将来への布石
「それは失礼。直接間接問わず『子供の父親に疑念を抱いている』者からありがたい忠告を頂くことが多かったものですから」
エスピラも顔色を変えずにタヴォラドに返す。
「そこまで疑念を抱かれてまだ自身の子だと?」
タヴォラドの目がシジェロの顔に注がれた。
鋭い視線で、退室を促している。
「このような状況で」
「セルクラウスの話だ。如何に処女神の巫女と雖も、あまり他者に漏らして良い話では無い」
食い下がろうとしたシジェロをタヴォラドが一蹴した。
頭では納得しつつも心では納得できないのか、シジェロの足は扉の方を向くが踏み出しはしていない。それどころか、心配そうにエスピラを見てきている。
「そう長い話にはなりませんよ。私は『ウェラテヌス』ですから」
安心させるように笑い、それからタヴォラドを見据えた。
視界の端ではシジェロが静かに重い足取りで退室していくのが見える。扉も静かに開き、静かに閉まり。
室内には一瞬の静寂が訪れた。
「あまり声を大きくするわけにもいかないか」
先に切り出したのはタヴォラド。
「そうでしょうね」
エスピラも、閉まった扉を見ながらそう返した。
シジェロが遠くに離れるとは思えない。
「ただ、聞こえても最も問題の無い人間か。だが、気をつけろ。処女神の巫女は強かだ。多くが有力者の妻に収まっている、しかも妻より若い年齢の元巫女が就いている。全員を一概にするつもりは無いが、目の前で見ては居るからな」
タヴォラドがエスピラに近づき、追い越しながら言った。
扉からは自然と離れることになり、二人の声の方向も自然と逆の壁に吸い込まれることになる。
「かと言って、あれだけの占いの腕を持つ者の代わりなどそうそう見つかりませんよ。それこそ、何十年と掛けねばならないかもしれません」
「時には利する者を斬ることが長期的な利益に繋がることもある」
「今その判断を下すことは些か短絡的過ぎるかと」
「……まあ良い。君がメルアのことを大事にしてくれていることは去年に存分に理解した。あの時点でベロルスを切るなど、私から見ればらしくない行動だったからな。だが、父上も母上を大層大事にしていたのにも関わらず処女神の巫女を迎え入れた。この意味が分かるな?」
タイリーが娶った妻はアプロウォーネである。目の前のタヴォラドや、メルアの母だ。
だが、それとは別に務めを終えた処女神の巫女であるパーヴィアとも結婚している。
「フィルフィア様もティミド様も大人しい性格だと聞いておりますが」
フィルフィアはタイリーの四男であり、ティミドは五男だ。どちらも、元処女神の巫女であるパーヴィアとタイリーの子である。
「濁さなくても良い。どうせ、調べているのだろう?」
「人を使ってですけどね」
愛妻との子ですら愛妻の死の要因になれば監禁した父なのだ。ならばその愛妻の子を脅かせば自分たちの命は危ないとすら考えた、と。
その上でタイリーが最近はメルアを持ち上げているのはその母親が愛妻アプロウォーネであり、愛妻に最も似た容姿であるからだと。妻の面影があるからこそ大事にし始めたのだとフィルフィアもティミドも考えているらしい。
共に、激しすぎる主張は身を滅ぼすと考えていると、調べがついている。
「保身のため、と言えば聞こえは悪いが二人とも人を見る目はあるようだ。母親とは一定の距離を保ちつつ、干渉を排して私の元に来たよ。君からベロルス一門の裁判を奪った甲斐があった」
「獲れそうですか?」
「執るともさ」
「得ることは前提なのですね」
「当然だ。偉大な者の後は必ず荒れる。下手にハフモニとの戦争中にセルクラウスを波立たせてなるものか。今後のセルクラウスに大事なのは更なる拡大ではなく、個人の才能に頼らない安定したシステムだ」
「その安定した形をタヴォラド様の才に頼って作り上げるのですか」
タヴォラドの肩が小さく揺れた。
「君は時折、素で私に厳しいな。まあ、だからこそ演技に真実が交ざると言うものだが」
「兄弟ならば、恐らくこう言うものでは?」
「もっと遠慮があっても良いと思うがね」
タイリーよりではあるが、メルアとタイリーの中間のようなタヴォラドの困り顔がエスピラに向けられた。
「カリヨはイロリウスとの婚姻があるかも知れないと伝えると『まさか取ってこれるとは思わなかった』と真顔で私に言ってきましたよ」
「君は女難の相でもあるのではないか?」
タヴォラドが目を上に逃がし、首をひっこめた。
「それは」
「いや。個人的にはメルアに感謝しているとも。ベロルス一門をひっかけ、何もせずともトリアンフを誘惑し、ウェラテヌスとの結びつきを恒久に保ってくれそうなほどに君を惚れさせた。叔父上よりも功績としては大きいとすら思うとも」
「凱旋将軍はアレッシアの男の夢ですよ」
「神に愛されていただけさ。神に愛される才と機を逃さない才も重要なものであるとは分かっているがね」
ルキウスもまたタイリーに認められている男であり、タイリーの弟である。
後継者争いと言う点においては、十分に正統性は存在しているのだ。
あとは才能だが、エスピラはタヴォラドをおいて他にないと思っている。
「さて、もう一つの本題だ」
こちらを向いたままだからか、タヴォラドが声量をさらに落とした。
「マフソレイオへの使節に私が加われば、動きづらいか?」
何時出発するのか。何人で行くのか。そもそも、エスピラが持てる権限はどの程度になるのか。
その辺りが不明ではあるが、エスピラは軽くだけ頭の中でシミュレーションを組み上げた。
「いえ。そのようなことは無いかと」
その結論がこれである。
問題は、無い。
「ならば話は早い。使節団の編成、船、着るもの、食事、宿。全て私が手配しよう。代わりに、マフソレイオとの会談は全て君に任せる。反目している二人ならば、手柄を譲り合わなくて当然だろう?」
「それは、タヴォラド様に何か利益があるのですか?」
タヴォラドが参加するとなれば家格、個人の才ともにタヴォラドが使節の長となる確率が高いだろう。
だからこそ、エスピラを自由にさせて得た成果も自分の采配が正しかったと主張することで多大な功績に仕上げることができるはずである。
そうでなくとも、尻尾きりにもできるのだ。譲り合わないどうこうではなく、タヴォラドが全てを差配したと言う形の方がタヴォラドの得は大きい。
「叔父上は君を上手く使えなかった。使い方を間違ったせいでディティキの王を失ったとも言えるし、自身で捕らえられなかったとも言える。兄上は、まあ、こちらも自身でつけた火だが実の妹に欲情した結果が友人を失い味方を減らす結末だ。
あえて対抗馬足り得る君を残しているのに、これでは食いつきが悪いだろう?
相手の行動は予想できる方が良い。コルドーニ以外の兄弟は私と仲が良く、私の対抗馬足り得る君が私と仲が悪ければくっつきたがるはずだ」
撒き餌としての功績、と言うことだろう。
外の一門も巻き込んで火種を大きくするよりも、セルクラウスの後継者争いはセルクラウスの関係者で終わらせる。そのための一手。
「そう言えば、クロッチェ様も私びいきでしたね」
愛人の話が出るくらいには。
「ああ。だから微妙に距離を取ってあるとも」
クロッチェもタイリーの愛妻、亡きアプロウォーネの子である。
六人の内、四人がトリアンフの派閥になっても良い。あるいはルキウスの派閥に組み込まれれば三つの派閥が二人ずつ保持することになる。
「なるほど。ですが、利用して食べちゃうかも知れませんよ。タヴォラド様がベロルス一門を徹底的に攻撃したように」
エスピラの挑発に、タヴォラドも挑戦的に口元を吊り上げた。
「やってみるが良い。私の想像を越えられるか、どうか。楽しみにしているよ」




