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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十一章
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月下の誓い

「気にするな。こっちも子供たちの弁論の練習台に使ったようなものだしね。お互い様だよ」


 同時に、ディーリーの口を十一歳のクイリッタが渡り合える程度と見積もっていると言う話でもあるが。


「それよりも、アイネイエウスだ」


 エスピラの言葉に、マルテレスの顔が一気に引き締まった。

 猛禽類の目である。


「アイネイエウスか。あれは味方とも戦っている男だな。ただ、それだけにハフモニ勢に纏まられたら少々厄介だ。戦闘中でも引こうと思えば引いてくる。進むときは見間違えない。

 アイネイエウスの指示に全軍が従えば、同数は無いと厳しいだろうな」


 集めてもらった情報よりも生の話は実感がある。

 それに、アレッシア最強の軍事命令権保有者であるマルテレスが同数は欲しいと言えば、本当に同数以上は必要になってくるのだろう。


「厄介だな、本当に。アイレス陛下からは三万の追加軍団がハフモニに集結したとの情報が入っていると言うのに」

「アイレスってえと、あれか。ドーリス王か」

「そうだ」


 マルテレスが小さく肩を揺らした。


「そうだって。軽く言うけどなあ」

「忘れたのか? 私は、アレッシアでエリポス方面を担当した軍団の長だった者だぞ?」


「随分と遠くに行っちまったもんだ。外征と言えばエスピラ。内政はサジェッツァ。昔は酒場に行ってはあの奴隷の尻が大きいだのあの足がたまらないだの、あの短剣が美しいだの言っていたのにな」


 マルテレスが斜め上を見た。

 その視線を辿ると、満月に行きつく。そうなれば自然、エスピラの目にも満月が映った。


「マールバラに野戦で唯一勝てる男はマルテレス。アレッシア最強の将軍なんだから、お前も遠くに来ているよ」

「そうかあ?」

「そうとも。それに、女性についての話ならマルテレスが振ることが多かった。次いでサジェッツァだ。私は、決して私からは言わなかったよ。メルアが居たからね」


 エスピラは砕けた雰囲気を心掛ける。

 クイリッタは何も言ってこなかった。


「そうだっけえ?」


 マルテレスが語尾を上げる。


「短剣が美しいは確かに私の言葉だ。が、残念ながら十三の時から私はメルアにしか女性としての魅力は感じていなくてね。それについて嘘を言ったことは無い……はずだよ」


 気を持たせるような発言や曖昧な発言をしたことはあったけれども。

 いや。二十の時にシジェロ・トリアヌスに揺れかけたのは事実だが、自分の中で一番大事なのはメルアしかいないのだと深く自認したのも二十の時だ。以来、エスピラにぴったりとその考えははまり続けている。


「まあ、いいや。クイリッタの前だしな」


 けらけらとマルテレスが笑い、顔を戻した。

 エスピラは肩をすくめる。マルテレスが息を漏らすようにまた笑った。


「懐かしいな」

 マルテレスが言った。


「変わらざるを得なかったからな」

 と、エスピラも言う。


 マルテレスの顔から笑みが消えた。目はたれ、眼力は弱まり、口元も下がる。


「サジェッツァか。驚いたよ。婚姻だってな。友との関係がある以上は必要ないって、昔は言っていたのに」

「背中が軽い内は互いに自由に動けただけさ」

「どうするんだ?」


 子犬のようなマルテレスの目を見ずに、エスピラは目を鋭くした。


「サジェッツァは優秀だ。サルトゥーラも、人の上に立たせなければこの上なく優秀で得難い人材だろう。失う訳にはいかないが、この現状でプレシーモ様を野放しにする決断しか下せない元老院は要らない。

 プレシーモ様よりもヌンツィオ様だ。アレッシアを想うなら、ヌンツィオ様にちょっかいをかけ始めたプレシーモこそを止めるべきだ。

 それが出来なくなるのなら、今の元老院で戦争に勝つのは怖いよ」


 ヌンツィオはインツィーアの敗戦、八万以上のアレッシア史上最大の兵力を数に劣るマールバラにすり潰された時の執政官だ。

 味方になるのは、国民を敵に回しかねない行為でもある。が、それでも八万の兵を動かせた人物なのだ。今も北方諸部族の動きを封じているのは伊達では無い。


 優秀であることに疑いようは無く、そうあって然るべきなのだ。


「サジェッツァのことは嫌いになったわけじゃないよな?」


 マルテレスが重ねて来た。


「もちろんだ。サジェッツァも友だ。だが、メルアにちょっかいをかけようとした男のいる家門の当主で、いつからかエリポス方面軍に一切の支援をしてくれなくなった元老院の中心人物だ。

 申し訳ないが、ウェラテヌスの当主として、エリポス方面軍を預かる時間が最も長い者として。私情を挟んで許すことなどできないよ」


「どうしてもか?」


 マルテレスの言葉に、エスピラはふふと笑った。

 マルテレスの方を向き、両手を広げる。月の光がエスピラの顔にかかった。


「私を斬るか? マルテレスの腕ならば、私を殺すことは造作も無いだろう?」


 ヴィンドが素早くクイリッタを引っ張った。次男が転びそうになりながらもエスピラから離れていく。ヴィンドの手は剣の柄に。明確な殺意をマルテレスに。

 ヴィンドが得意なのも赤のオーラ使いが好む一撃決殺の型。一刀剛撃の下で決める剣技。誰が死ぬかはどちらが先に抜くかの違いである。


 しかし、マルテレスは一切取り合わなかった。



「エスピラを守ると誓った。その意思に変わりは無い。エスピラがアレッシアを変えるならばついて行く。平民だ貴族だ言っている者もいるが、執政官をやって分かったことは文句を言っている者ほど大して国のことは考えていないんだ。大雑把にしか思ってない。諸々の問題を見落としている。


 貴族は必要だよ。元老院議員は必要だ。

 でも、それはこちらに耳を傾けてくれ、アレッシアの誇りを守り、祖国に繁栄をもたらしてくれる者でないといけない。


 エスピラ。俺はお前を信じている。そして、サジェッツァでは力が及ばなかったことも分かっている。斬れるはずがないだろ?」



 エスピラも、薄く笑った。


「やっぱりお前も変わったよ」

「かもな」


 ふう、と息を吐いて座り込んだマルテレスの横に、エスピラも座った。

 何とはなしに、二人の顔が月に行く。


「アイネイエウスに今のうちに突っ込むか?」


 マルテレスが切り出した。


「場所が分かるのか?」

「いや。でも、エスピラは分かってんだろ?」

「まあな。かくれんぼは終わりさ。もう一方的な鬼ごっこをしてやるだけだよ」


「分進合撃、だっけか?」

「あれは囮だ。一回やれば良い。意識させるだけが目的さ」

「ディラドグマや人形の森と同じか」


 人形の森とは、ディファ・マルティーマ防衛線で行った串刺しの森のことを言っているのだろうとエスピラは思った。


「広義では、ね。ただ、相手が私のことをどれだけ知っているか分からないから、ご自慢の高速機動も見せてやろうと思っているよ。マルテレスとスーペル様には、そのために穀倉地帯を開けてもらっていたからね」


 占領できるところはしてもらい、防備の硬い所は薄くするべく違う場所を落とす。


 そうして、質よりもまずは数を確保し、カルド島内に素早く軍団を展開できるようにと考えて指示を出していたのだ。


「エクラートン攻略とイエロ・テンプルムの掌握に加えて、か。本当に寝てるのか?」

「寝ているとも。イエロ・テンプルムはトリンクイタ様とクイリッタにほぼ任せきりだったしね」


「すごいな」

 と言って、マルテレスがクイリッタに笑いかけた。


 エスピラもクイリッタの方を見る。クイリッタは、一度頭を下げただけであった。


「アイネイエウス。どうする?」


 マルテレスが体の向きを戻す。


「時間はかけたくない」


 エスピラは、そう硬い声で切り出した。


「マールバラはディファ・マルティーマに狙いを絞ったようだからな。カルド島に来るなら、それまでに東部掌握を完了させ、こっちの土地とアレッシア最強の将軍と世界最高の兵器で討ち取ってやろうとも思っていたが、そっちに行くのなら時間との戦いだ。

 あいつが、皆で考えた防御陣地群を踏破してディファ・マルティーマを落とすのが先か、こっちがカルド島を占領し、ディファ・マルティーマに帰るのが先か」


 バーラエナやアクィラと言った防御陣地の喪失は仕方が無い。レオーネを最終防衛ラインと考え、それの喪失時には越権行為だとしてもイフェメラを代理の軍事命令権保有者に、ヴィンドを副官に。ネーレとジュラメント、ピエトロ、ジャンパオロと言った者を派遣するとエスピラはカリトンに伝えている。


 カリトンからの返答は、敵の刃がディファ・マルティーマに到達次第で大丈夫です、と言うモノであったが。


「奴が私が元老院での発言通り二年計画でカルド島占領を考えていると思っているのなら、十分に勝機はあるけどな」

「え?」


 マルテレスが目を丸くした。


「来年度の半島南部での軍事命令権も内々に得ている。私は一年で終わらせるつもりだよ、マルテレス。シジェロ・トリアヌスを此処に閉じ込めるためにもね」


 私情が過ぎるかな、とエスピラはマルテレスに向けて笑ったのだった。


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