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将来への布石

 言い終わってからも数秒は挑発的な色を湛えていたタヴォラドであったが、一瞬にして理知的な光に戻る。碧眼も凪いで、静かに。


「どのみち、君の行動はアレッシアのためになることを出ないとは信じているよ」


 どちらかと言うと、釘を刺す言葉だろうか、とエスピラは内心疑うたぐった。


「ちなみに、タヴォラド様はいつ頃を想定されていますか?」


 マフソレイオへ行くのが、である。


「君が財務官の内に。その方が、私が君を呼ぶ正当性や他の者が推して負けると言うのが容易だろう? 父上は造営官にもつけたいらしいが、官位としては財務官の方が上だからな」

「かしこまりました」


(その前に、妹の婚約者を決めないと、か)


 エスピラは目を閉じて、小さく頭を下げた。

 風が流れ、タヴォラドが通り過ぎていく。


「君の妹の縁談だが、良い話が合ったそうで私も嬉しいよ。君の顔も、少し余裕が戻ってきている。気づいてはいないかも知れないがな」


 エスピラが顔を上げると、タヴォラドが扉を開けた。「失礼したな」と無機質に告げ、去っていく。


 代わりに入ってきたのは、心配そうな表情を浮かべたシジェロ。

 聞いて良いのかどうか、と言った目がうろうろしている。


「セルクラウスの話ですよ。マシディリも生まれて、また一人増えましたから」


 まあ、マシディリはウェラテヌスの子ですけどね、とエスピラは口元を軽くした。

 とりあえずと言った風に、シジェロが頷いてくる。


(タヴォラド様と会うためにでもあるのだけれども)


「申し訳ありませんが、いくつか占っていただいてもよろしいでしょうか?」


 シジェロと会う客観的な正当性を持たせるために。

 もちろん、そんなことはおくびにも出さないが。


「もちろんです。エスピラ様の頼みをどうして断れましょうか」


 浮かれているようにも見える足取りでシジェロが入ってきたばかりの扉から廊下に出た。

 エスピラも続き、占いのできる部屋へと移動していく。


「何について占いましょうか。やはり、御子息の将来ですか?」

「フォチューナ神に祝福と加護をお祈りしていますので、如何に処女神とは言えそれは不味いでしょう。息子が加護を求める神を決めるまではフォチューナ神に多大なお手数をおかけするわけですから」


 エスピラはアレッシア内の全ての運命の女神を祀る神殿で祈りを捧げるどころか、ディティキなどのエリポス圏に於いてもフォチューナ神に祈りを捧げてきたのである。

 まだ何も定まっていない無垢な状態の赤子に様々な神の手や神の不興を下ろすわけにはいかないのだ。例え、それが神の意思を聞く占いであったとしても。


「それでは、何を?」


 シジェロが先に占いの間に入り、炎に礼を示す。

 エスピラも後に続いて、左手の革手袋に口づけを落としながら心の中で挨拶を述べた。


「まずは、私とタヴォラド様の相性を」

「タヴォラド様、ですか?」


 エスピラは一つ、頷いた。

 シジェロもそれ以上は何も言わずに、木っ端を持って神言を紡ぐ。それから、炎に木っ端を投げ入れた。


 炎が揺れ、形が変わる。


 学びはしたが、エスピラには良く読み取れなかった。


 炎はぱちり、ぱちりと爆ぜ、ゆらゆらと顔面を照らしてくる。


 ややもすると、真剣なまなざしのままシジェロが口を開いた。


「小麦と竈門の関係」


 声は、ぽつり、と零れ落ちるモノ。

 一拍待って、続きが来ないことを確かめてからエスピラは問い返す。


「どちらが小麦でどちらが竈門ですか?」

「どちらも小麦でどちらも竈門です。小麦はそれだけでもお腹を満たすことは出来ますが、焼けばパンとなりより広くより美味しくなります。竈門は暖を取るのに役立ちますが、常に重宝されるには小麦が必要です」


「なるほど」


 互いに主力足り得るが、上手く組み合えばもっと高みを目指せる。もっと大きいことを為せる。

 そう言うことだろうとエスピラは解釈した。


「仲直りできると良いですね」


 シジェロも似たような解釈をしたのか、心配げにエスピラに言ってきた。

 エスピラは神妙な顔を作り、小さく頷く。仲が良いわけでは無いが、仲違いをしているわけでもない。協力し合うと言う意味では、良い関係だろう。


 特に、アレッシアのためなら互いに互いを未練なく切り捨てるであろうところが。


「では、ウェラテヌスとイロリウスを」

「どのイロリウスに致しましょうか」

「シジェロ様が思っているイロリウスであっていますよ」

「それでは齟齬が起こりかねません」


 淡々と言っては来るが、シジェロも分かってはいるはずである。


「ペッレグリーノ・イロリウスの。イフェメラ・イロリウスの父からなる一門の、です」


 エスピラは、静かにシジェロに言葉を手渡した。

 シジェロが目をゆっくりと閉じて小さく頭を下げる、木っ端に祈りを込めてから炎に投げ入れた。


 炎が、先程とはまた異なる姿を見せる。


 気づけばペリースの下で力の入っていた左手を、エスピラはゆっくりとリラックス状態に持っていった。


「波の関係だと出ております。ただし、イロリウスが今のままではその限りではないかと」

「普通の関係、と言うことですか?」


 普通とは何か。

 可もなく不可もなく、と言うことなのだろうかと思いながらエスピラはシジェロに聞いた。


「そちらの『並み』ではなく、水面に起こるものの方です」


 波と波。

 打ち消し合う、あるいは流れを作る。


「敵対すれば両方とも消えてしまい、同じ方向を向けば一気に突き進むことができる関係、と言う解釈でよろしいのでしょうか」

「それは波自体が対等だった場合の話です。現れたのは、必ずしも対等とは言い難い波だと、私には思えました」

「一方が呑み込むことも有り得る、というわけですね」


 口に出すとすれば、それはウェラテヌスが呑み込むとエスピラは断言するが、思考はそうでは無い。


 今の力関係ならばイロリウスの方が上。

 実績、一門の実力者の数、被庇護者の数、繋がり。

 全てがウェラテヌスよりあるのだ。


 ウェラテヌスが勝てるのは、それこそ歴史とタイリーとの近さぐらいだろうか。


「波の関係、に於いてそれとは異なる解釈をした人もおります」


 シジェロが真っ直ぐにエスピラを見てきた。

 エスピラも、何故か視線を外すことができずにシジェロと向き合う。


「別の」

「はい。互いに波ならば片方が消えてももう片方が興すことができる。一致団結すれば、多くの者を押し流すことだって可能である、と。波が全てをさらい街を更地に変え、作物の育たない土地にすることも可能なように、大きな変化をもたらすこともできると、解釈されていたそうです」


 エスピラの目が細くなった。


 更地や塩害の土地。その思考は負の方面しか見ていない。アレッシアを壊すことを目論んでいるのか、アレッシアを大きく変えることを考えつつも父祖から代々受け継いできた方式を変えることに罪悪感があるのか。


 どのみち、エスピラにとっては警戒すべき思想である。

 全てを懸けてアレッシアを守ってきた父祖のためにも、注意を払うべき思想である。


「守秘義務があるでしょうが、誰と誰の関係を占ったモノか、教えていただいてもよろしいでしょうか? もちろん、決して他言は致しません」

「エスピラ様の頼みならば断わることはございませんと、私は先に申しました」


 神妙な声や顔つきだからこそ、シジェロの口元の僅かなゆるみが良く目についた。


(不味いか)


 どうも、誘導されたらしい。

 隠し事を持つ、という方向に。


 しかし、口から出た言葉が何事も無かったかのように戻ることなどあり得ない。


「占いを頼んだ方が関係を調べてもらった相手はオルゴーリョ・ウェラテヌス様を始めとするウェラテヌス一門。頼んだ方、つまり解釈された方は、タイリー・セルクラウス様です」


 口は一度開けたが、言葉は一切出てこなかった。


 何故?

 ウェラテヌスとの関係を占ったのか。


 何故?

 タイリーが危険な発想をしたのか。


 そもそも、父と岳父の関係は?


 幼少の頃よりメルアのとこに行ったのは、別の理由があったからだ。エスピラが丁度良い理由があったからだ。

 だが、それ以外の理由があったのか。繋がっていたからか。仮に、エスピラのオーラが緑では無くても、セルクラウスの誰かが自分の妻になったのか。


 様々な事柄が泡のように次々と湧き出てくるが、いずれも形にはならずに喉奥で弾けて消える。


「このこと、他の人には?」

「引退された当時の巫女の方から、直接指導をしていただける機会がありました。その方も腕が良く、私の腕を見込んでいただけて教えていただけただけです。私を占ってあげるから秘密にしてねと言われて、先輩の腕を見ることができるのならと快諾してしまっただけにございます。今回申し上げたのも、エスピラ様の両の父君だからこそです」


 エスピラは口元を引き締めた。


 シジェロの笑みが、包み込むと言うよりも周囲を埋めるようなモノに思えてしまう。


「その証拠に、他の建国五門との関係性も占ったらしいのですが、私はそれをエスピラ様に『聞かれなかったから』教えはしませんでしたでしょう?」

「そう、ですね」


 タイリーはメルアのお披露目にも建国五門を呼んだように、何かと大事にしている節がある。


 アレッシアを変える、つまりアレッシアが建国五門によるところが大きいと見てなのか、ただ単に本当の貴族として認識されるためなのかは分からないが、一番の家門にすると言う野心があったのなら抑える必要、最も相性の良い一門と繋がる必要があったのだろう。


 そう言えば、タイリーと雖もエスピラ以外、他の建国五門とは婚姻関係を築けていなかった。


「そうそう。占った巫女はパーヴィア様です。腕が良く、タイリー様から気に入られていた巫女様でしたので、個人的な頼みも良く引き受けていたそうですよ」


 シジェロの笑みは変わらず。

 薄暗い部屋の中で、炎だけがぱちりと爆ぜる。


「そうですか。やはり、持つべきものは友ですね。マルテレスも、サジェッツァも。そして、シジェロ様も。私に、刺激を与えてくれる良き友です」


 エスピラは預けた遺言状に意識が行ってしまったが、遺言状には顔どころか目も向けずにシジェロに作りなれた笑みを返したのだった。


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