近くに立った。


 ヴィンドの目が居並ぶ高官、それの真ん中より少し後ろ側に行く。

 その動きは一瞬だけで、すぐにエスピラの方に戻ってきた。


「これは、とある人物の予想でしかないのですが」


 ヴィンドが列に並ぶことは無く、しかし少しだけ小さな声で続けてくる。


「防御陣地アクィラは、今頃落ちているかも知れない、と」


 ディファ・マルティーマを守る防御陣地群。その中でも大きな防御陣地の一つであり街道を睨む要の一つであるアクィラ。

 そこが、マールバラによって攻め落とされると言う予想がヴィンドの下に届いているらしい。


 誰が?

 恐らく、カリヨの予想だろう。


 軍団の者の予想ならエスピラに言えば良く、エスピラの家族もそうすれば良いだけ。ティバリウスの者ならジュラメントに伝えれば良いのだ。しかも、わざわざジュラメントの位置を確認して小声になる必要は無い。


「アクィラが落ちたところでバーラエナとレオーネが健在である以上はまだ大丈夫だと思うが、そうか。思ったよりもマールバラは本気だな」


「アグリコーラは捨てる、と言うことでしょうか」

 ヴィエレが聞いてくる。


「執政官二名がこちらに居て、しかもマールバラと真正面にぶつかり合って生きている二人が執政官に任命されている。腰抜けどもではアグリコーラを攻められないってことだろ」


 イフェメラが少し強い調子で言った。

 ヴィエレは何も言わず、ただ数度頷いている。


「元老院も元老院でやることがあるからな。そう言わないでやってくれ」

「でも師匠!」

「軍団が弱まっているとはいえマールバラだ。下手に戦えば被害が増えるだけ。それにサジェッツァもディファ・マルティーマの防御陣地群がどれだけもつかしっかりと計算しているかも知れないぞ」


 だから責めてやるな、とエスピラは言外に告げた。

 イフェメラが口を波打たせながらも黙る。


「何よりも集中しないといけないのは目の前のアイネイエウスだ」


 言いながら、近くに来い、とエスピラは高官たちに目と手で示した。

 二歩ずつ皆が前に出る。


「確かにこちらがじりじりと押しているとは言えるだろうが、予定を変えられたことに変わりは無い。キトレウムで本隊の被害少なく退いたのも、今回攻撃に来ないのも、時間をどう稼ぐかを考えているから」


「本気は三万の援軍が来てから、と言うことですか?」

 と言うヴィエレにエスピラは頷いた。


 現状はアレッシアが押している。だが、三万もの軍団が新たに来られては一気に厳しい戦いになるとは誰もが言わずとも分かっていることだ。



「アイレス陛下が言うには、ドーリス人の傭兵隊長フィロタスは『撤退』の文字の無い男だそうだ。踏み入った土地は必ず守る。前進しかしない。そう言う人物だと。


 他の人の話によれば、言語も違う者たちが集まっている傭兵集団に徹底させたことは五つ。「突撃」「撤退」「踏みとどまれ」「戦略的撤退」「全身全霊で命を懸けろ」。


 思うに、偽装撤退をそれなりに使う人物の可能性がある。戦略的撤退の徹底は偽装撤退が本当の撤退にならないようにするためのモノだろう。と言うことは、フィロタスと行動を共にしている傭兵団は勇猛で命を捨てているような者達。まともにぶつかるのは最後の手段にしたい相手だ」



 アイレスの「撤退の文字が無い男」と言うのも、退いたと思って油断するなと言う意味か。あるいはそう言う話を流すことでフィロタスが撤退したのを見て敵を油断させるためか。


 あの男なら問い詰めればどちらでも使って逃げるだろうな、と言う要らない信頼がある。


「両者を知る商人からはアイネイエウスとはあまり息が合いそうにないと言う話も来ているよ。私もそう思う。慎重で、撤退もあり得て、クノントに対するみたいに半ば味方を切り捨てることもできるアイネイエウスと撤退を嫌うフィロタスは合わないだろうな。傭兵の軍で味方を見捨てれば、見限る者も一気に増えるしね。


 何よりもフィロタスは愛人を作るのを嫌い、娼館に行ってお金だけの関係に留めているそうだ。それを部下にも勧め、言葉の通じない仲間にも同じことをしているらしい。


 だが、アイネイエウスもフィロタスも馬鹿ではない。


 決裂を待つにしても時間がかかるし、その間にマールバラにディファ・マルティーマが落とされてしまう。それだけは避けねばならない」



 此処にいる者達ならば言わずとも大丈夫だったかもしれないが、大事なことなのであえて言葉にした。言葉にして、共有する。思いを。危機を。アイネイエウスの強さを。


「アイネイエウスと決戦ですか?」

 とはジュラメント。


「街を落とすしか無いだろ」

 すぐに否定したのはイフェメラだ。


「師匠はアイネイエウスは時間を稼ぎたがっていると言ったんだ。こちらが決戦を挑んだところで追いかけっこになるだけ。なら、まずは此処を落とす。投石機を使えばすぐにでも落ちるはずだ。しかも、アイネイエウスの目の前で落ちれば、アイネイエウスが見捨てたことになる。そんな奴のために誰が必死に戦う?」


「傭兵が中心であるにもかかわらず自分の好きなように動かしている時点で、アイネイエウスはマールバラとはまた違う人心掌握術があると思うけど」


 ジュラメントが言い返したことに、エスピラの瞳孔は少しだけ大きくなった。


 珍しい。

 口調も、また、珍しい。軍事の場でイフェメラに対して遠慮が見えないのは、中々無かったとエスピラは記憶しているのだ。


「師匠の言葉を借りるなら、事実がどうかは関係ない。周囲がどう思うかが大事だ。見捨てたと思わせられればこちらが有利になる」

「折角生かしたアイネイエウスの信用を下げたらだめじゃないか?」

「さっきは下がらないと言っていただろ?」


 イフェメラの左右の眉の高さに大きな違いが出来た。


 ジュラメントも、ん? と言う顔を作りながら、口が二度開いて閉じる。


「街の人にアレッシアに対する抵抗の意思が芽生えにくくなるのはその通りですが、アイネイエウスの軍団の忠誠は変わらないかと愚考致します」


 ヴィンドがゆるりと言った。

 イフェメラの表情が元に戻る。ジュラメントも素面に戻った。ああそれか、とヴィエレが溢す。


「それから、私もイフェメラの意見に同意いたします。投石機で四方から攻撃を仕掛ければすぐに踏みつぶせるでしょう。ディラドグマ以来の兵を一人も損なわずに戦いを終わらせられます」


 ヴィンドが力強く言えば、ジャンパオロが頷いた。アルホールとプラチドも準備はできておりますと言わんばかりに力強い視線をエスピラに向けてくる。ウルバーニは、少しついていけていないようではあった。


「あの三千名を置いてきておりますが、それでもこちらは四千四百。エスピラ様が改良を重ねさせた投石機があれば相手にもならないでしょう」


 そして、プラチドが言う。

 ふむ、とエスピラは唇に手を当てた。


 少し迷い、真ん中に置いてある地図に目を落とす。


「パンテレーア近郊まで、いや、パンテレーア攻略のために使用した街までマルテレスに進んでもらおう。大軍を打ち破り、そして海上でもハフモニの軍団を沈めたあの戦い。それを敵味方に想起させる目的もあるとしっかりと伝えてね。


 もう面じゃなくて構わない。線で行ってもらう。


 イフェメラ、ネーレ。状況によっては二人にも四千ほど預けて面でつなぐ作業をしてもらうかも知れない」


「お任せください!」

 と、叫んだイフェメラの声で「かしこまりました」と言うネーレの声がかき消された。


「張り切ってもらったところ悪いが、あくまでもアイネイエウスの行動次第では、だ。まずは目の前の街を落とす。それからピエトロ様に合流して、道幅を広げて押し通る。

 退くなら退くで構わないさ。戦術や戦略では負けたとしても、政治では私に分があるようだからね」


 エスピラの言葉に、イフェメラが「戦術でも戦略でもアイネイエウスが上だとは思いませんが」と言ってこの話はほぼ終わった。


 あとはすぐに投石機を移動させ、翌日の陽が昇る前に攻撃を仕掛けるのみ。


 この戦いは予想通りすぐに終わった。

 陽が昇り、日常ならば政務が始まるであろう時間には門を破れたのだ。


 あとは、一方的な展開。


 ヴィンドの率いる軍団は、昼の炊事の準備を街中で始められるくらいにはあっという間に市街攻略戦も終わらせたのだった。


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