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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十一章
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忠誠を示せ

「種なし野郎!」


 エスピラが目の前に来るのを待ってか、縛り上げられているブレエビがそう吼えた。


 エスピラは足を止め、左手を腰に当てる。紫色のペリースが盛り上がった。その体勢で眉尻を下げ、鼻から溜息を吐く。ブレエビの目は盛んに左上に言っており、エスピラを睨むのとで非常に忙しいようであった。


「私には、子供が八人も居るのですが」


 困りましたね、と言う空気を作りながら、エスピラは右手のひらも腰の前でブレエビに向ける。


「エリポスでの三年間、いや、それ以前のカルド島攻防戦やマールバラ封じ込め作戦などの一連の従軍に於いて一度も娼婦や男娼を利用しないことなどあり得るか!

 八人目がどうなるかは知らないが、マシディリ様を除く全員がエスピラ様のいない時に生まれている! マシディリ様だってさかのぼれば怪しいモノだ。

 しかも、メルア様は生粋の男好き。

 てめえの種じゃあないんじゃないか? 確かめる前に継がなきゃいけなかったわけだしな」


 エスピラは、近くに居たカルド島の神官を呼んだ。

 確認したのは口の悪いモノを供物にして大丈夫なのかの確認。どこまでどうしてよいのかの確認を、堂々と。本人たちの前で。


「アグネテは大層な美女だと聞いている! シジェロ・トリアヌスも言い寄られて気が増長しない男などいない。エスピラ様。貴方を除いてね」


 ブレエビに反応を返さず確認を終えると、エスピラは神官を下がらせた。

 神官は慇懃に頭を下げ、ゆっくりと離れていく。


「満足しました?」


 それから、エスピラはブレエビに丁寧に尋ねた。

 ブレエビの目が盛大に泳ぐ。満足はしていないようだ。


 にっこりと笑いながら、エスピラはブレエビの前へと足を進める。



「御存知かとは思いますが、私は他の男が妻を目にすること自体非常に嫌悪感を抱く性質の人間なのです。三秒でも見つめようものなら、その瞬間にその男を嫌いになる自信があるほどに。


 ですから、若き日の私は思ったわけですよ。私が居ない間、彼女が私の子を身籠っていれば他の男も近づけない、とね。


 とは言え、子は授かり物ですから。上手く行ったのは神々が私のそのあさましい心を許してくださった証。無事に生まれ、メルアも元気なのは父祖が見守ってくださった証です。

 それを貴方がとやかく言うなど、自分が神にでもなったおつもりですか?」


 最後の読点までは笑みのまま。以降は、一気に温度を冷やして。表情を全て消して声音も低くした。


「違う! 神になるなど、そのような不敬を犯したつもりは無い! 私はただただウェラテヌスの行く末を心配しただけだ。その血が繋がるかを心配しただけの者を侮辱するのか? それは父祖への侮辱じゃないのか? 自分の父祖に申し訳ないとは思わないのか?」


 ブレエビの言葉は、最初よりもやや早口で紡がれている。


「血は繋がっている。誇りも、同様に。父祖に申し訳ない? むしろ私は自慢して回りたいくらいですよ。私の、私と妻との間にできた子供たちをね。

 当主マシディリの下でウェラテヌスは史上最大の繁栄期を迎える。貴方こそ、自分の父祖に謝りながら私の子供たちが築く未来をしっかりと見るが良い」


 一歩、二歩、とエスピラはブレエビを見ながら優雅に下がった。

 そこから踵を返し、離れる。安全な場所へ。供物たちに火をかけられる場所に。


「グライオ・ベロルス!」


 そこに移動し終えようとしたのだが、ブレエビの血と汗の滲んだ叫びに足を止めてしまった。


 僅かに顔を向け、聞いている、と示す。


「相当優秀な人物らしいな。え? 見目も良く、オーラも赤で、元老院が何としても切り離そうとした奴だ。事実、引き離されて、その結果エスピラ様の選択肢は大きく絞られてしまっている。

 おや、そう言えば、似た者が」

「火をかけろ」


 エスピラが言えば、松明を持った男たちが火を天高くかかげて供物に近づいた。


「待て! そうだ。そうだ! お前はまだ若輩者だから突入の順番を」

 と、縛られた体を揺らしてブレエビが吼えたが、アレッシア語の分からない男たちは薪に火を着けた。


 一気に燃え上がる。


 動き続けるブレエビの口は、しかし炎によって空気の波を他の人に伝えることは無かった。


「この軍団の二番手はアルモニアだ。そこを曲げてまで扱ってやれば調子に乗るとは、救いがたいな。その上、私の大事な仲間を侮辱してはね」


 大隊の監督役の二人も炎に包まれる。反乱軍三千六百。つまり、二個大隊八百はブレエビとラシェロ以外の軍団長補佐の指揮を無視して略奪に加担したのだ。

 その責任者もまた、供物としてカルド島の神、もといカルド島の民の留飲を下げるために捧げたのである。


 反乱部隊に居た三十六人の百人隊長の内、二人は不慮の事故で亡くなっている。

 腕は折れ、足の関節は増えていたが、不慮の事故である。


 エスピラは、同じ高さから三十一人の百人隊長と三十四人の百人副隊長、そしてラシェロ・トリアヌスを見下ろした。



「君達に言うことは二つ。


 一つはこの火が消えるまで此処を動くな。ずっと見ていろ。目の前に居るのは、あり得たかもしれない君達だ。その君達を救うために死んだ者の姿を一生忘れるな。


 もう一つは、アレッシアに忠誠を示せ。私はもう君達を信用できない。が、軍事命令権保有者としての責務がある。君達の信用を回復させ、他の軍事命令権保有者の下で今後活躍できるように取り計らう責務があるのだ。その機会は当然与えよう。


 そして君達は今度こそはその機会を逃すなよ。必ず掴め。掴み、己が誇りと父祖が築き上げてきた名誉を取り戻せ。以上だ。


 最後に、君達の後ろに居る者たちを考えない、純粋に君達だけに向けた言葉になるが、君達は百人隊長だ。その技術、能力こそがアレッシアの宝である。だからこそ、私は失望したのだ。規律を保つために全員の処刑を決行すべきか、アレッシアの国力を考えて一人でも多く生かすべきか。今の今まで悩み続けたのだ。


 それだけの価値が自分たちにあることを覚えておくように。


 では、君達が私以外の者の下で活躍できる未来を祈っているよ」



 言って、エスピラは百人隊長たちの間を割って進んだ。


 周りは、火がかけられたことによって祭りが始まっている。カルド島の民が主役の、神を称える祭り。そこにアレッシアの伝統を入れて、盛り上げつつ、文化的な侵略を試みつつ。


 解放を条件にハフモニの捕虜同士に戦わせている闘技場や、厳格に芸の腕を審査され、一人から集められる最大金額を定められた大道芸人が盛り上がりに拍車をかけている。


 その端で、処刑も見届けていたであろうウルバーニが頭を下げてエスピラを出迎えていた。

 エスピラも、そんなウルバーニを認めて近づき、二歩ほど通り過ぎたところで足を止める。


「ウルバーニ」


 いつもより低い声に、誰かの反応は無く。


「あれは、君の演出か?」


 エスピラの静かな声だけが続いた。

 ウルバーニの顔が下を向いたまま、腰がやや上がる。


「さて。私は川魚の釣り方を話しただけ。大海を泳ぐ大魚を同じ方法で釣り上げるのは無理な話では無いですか?」


 エスピラは、ウルバーニに顔を向けた。


「なかなか、趣のある演出だった。が、人によっては君が言いたいことを言わせただけにも聞こえるかも知れない。クエヌレスをとりたいならば気を付けた方が良い」


 が、の部分のためを大きく作って。

 後の部分はすらすらと。


「エスピラ様は非常に寛容な方です。どうして言いたいことを遠慮する必要があるのでしょうか」


 ウルバーニが頭を下げたまま言う。


「寛容?」


 エスピラはちらりと供物となり燃え盛っている広場に目をやった。


「はい」


 ウルバーニの顔が上がる。

 口角には、少しの余裕があった。


「エスピラ様の逆鱗に触れないようにするには、たった三つのことを守れば良いだけ。


 一、アレッシアを貶さない。

 一、ウェラテヌスの父祖を貶めない。

 一、家族に対して事実以上のことを言わない。


 ただ、これだけですから。伯父上は行動でアレッシアを貶し、言葉でウェラテヌスを貶め、エスピラ様のご家族に対してありもしない罪をでっちあげました。

 助かる気など、無かったのでしょう」


 そして、ウルバーニが頭を下げる。いや、片膝をついた。

 王に首を垂れる臣下のような態度である。


「ウェラテヌスに沈まぬ太陽を。そして、クエヌレスに気高き誇りを。アレッシアに月の女神の」

「ウルバーニ」


 言葉の途中で、強めの言葉をぶつけてエスピラは彼を止めた。


「口が過ぎれば疑いは濃くなる。その神の名を出したいのであれば、黙って行動で示せ」


 ウルバーニの肩が震えた。

 体は下がると言うより縮こまり、首の後ろは少しだけ光って見える。肌も、やけに白い。


 エスピラは、ぬくもりなど全て抜け落ちた視線をウルバーニに落とし、それからしゃがむ。右手は、肩に。じっとりとした感触が伝わって来た。冷たい肌と、運動とは違う汗の臭いも。


「まずは、元老院に処罰が遅くなったことの謝罪をしなくてはな。軍規違反は即座に処さねばならん。が、遅れてしまった。これでは示しがつかないだろう?」


 もう二回、肩を叩き、エスピラは離れた。音も無くウルバーニを置いていく。


 ウルバーニが動いたような衣擦れの音は、ついぞしなかった。


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