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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十一章
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キトレウムの戦い

 再び前に出ていた第一列が下がる。入れ替わったのは第二列。敵の隊列は大分崩れかけているが、顔はそれなりに入れ替わってはいた。


 ソルプレーサが近づいてくる。


「被害は?」


 エスピラは顔を向けずに聞いた。


「少ないようです。死者は確認できていません」


 その言葉に、エスピラは鷹揚に頷いた。


 再び眼前の敵を睨む。右翼の中ほどが他に比べて凹んでおり、左翼はまだそれなりに維持されていた。

 補充されているかどうかは、良く分からない。だが、そこまで動いていないようにも見える。補充は遅れているのか、待っているのか。はっきりしているのは、集団が迫ってくるような音は聞こえないと言う事。


 ふ、と息を吐き、エスピラは目を動かした。

 映ったのはフラシ騎兵が膨らんで離れていく様子。カウヴァッロを引き寄せつつ大回りするような行動。こちらを囲いに動き出したようにも見える行動だ。


 目を戻しマシディリから台を譲り受け、昇る。敵右翼が左翼より遠くなったようにも見えた。


「凹んで、誘い、包囲を完成させる、か」


 本気でその作戦を取っているのなら、弱点は敵左翼中央。


 弱点を隠すために右翼中央の足並みも乱し、凹ませてこちらの隊列を微妙に崩す。伏兵が失敗してもそのまま囲みを作ることも可能。そう言う作戦である可能性も、十分にありえるが。

 エスピラは、その可能性を選ばなかった。


「積極攻勢をかける。狙いは敵右翼中央!」


 叫べば、赤いオーラでエスピラの指示が伝えられていった。

 伝わり切る前に、歩兵第一列も前に出ている。厚くなったのは、左翼。つまり、敵右翼を押し潰す形。


(ネーレも、同じことを思ったか)


 二人の指示に乱れることなく。

 そもそも、優先順位はエスピラの命令になってはいるが、結果的に同じ部分を狙ったのならやる気は段違いだ。


「父上。敵右翼狙いの確信は何だったのでしょうか」


 一気に圧し始めたアレッシア軍を見ながら、マシディリが小声で聞いてきた。


「調練の行き届いた部隊で、マールバラの弟で、メガロバシラスの戦術を学んでいる。尚且つアイネイエウスは優秀な指揮官だ。

 そして、流石にアレッシアがマールバラの研究を重ねてくることは予想しているだろう。現に、マールバラも必勝ではなくなってきているからね」


 とは言え、マルテレスの場合はマールバラの研究と言うよりも個人の資質だろうが。

 そんな付け足しはせず、エスピラは言葉を続ける。


「あとは、どっちを裏としてどっちを表と取るか。

 私とネーレは少しだけ捻って考えた。素直に表とするならそのまま左翼を押し潰す。さらに捻るなら攻勢を仕掛けずに退く。ただ、素直な表は研究をしている前提でありエリポス、特にメガロバシラスと戦ってきた軍団相手に設定する可能性は低いさ。


 なら、二択。

 考え過ぎるか、少しだけ素直になるか。


 ここで、両端の動きの違いが役に立つ訳だ。奴らが調練不足なら、二重三重の罠を仕掛けることは難しい。擬装後退による罠が一つ。奇襲部隊が一つ。それから、退却戦に於いて被害を少なくする調練の時間も欲しい。いや、これこそが最も欲しているはずだ。


 そして、マルテレスとの戦いの後軍団を削り、新たに募兵して再編したらしいのにこの短期間で全部を網羅できるとは思えない。

 と、なると右翼の乱れは純粋な調練不足の可能性が高いとは思わないかい?」


 まあ、最後は空気感や経験則と言った不確定なものだけどね、とエスピラは締めた。

 マシディリは頷いてくれている。


「とまあ、偉そうに言ってみたが正解なんてやってみなくちゃ分からないさ」


 言って、エスピラは堂々と後ろを見た。

 何の合図も無い。本陣にも動きは無い。


 幾つか立てた想定の範囲内に全てが収まっているのだろう。


「歩兵第一列と第二列は追撃戦に備えろ。歩兵第三列が一時的に前に出る」


 最後の一撃を最大の圧力で。

 頻繁な陣の入れ替えを行っても乱れないのは六年間の成果。アレッシア史上最高とも言える練度を誇るエリポス方面軍だからこその攻撃方法。アレッシア軍団のマニュアルの完成形とも言えるべき行動。


 高速機動も、分進合撃も、兵器開発に於ける優位性も。

 全ては父祖が積み上げてきた基礎の上にこそ成り立つ。


「さあ。狩りを始めようか」


 崩れかけながらも隊列を維持している敵兵にも向けて、シニストラが白いオーラを胸の高さで広げた。今回の合図はその高さでの三回の明滅。


 それだけで、最も殺人技術に長けた集団が一気に襲い掛かった。


 容赦はない。躊躇もない。


 ディラドグマのように民間人でも無ければ、ディファ・マルティーマの時のように捕虜でもない。目の前に居るのは、武器を持つ立派な敵兵だ。


 戦いの流れは、完全にアレッシアに傾いた。


「第三列行動停止。しかし、ソルプレーサが監督者と言うことになっている部隊は第一列と第二列について行け。それから、ジュラメントの部隊は敵本陣を強襲するように」


 即ち、略奪の指示。

 伝令が先に行き、到着するであろう時間を待ってからオーラが放たれる。


 本陣から打ち上がったのは成功を伝える緑のオーラ。イフェメラが勝利の報告を本陣に届けたのだろう。きっと、性格を考えればエスピラの元にもすぐに本人かイフェメラに近しい者が伝令として訪れる。


「流石父上。鮮やかな勝利、おめでとうございます」


 エスピラは頬を緩めつつ、マシディリの頭を撫でた。


「たまたまうまくいっただけに過ぎないよ。それに、思ったより敵の隊列が乱れなかったからね。追撃戦を行ってもあまり成果は上積みできないだろうな」


 と言ってはいるが、エスピラは声から喜色を完全に消すことはできていなかった。

 シニストラも心なしかやわらかい雰囲気で頷いている。


「アイネイエウス。想定以上と考えても?」


 そんな空気を引き締めたのはやはりソルプレーサ。

 マシディリの顔にも緊張感が戻ってきている。


「そうだな。正直、マルテレスに相手を代わってもらいたいところだが、下手に他の者がハフモニの代表について想定がし辛くなられる方が厳しい。非常に疲れそうだ」


「おお」

「何だ?」


 低い声のまま感嘆の声を挙げたソルプレーサに、エスピラは常通りの声で疑問をぶつけた。

 ソルプレーサがふざけた調子で少し頭を下げてくる。


「素直に弱音を吐かれたので、少々驚いただけです」


「ただの分析だ。勘違いしないでくれ」

「では、そう言うことに」


 困ったものだな、とエスピラはマシディリに体を向け、肩をすくめた。

 マシディリの顔も困ったまま。


 そうしている内に、第三列の死傷報告が届き始める。死者は零。けが人は僅か十三人。皆白のオーラで回復可能。平野に残る敵の死体は八十ほど。追撃戦の結果で増えるだろうが、互いに被害の少ない戦いだったとは言えるが、白のオーラも緑のオーラも少ないアイネイエウスの軍の方がこの後の被害は増えていく一方のはずだ。


 そんな中、ネーレからの報告の前に良い笑顔のイフェメラがエスピラの元に来る。渡した水を飲みながら目を輝かせてきた報告は完全勝利と言うモノ。二千の内三百を討ち取り、捕虜も五百以上。撤退も集団は少なく、散らばる形。山賊に落ちるかも知れない逃げ方。


 イフェメラの得意げで事細かな報告は、ジュラメントが戻ってきても続いていた。

 ジュラメントの報告は本陣を確保した旨。籠っていた四百のほとんどを逃がしたが、代わりに武器食糧はほぼ持ち出させずに手に入れたと言う話。


 最後にネーレも戻ってくる。

 追撃戦は思うようにいかなかった話。新たに増えた捕虜は百足らず。


「退き上手との戦いは長引くな」

 と、エスピラは溢した。


 多くの者はメガロバシラスの良将にして今は人質としてウェラテヌスで客人扱いを受けているアリオバルザネスを思い浮かべただろう。あの者が出てきてからの戦いに於いて、結局アレッシアの好きな大打撃を与える戦は無かった。正面から打ち破り、敵、下手すれば味方にも甚大な被害が出るような勝ち方はできなかった。


 アスピデアウスが警戒しつつもどこか上から目線で来ているのはそのせいもあるとは、カリトンやピエトロと言った元老院に長く居る者の見解。尊敬される勝ち方ではないと言う話。正面から打ち破っていないではないかと言う嘲笑。


 しかし、エスピラはそんなことは気にしていない。人気の獲り方なら他にもある。

 逸れかけた話の中で、エスピラは味方の死者が零で済んだのは僥倖であり、敵を千討ち取るよりも難しいことだ、とも言ってネーレら高官を労った。兵を褒め、ささやかな祝宴を用意したのである。


 最後に、怪我人を一人一人見舞えばエスピラがこの戦場でやることはほぼ終わる。


 成果物の確認、管理、褒美の分配は副官のアルモニアに任せ。

 エスピラは、スーペルとマルテレスの軍団の位置や報告、ハフモニの軍団の位置報告を聞きながら次の手を選択し始めたのだった。


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