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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十一章
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クイリッタ・ウェラテヌス

「あ?」

「クイリッタ」


 ディーリーの威嚇とマシディリの戒めを無視し、クイリッタが一歩前に出る。


「ブレエビが暴走したのは略奪を制限されたから。


 誰に?

 マルテレス様に。


 聞いた話ではその場にはお前もいたそうじゃないか。で、黙っていたわけだ。

 それを棚に上げて貴族貴族。


 おめでとうございます。これで愛しのグエッラ・ルフス様と同じですね」

「クイリッタ。そこまでだ」

「黙りません!」


 エスピラの言葉さえも拒絶して、クイリッタは大股で一歩ずつ確実にディーリーに近づいていく。


「私に言わせてもらえれば、お前もマルテレスもスーペルもサジェッツァも、苦境の原因となった自分たちは手柄と名声を得続けながら父上に尻を拭いてもらっている。


 賄賂をどうたら言いたかったらしいが、お前も私腹を肥やしているのと同じだ。父上に全ての責任を擦り付けて、のうのうと生きる。おお怖い。グエッラとか言う馬鹿も小さな勝利を大きく喧伝して、賢い選択を馬鹿にしていたな。


 なるほど。ウェラテヌスを批判するのも納得だ。

 正しい意見には耳を閉じ、自分に都合の良い世界だけで生きていきたい人種だもんな」


「言わせておけば」


 ディーリーがすごんだ。

 マシディリの左足が引かれる。手は腰の近く。剣の柄の近くに。ヴィンドの右足は前に出た。


 クイリッタは両手を広げる。


「斬ってみろよ。死ぬ覚悟はとうにできている。私はアレッシアの勝利のために尽くすつもりで此処に来た。権力争いしたいだけの貴様と違ってな」


 ディーリーの動きが止まった。

 鼻筋が何度も引くついているが、手は剣にかかっていない。上から、顎と首を見せつけるようにクイリッタを睨んでいる。

 そのクイリッタも、首筋を見せつけるように顎を浮かせた。


「頭アグニッシモか」


 ディーリーの怒気が、少しだけ萎んだ。


「自分に都合の良いことだけを並べ立て、上手く行かなければ力任せに押し通そうとする。そんなもん、五歳児でもできるって言ったんですよ」

「クイリッタ!」


 叫んだのはマシディリ。


「そうだな。アグニッシモに失礼だ」


 冗談めかして笑ったのはエスピラである。


「父上も煽らないでください。すみません。クイリッタもずっと大変な任務についていたので、少々疲れているのです」

「兄上はどちらの味方か! ウェラテヌスを馬鹿にされたのですよ!」


 クイリッタがマシディリの方は見ずに声を張り上げた。

 エスピラの頭に真っ先に浮かんだ反論は、「アグニッシモを馬鹿にしてないかい?」であり、マシディリも同じだったのか薄く開いた口はすぐに閉じている。


「何の考えも無しにしゃべる男が、愚衆と違うと何故言い切れるのです。この男はウェラテヌスを嵌めようとしたのですよ。

 あの時と同じ。父上に全ての責任を被せ、自分たちは国家の中枢に座ろうとした。

 腐ったアスピデアウスと同じだ。恩知らずのセルクラウスと同じだ!

 私は私に流れているこの半分の血が、大っ嫌いだ!」


 何かを言おうとしたヴィンドに、エスピラは左手を出して止めた。

 同じくマルテレスにも目で今は見守っていてくれないか、と伝える。


「私たちの父祖にはセルクラウスの者が居るし、伯父上はオプティアの書の管理委員の時に良くしてくれた。それに、私の婚約者はアスピデアウスの次女なんだよ、クイリッタ」


 マシディリが優しい声で言う。

 クイリッタの顔は動かない。


「兄上はそれで良いのです。兄上には才覚がある。兄上がセルクラウスやアスピデアウスと仲良く成ろうと、私は咎めません。兄上のことは嫌いになりそうなほどには好きですから。ですが、ウェラテヌスを嵌めようとしたこの男は嫌いも嫌い、大っ嫌いです」


 クイリッタが、ディーリーの足元に唾を吐き捨てた。

 ディーリーの目がかっぴかれる。

 膨らんだ胸は、しかしゆっくりと萎んでいった。


 気は長く、雌伏は吉。慎重は美徳。短気は勇敢では無い。


 そう、呟いているようにも見えた。

 約、七秒。


 クイリッタにはその行動が奇行に見えたのか、黙って観察しているだけのようであった。


「失礼いたしました。そのようなつもりで言ったのでは」

「つもりは無くとも同じこと」


 落ち着いた声を出し始めたディーリーの言葉を、クイリッタは途中で破り捨てた。


(挑発かな?)


 ディーリーに落ち着かれたら、勝ち目は無いと見ての。


「少なくとも多くの平民はそう思うでしょうね。ディーリー・レンドは家族を殺したグエッラ・ルフスと同じだと」


「グエッラ様が殺したわけでは無い」


「同じことでしょう。貴方の理論に従うのなら。貴族は貴族でひとまとめ。平民は平民でひとまとめ。覚悟も何も考慮せず、大きな枠組みでしか語れない。

 ならば、グエッラは軍規を乱し足並みを乱し、貶めようとしたサジェッツァに救われたのにみすみす八万の兵を殺した。お前もブレエビと手を組み軍規を乱し足並みを乱し、ウェラテヌスを貶めてみすみす二万の兵を殺そうとしている。

 同じですね。それが望みですか? ハフモニの犬め。ワンと言ってみろ、ワンと」


「やめろクイリッタ」


 マシディリの低い声を聞くのは、エスピラにとっては初めてのことであった。


「兄上!」


 しかし、やや目を丸くするエスピラとは対照的にクイリッタはすぐに反応を返す。


「父上はディーリー様の処分を望んでいない。許しておられる。

 クエヌレスやイロリウス、ティバリウスを暴走させようとした疑いも、内部の者からの訴えも、その手紙も。事実無根だと一笑に付されたのだ。そう『決められた』のだ。成人前の私たちが何か言うことじゃない」


 マルテレスの丸くなった目が、ディーリーに向かって行った。

 エスピラからはもう表情は見えないが、ディーリーが口を閉じ、歪め、目を逃したのは見える。



「疑いです。マルテレス様。


『そのようなことは無かった』。


 これが、建国五門が一つにしてエリポス、マルハイマナ、マフソレイオ、カルド島属州からの支持を得ているウェラテヌス当主の決定です。筆跡も似ていただけ。プレシーモ様の元にあるのは偽造。イフェメラ様の騒ぎもいつもの早とちり。カリヨ様の激怒は常日頃から叔父夫婦が上手く行っていないから。ウルバーニ様は信頼回復のための実績に躍起になっているだけ。ディーリー様は何も関係ありません。


 ですよね、ディーリー様」



 マシディリがまくしたてるように言い切ると、ディーリーに視線を向けた。

 真っ直ぐに、開かれたマシディリの目は有無を言わせぬ迫力がある。次期当主としての才覚に疑いなしと言われるだけの威厳がある。


 ディーリーの顔からも、すっかりと険が消えていた。

 いや、消えたのは証拠を全て押さえられていると思ったからか。


 本当のところは、エスピラには分からない。


「…………疑われる様な真似をしてしまい、申し訳ありませんでした」


 ディーリーが、マルテレスに頭を下げかけ、体の向きを変えた。

 まずはエスピラに。次いでヴィンド。マルテレスと行ってからマシディリとクイリッタに謝罪をしている。シニストラへは無い。


「ディーリー。悪いけど、席を外してくれないか。それから、オプティマに出頭してくれ。味方を貶める行為は軍律違反だ。確たる証拠が出次第、更迭するよ」


 マルテレスが力なく言った。

 ディーリーの頭は上がらない。それが、逆に疑惑を確信に変えてしまったのだろう。


 マルテレスの顔は、本当に、まさしく悲嘆に暮れていると言うしかない表情に変わってしまった。


「席を外してくれないか」


 マルテレスが弱く重ねた。

 数秒、間があってからディーリーが消えていく。


「気は長く、雌伏は吉。慎重は美徳。短気は勇敢では無い。

 良い心がけだ。無実の罪で彼を追放するべきでは無いよ、マルテレス。こちらこそ、早とちりをした者が居てすまなかったね」


 エスピラは穏やかに言うと、マシディリと目を合わせた。

 頷く。

 それで意図が伝わったのか、マシディリがディーリーの後を追うように去っていった。

 微かに感じていた気配の一つがマシディリについて行く。


「…………いや、悪い」


 そして、マルテレスはしゃがんだまま小さく溢したのだった。


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