分進合撃
分進合撃。
要するに、戦地までは分割して進んでいき、開戦と同時に一気に集合して襲い掛かる作戦。
各部隊長に柔軟かつ高い権限を付与することを認められ、各部隊長も高い練度の兵を高い指揮能力で指揮する必要がある、難易度の高い作戦だ。
この作戦は騎馬民族であるトーハ族が得意とする戦術、分散合撃を元に考えたものである。
分散合撃は、騎兵が各々散らばって突撃して行くが、敵の軍団にぶつかる瞬間に一個の部隊となり一気に突破する。混乱と混沌の渦巻く戦場で高い連携力を発揮する必要のある、普通ならばできない作戦だ。
それを、エスピラは戦場に到着するまでの間で実行するつもりである。
練度は十分。
エリポス、正確に言うならディラドグマ以後の四年半、この軍団は行軍訓練を続けていた。小部隊を編成しなおせと言う横やりは入ったものの、連携は十分である。
部隊長や百人隊長と軍事命令権保有者たるエスピラの間での目的の一致もやってきた。
エリポスで。ディファ・マルティーマで。エスピラは作戦の意味を聞かれれば教えてきているのだ。
防御陣地を十全に活かす戦い方をすることによって、敵軍に対して遠隔地にいる各部隊がどうやって連携を取るかの練習もしてきた。実戦を、当代最高の将軍マールバラ相手に積んできているのである。形は違うとはいえ、やってきているのだ。
さらに、番号による土地の把握や名称をつけることによる全兵士間での目標設定の共有も、ディファ・マルティーマで試してきている。
ただ、そこまでしても、『金を使って傭兵を集めている』と言うある程度情報が分かる相手でないといけないし、カルド島に構築した情報網をフルに使わないといけない。
状況が限られる上に、やっていることは奇襲に近い攻撃。斜行陣が行軍中に全軍の隊列を整わせてからすぐに攻撃を加える作戦だとすれば、分進合撃は散らばっている部隊が開戦一秒前から開戦後数分で一個の軍団に変わる作戦だ。
敵の意表はつけるが、相手が猪突猛進型ならばこちらが崩れる可能性が高い。
だが、エスピラは高官にこの危険性を説明したうえで分進合撃を行うと表明した。批判は無い。反対意見も無い。兵からもまた存在しない。
アレッシア人らしくない、などと言うのは彼らには既に関係無い話だ。
エリポス以来の一万三千が望んでいるのは、新たに合流した軍団によって傷つけられた自分たちの名誉の回復。勝利だけ。
何をしようとエスピラが勝利につなげる。
そして自分たちが勝つことが何よりアレッシアのためになる。
そう信じているからこそ、エスピラに従ってくれるのだ。
「イフェメラ」
「はい」
ぱたぱたと、大型犬が尻尾を振るようにイフェメラがやって来た。
騎兵の行軍速度は速いため、まだエスピラの近くに居たのである。
「ネーレに、遅れなく進軍していることを伝えるとともに配置の距離についてくれ」
「わかりました!」
イフェメラが、どん、と胸を叩いた。
鎧によって少し痛そうな音がなっていたが、イフェメラの顔は変わらない。
「それから、クノントは殺しても構わない。百人会に財をばらまき、独断専行の許しを内々に得ている上に失敗してもアイネイエウスに押し付ける準備を整えている。アイネイエウスが上手く失脚するなら嬉しい限りだが、下手にカルド島でハフモニの将軍同士が別々に暴れられると厄介だ」
言えば、イフェメラの目が輝いた。
伸びていた背が、今度は反るように膨らむ。
「お任せください! ハゲのクノントの死体を、必ずや師匠の前に持ってきます!」
そして、意気揚々と、膝が高く上がる歩き方でイフェメラが戻っていった。
(必ず殺せと言う意味では無いんだけどな)
とは思いつつも、イフェメラならば金持ちのクノントの死体を持ってくるだろうと言う確信に似た感情もある。
「カウヴァッロ」
そして、翌日はもう一人の騎兵部隊の指揮官、騎兵副隊長のカウヴァッロを呼んだ。
イフェメラよりも声に張りは無いが、しっかりと届く声で返事がして、カウヴァッロが静かに頭を下げる。
「まだ調教不足です」
カウヴァッロが顔を上げていった。
「そっちは使わないよ。分進合撃には不適だからね。だからいつもの馬に切り替えて君も配置の距離についてくれ。その際、ジュラメントの様子の確認も頼む。それから、撤退の判断を下した時、イフェメラの部隊との距離が離れすぎていた場合は考慮しなくて良い。
イフェメラなら何とかするさ。そう、信頼してやってくれ」
「かしこまりました」
草木に消える足音で去っていくカウヴァッロを見送ると、エスピラは次に伝令のまとめ役をやっている若い者、アビィティロを呼んだ。
「ピエトロ様とヴィエレに、木材や荷駄車に不都合が無いか聞いてくれ。今回ばかりは命に大きく関わってくるからね。心配性な軍事命令権保有者のおせっかいだよ」
今回は高速機動の時とは異なり、食糧や武器などの荷物と共に進んでいるのだ。
平均行軍速度は大幅に落ち、山道などではそれ以上に落ち込む。
だが、軍の継戦能力は大幅に上がるのだ。いや、そもそもが略奪が補給の基本とは言え、略奪した物資を運ぶためにも荷運びは必要であり、この行軍は普通のことである。
加えて、アレッシアには荷運び中に急襲された時に取るべき陣形があるのだ。
エスピラは、それに改良を加え、行軍からの戦闘隊形にすぐに移れるように訓練を課していた。今回はそれを活かすだけ。物資を捨てて、分進合撃を可能にするだけ。第二列が急襲されても、すぐにエスピラらの第三列が敵分進隊を包み、カウヴァッロが槌となってすり潰す。
分進合撃は作戦としてはかなり複雑で求められていることは多い。
だが、基本は徹底的に訓練を積んできた行軍と隊形変化であり、敵に先に攻められれば槌と金床戦術に持ち込む。先手を取れれば奇襲状態で敵より勝る数で正面突破を図るアレッシア伝統の戦い方をするだけ。
結成当初ならいざ知らず、今の、アレッシアの軍団の中で最も損耗率が低く最も長く同僚が変わらないエリポス方面軍ならば実現可能な戦術なのである。
「さて」
全ての配置が終わったころ、エスピラは見ていた地図に石を一つ置いた。
エスピラが最も恐れていたのは金持ちのクノントが兵を三千強ずつに分けてそれぞれを襲撃してくること。
そうなればこちらが数的不利になるだけでは無く、クノントが傭兵の心を掴んでいることにもなる。
金持ちのクノントは土地勘が無いのだ。それなのに可能と言うことは、傭兵が味方になっていると言うことであり、エスピラに流れてきている情報が嘘だと言うこともあり得る。複数の情報筋が全て寝返っている可能性もあるのだ。
「エスピラ様」
相変わらず物音を一切立てずソルプレーサがエスピラの傍に立った。
エスピラは目を軽く閉じて、顎を少し動かす。人の足音に消える木々の音からも消されてしまいそうな衣擦れの音の後、ソルプレーサが一歩下がった気配がした。
一度呼吸をし、エスピラは目を開ける。
地図上の石たちはほとんど変わっていない。そこいらで補充したハフモニ勢を示す石は昨日の予測通り。対してエリポス以来のアレッシアの部隊を示す綺麗になってしまった石はイフェメラがやや前に出ていた。ネーレは右に移動しており少し開きがある。ジュラメントの部隊から離れたのであろう軽装歩兵を示す石がイフェメラの左手側の、山の中にあった。
「如何されますか?」
「このままで構わないよ。これだけ見ても、クノントの警戒が予想以上に高かっただろうって分かるし、イフェメラが完全に将の首を獲りに行っているのも分かる。警戒じゃなくて、ネーレもそのことを伝えてきているのかも知れないな。
まあ、把握しているとは思うが、ネーレとイフェメラ、あとジュラメントにも互いの位置を知らせてやってくれ」
「かしこまりました」
ソルプレーサが離れ、エリポスから引き揚げたエスピラの信頼がおける者が散って行く。
細かな情報収集と互いの連絡と、情報提供者への適度な褒美と極稀に処分。
「エスピラ様」
と、トリンクイタからの使者、もといシジェロの占いを持ってきた使者からカレンダーを受け取り、相手の様子と自軍の様子から決行日時を決める。
最後にネーレと打ち合せ、会戦の日と決まったその日の夜。
エスピラは斥候部隊を先行させ、それから荷物を全てファリチェが監督する分進合撃に組み込んでいない八百に任せて全速で駆けだしたのだった。




