表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十一章
374/1589

大事なことは

「どうした?」


 愛息の他人行儀な呼び方に少々寂しさを覚えながらも、守り手と執政官としての立場を考えての発言だとは分かっている。


「敵の伏兵の経路を探ることはできるかも知れません」


 楽しそうに地図を見ていたイフェメラが止まる。

 少し冷めたような、おもちゃを取り上げられたようでいて嫉妬にも満ちた顔だ。


「どうやって?」

「馬の走った跡が残っております」


 イフェメラも興味が湧いたのか、地図から離れて上半身をややマシディリに向けていた。


「獅子狩りや行軍の時に草の間に踏み固められた土や、踏まれ過ぎて周囲と様相が異なる茂みを目撃いたしました。


 マルテレス様は勇将。スーペル様も経験豊富な上に父上が駐留軍を指揮した時には騎兵を率いておりました。そして、アイネイエウスはエクラートンを見捨てる大胆な決断を下すこともできますが、どちらかと言えば慎重な人物。今回もしっかりと機を見計らってから同数程度の兵でやってきております。


 思えば、アイネイエウスはマルテレス様との戦いも被害少なく引き、大軍を集められるようになってから事を運んでおりました。

 会戦場所も数年かけて入念に見繕い、その痕跡は無くなるものでは無いと思います」


 エスピラは、ポーズとしてイフェメラに目を向けた。

 少しだけ頬を膨らませつつ、イフェメラが二度三度と首を上下に動かしてくる。


「可能性はあります」

「イフェメラが戦場を絞ってくれたおかげだな」


 言えば、イフェメラの口角が緩んだ。

 足もやや開き気味で膝も閉じてはいない。


「戦場有利とは言え、精強無比のフラシ騎兵が相手になる。イフェメラ。頼んだぞ」

「はい!」


「投石具は準備する。他に必要なモノはあるか?」

「撤退上手なカウヴァッロが平野で騎兵を率いるのですか?」


 イフェメラが首を傾げた。


「まあ、そうなるな」


 エスピラはその質問を肯定する。


「スコルピオをお借りしても良いですか?」

「好きに使ってくれて構わないよ」


 そう返してから、エスピラはソルプレーサに顔を向けた。


「ソルプレーサ。キトレウムに人をやる手筈を整えるついでにイフェメラとスコルピオの整備部隊の顔合わせもやってきてくれないか? 改良を加えている技術者はイフェメラの顔を知らないだろ?」


 ソルプレーサが手を止め、地図から半歩離れた。


「かしこまりました」


 慇懃に頭が下げられる。

 エスピラは声には出さ無いが「うむ」と頷き返し、イフェメラを見た。イフェメラもてきぱきと頭を下げ、ソルプレーサについて天幕を出て行く。


 残ったのはエスピラとマシディリ、シニストラと奴隷が二人。


 二人の奴隷は地図を片付け始めた。


「ごめんな、マシディリ。イフェメラは優秀だが子犬のような一面もあるんだ」


「父上が良かれと思った行動であるならば、それが良いのだと思っております」


 マシディリが慇懃に頭を下げる。

 その様子を見て、エスピラは音も無く笑った。眉尻を下げたシニストラが、小さくエスピラに頭を下げる。奴隷は静かに出て行った。


「マシディリ。信頼してくれているのは嬉しいが、私だって間違える。その時にはマシディリ。お前が修正しないとウェラテヌスはまたもや苦境に陥ってしまうんだ。

 それと、私は公的な上下の無い関係が長い者に『様』をつけて呼ばれたくない性質でね。

 私のことを思っての公的な立場を意識した言葉だろうが、しなくて良い。責めたい者はどうせ責めてくるし、そうでない者は呼び方を気にはしないさ」


「申し訳ありません」


 少しだけ顔が浮いていたマシディリが、腰ごとまた下げた。


「謝らないでくれ。父の我儘だ」


 苦笑交じりに言うと、エスピラは書類の山に手を伸ばした。

 マシディリの顔が上がった気配がする。


「では、一つ聞きたいのですがよろしいでしょうか」


(気を遣われてしまったかな?)

 と思いつつも、エスピラは緩んでしまった頬のまま愛息に顔を向けた。


「何だい?」


 マシディリが小さく頭を下げてから口を開く。


「スコルピオの戦果は下降気味であり、投石機も既に一定の水準は満たしていると思われます。これ以上お金をかけるよりも他の場所に回した方が良いのではないでしょうか。

 その、ウェラテヌスは財のある一門にはなりましたが、収益によってと言うよりも他国からの心づけによる収入に頼っている一門ですので、現状の支出は些か、今までの父上の発言と矛盾しているのではないかと、思いました」


 スコルピオは場所を選ぶ上に速射ができる兵器ではない。

 投石機も、間違いなく最新式であり、世界最高峰のモノは今実戦投入している物だろう。

 それは、確かである。


 だが。

「尤もだね。でも、マシディリは研究開発はしたことが無かったな」

 との言葉から、エスピラはマシディリの意見に対しての回答を始めた。


「一から何かを作る、と言うことは目に見える成果が得られにくく、コストもかかる。机の上では上手く行っていても、実際は上手く行かないことも多いしね。

 でもね、マシディリ。だからと言って止めてしまえば、一生発展はしないんだ。追い抜かれてから急に始めても、追いつくことはできなくなってしまう。


 作物もそうだろう?

 カルド島で大きく育つからと言って持ち込んだ麦が半島でも育つとは限らない。だが、一つや二つの条件を試した結果駄目だったからとこれまで通りに戻してしまえば、誰かが成功させた時に人が流れていってしまう。格差がついてしまう。


 兎に角、研究開発はお金がかかる。それはそうだ。でも、これを止めてしまえば一時的に蔵は貯まるようになっても、その内蔵を奪われても取り戻せなくなってしまうんだ。人も育たなくなってしまうしね。そうなれば、さらに高額を払って技術者を呼ぶしかない。が、これは本当にお金がかかる上にこちらが引き抜けた者は別の者に引き抜かれる可能性も常にはらんでいる。


 どれだけお金をかけても、アレッシアのために働いてくれる技術者を育てなければならないんだ。そのためには研究に打ち込める環境を作ってやらないといけない。


 マシディリ。

 様々な制限を敷いている本国で、それが出来そうな家門はあるかい?」


 マシディリが首を横に振った。

 衣擦れの音はほとんどしない。


「その通りだ。そして、技術者を容易に手放す国があればそれをもらい受けねばならない。例えそれがハフモニだったとしてもね。

 だからこそ、天才と謳われた人たちを招きたかったんだけど、と言ってしまえばウルバーニに失礼か」


 エクラートンの、天才たちを。ブレエビらの暴走した者達に殺されてしまった人々を。


「決まり事を破ったのはあちらです。失礼も何も無いでしょう」


 シニストラが言う。

 マシディリは曖昧な表情で言葉を流していた。


「ま、そんなところさ。納得のいく回答になっていたかな?」


 エスピラは声を明るい調子に一変させた。

 マシディリが小さく腰を曲げる形で頷く。


「他にはあるかい?」


「その……」

 と、マシディリが目を下にやりつつ口元をもごもごと動かした。


 肩もやや内によっており、肩甲骨も前へと行くように少しだけだが丸まっている。


「私も妻となるべルティーナ様には、あれだけの財をかけるべきなのでしょうか……」


 あれだけ、とは、エスピラがメルアに使っているだけ、と言うことだろう。


「いや。三分の一、違うな、十分の一でも構わないよ。もっと少ない所もある。それに、べルティーナはアスピデアウスだからな。予想以上にかからない可能性はあるが、そこは気持ちだよ、マシディリ。金額の大小で現れるものでもないし、比べられるものでもないさ。むしろ、金額の大小で語ってくる女性なら距離を取った方が良い。碌な者はいないよ」


 ならば減らさないのですか、などとは繋がらず、「ありがとうございます」と頭を下げてきて、マシディリの質問は終わった。


「良し。じゃあ、少し父を手伝ってくれないか? 何せ仕事が多くてね。マシディリの視線だからこそ分かることもあると思うんだ。馬の跡、のようにね」


 エスピラの冗談に、シニストラが「それは良いお考えですね」と同意してしまった。

 マシディリの目が丸くなり、左右に泳ぎ、それからおずおずと近づいてくる。


 ソルプレーサが居れば一瞬で却下されたであろうその提案は、そのソルプレーサが戻ってくるまでの間続いたのであった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ