エクラートン西方の戦い
開戦の合図が打ち上がる。
エスピラがそれを確認した時は既に戦場の近くであり、喧騒を耳で、地鳴りを足で感じながら即座に戦場に布陣した。
ハフモニは準備が整っていない。しかし、陣の外に居る。エスピラに情報を提供してくれていた者たちがハフモニの陣地で虚報を流してもいるのだろう。エスピラからは、遠くにある戦場の中心地がさらに離れて行っているようにも見えた。列が比較的整っている者達の方が進んでおり、ばらばらの者達が潰されたイチジクのように溢れ出している。
「第二列。整息完了いたしました」
ピエトロの被庇護者が来て、膝を着いた。
「ご苦労」
顔を向け、水を与えて労った後、エスピラは戦場を見る。
味方騎兵は少し少ないように見えた。だが、乗り手のいない馬はハフモニ側の馬だろう。
推測に過ぎないが、カルド島に行くにあたってディファ・マルティーマでしっかりと整えて来た馬には見えない。
(イフェメラは、左方に布陣、と)
「歩兵第二列を右側、ネーレの側から突撃させろ。歩兵第一列はまずはネーレの部隊が退き、それからジュラメントの部隊だ。息が整えば、再度突撃してもらう」
かしこまりました、と伝令が走り出した。
その背を見ながら、エスピラはまず自陣の到着と指揮を執る旨を知らせるオーラを打ち上げさせる。
ほどなくして、イフェメラ、カウヴァッロ、ネーレ、ジュラメント、ピエトロ、ヴィエレの全員から返事のオーラが打ちあがった。
伝令はピエトロにたどり着いているだろう。
「右方より、第二列、突撃」
静かに、力強く。
エスピラが指示を出せば、シニストラが剣を抜いて右斜めにオーラを放った。特大の光を、三発。四発目は右斜め前に投げ捨てるように。それを、時間を開けて三回。
低い雄叫びの集団が立ち上り、第二列が動き出した。
その足音は、山をも越える巨人が走り出しているようにも聞こえる。
隙間を空けるように間隔をとり、その隙間を歩兵第一列の者が退いて行く。そうして、味方を回収しながら元気な第二列が敵軍に突っ込んだ。
敵左翼が潰れる。アレッシアの歩兵第一列は徐々に集まって、また整列を始めた。騎兵は打ち漏らしや横に出て来た敵兵に攻撃を加えつつ、後ろに逃げる者、エスピラ達にとって左側に逃げる者は追わない。カウヴァッロもしっかりとエスピラの意図を汲み取ってくれたようだ。
そのまま追い込むようにしてジュラメント率いる残りの歩兵第一列を回収し、第一列が整い始めた。戦場の様子を見ながら、エスピラも一歩ずつ、完全に軍靴の音を揃えて第三列を前進させる。
三十分程度。
それを待ち、エスピラは歩兵第一列に再度の突撃命令を出した。第二列は退く。
元気を取り戻した勇猛で積極的な兵の攻撃により、完全にハフモニ軍は崩れ去った。追い打ちには歩兵第二列も出す。突撃した方向。引いた方向から、どうしてもアレッシア右翼が厚くなる。つまり、逃げるなら左側。少なくとも、奇襲を受けたうえで敗戦した戦場で冷静さを保てる者は。
そして、それでも後方や右側に逃げるだけの胆力を持ち知恵の回る者ならばこの時期にエクラートンの救援にはやってこない。
結果。
「師匠!」
と、イフェメラが馬に首の取れかけた死体を乗せてやってくることになったのであった。
もちろん、死体の鎧は良いモノで、剣も立派。短剣も綺麗な宝飾がついている。
兜の無い頭部は、髪の毛が無い。
「約束通り、ハゲのクノントの死体を持ってまいりました!」
エスピラは笑顔で頷き、「よくやった」と声を掛けた。
イフェメラが白い歯を剥き出しにして笑う。
その間に寝返りを約束して投降してきた傭兵たちが顔を確認し、金持ちのクノントだと確認が取れた。
「皮は綺麗に剥ぎ、はく製にして丁重にお返ししようか。肉はそこら辺の獣に食わせよう」
エスピラは右手を死体の頬に当て、お疲れさまでした、とハフモニ語で話しかけ、それから移動させた。
「なんて言ったんですか?」
興奮冷めやらない様子のイフェメラがエスピラとの距離を何時も以上に詰めてくる。
「お疲れさまでした、とね。呆気なかったとはいえ、一万以上の兵を数年間率いていた者だ。労うことぐらいは許されるだろう」
なるほど、と納得した様子を見せたイフェメラが、死体を持っていく者たちを止めてエリポス語で「お疲れさまでした」と言った。すぐに死体を運ばせるが、イフェメラはその死体に手を振り続けている。
「エスピラ様」
ソルプレーサが近づいてきた。
「歩兵第一列、第二列、カウヴァッロ様の騎兵隊に死者は居りませんでした。深手を負った者は百四十九名。皆、白いオーラ使いの治療を受けております。軽傷者の数は計算しておりませんが、木の皮にまとめてあります」
「深手を負った者は、助かりそうか?」
「問題なく」
軍団長としての仕事を果たしたソルプレーサが慇懃に頭を下げる。
「そうか。なら良かった。後で声を掛けに行こう。その前に、ネーレ」
「はい」
ずっと控えていたネーレ・ナザイタレが素早く近づいてきた。
「本当によくやった。大成功に導いたのはイフェメラだが、そもそも成功まで導いた第一功はネーレだ。道中もしっかりとこちらに意図を伝えるような行軍を繰り返し、戦場でも混乱なく分進合撃を完遂させるとは、流石だな」
「ありがとうございます。全ては父祖と神々の加護。そして、エスピラ様のおかげです」
「何よりも君の力だ、ネーレ。君と言う個人が父祖と神々の加護を呼び寄せた。次も期待しているぞ」
「は」
貴重なきれいな水を、山羊の膀胱ごと渡し、エスピラは離れた。
分進合撃を受けた兵が散ったのを確認した後、分解して持ってきていた投石機を一か所にまとめ、金持ちのクノントが最後に傭兵を集めていた街の前に並べる。兵数はシニストラの率いる千六百のみ。カウヴァッロが近くで馬の調練をしているが、それだけ。
だが、それだけで防備の硬くない街は門を開いたのであった。
当然悠々と、まるで分進合撃を用意していましたよとでもいうようにエスピラは全ての門からアレッシア軍団を入場させる。
虐殺は無し。街の政を司っていた場所の宝物庫を手中にし、一部を軍団に、一部を国庫に納めるためにと回収した後は兵の自由にさせた。
九年以上住んでいると証明できなかったハフモニ人は全て追放。ハフモニに協力していた者も追放やあるいは死体を道に吊るし、街路樹とする。その者たちの住処は全てアレッシア軍団の仮宿舎となり、略奪地となり、ただ、その者らの財は街の人のためにも使った。カルド島属州への強制的な編入と、そこに対してエスピラがこの街の監督官にと親アレッシア派に推薦する。街の法はほとんどそのまま仮施行し、詳しくは「カルド島の者に任せる」と布告して。
ブレエビ・クエヌレスの甥、ウルバーニ・クエヌレスがやってきたのは、エスピラが今後のモデルケースとして大して大きくも無い街とその近隣の村々を一応人道的に治め始めた時。
エスピラが作ったカルド島臨時政府の高官の護衛の一角として、ヴィンドと共にやってきたのである。
「これはこれはウルバーニ様。ブレエビらクエヌレスの者は、乳母に泣きつくようにプレシーモ様に泣きつきでもしたのですか?」
乳母は、アレッシア人は誰もが特別に思っている存在であり、大事にもしている。が、奴隷だ。貴族であるプレシーモに対してかかるその言葉は、侮辱以外の何物でもない。
そんな言葉を選択しておきながら、同時にエスピラは同席していたマシディリが下がろうとするのも止めた。
「クエヌレスの者全員があの女の魔乳で育っているわけではありません」
ウルバーニが硬い声で言う。
「誰もあの女に育てられたとは言っておりませんよ。頼る先、と言う話です」
エスピラは笑みを崩さずに返す。
戦場だからとして、奴隷には何も用意させなかった。
「さて。ウルバーニ様。監督権を奪われることになったとしても私に訴えたいことがある、とヴィンドに言ったそうですね。ブレエビの後任として軍団長に上がる予定のヴィンドに聞かれても言わず、私に直接言いたいことがある、と」
ヴィンドへの信頼と、組織としての一つ頭を飛び越えた訴え。
それに対する、怒りと言う剣を鞘に入ったまま差し出して。言葉と共に感情を渡されたウルバーニの唇はカラカラに渇いているようにも見える。
「まだ私の耳にはブレエビ様の罷免の話は耳に入っておりませんので」
そうはっきりと言って、ウルバーニが束になっている羊皮紙を取り出した。




