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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十一章
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マシディリ・ウェラテヌス

「まさか」

「でも、これではまるで私のことを信用していないと言っているように聞こえてしまいますよ」


 最後の部分は絞り出すような声で。

 ズィミナソフィア四世の体が、今日、初めて前に出て来た。足はしっかりと閉じられている。


 エスピラは厳しくも無く優しくも無い視線を心掛けるとズィミナソフィア四世が詰めて来た以上の距離を離した。今度は衣擦れのほとんどしない速度で左手を横に広げる。肘は少し曲がったままで。


「マシディリ」


 愛息の名を呼べば、ズィミナソフィアの目だけがそこまで動いていないのに、ぐるん、とも呼ぶべき動きをした。


「父として、個人としてでは無く、ウェラテヌスの当主として私が考えそうなことは分かるね。今日の会談前までに持っていた印象でも構わないよ」


 マシディリの目がズィミナソフィア四世にあう前にエスピラの方に来た。

 唇はカサカサで、背筋は伸び切っている。手はきちんと膝の上に、計算され尽くしたように淡く握られて。


 そんな愛息の顔が正面、誰も映さない方に移動すると、小さな喉がごくりと上下した。できかけの喉仏があるのかもしれないが、全く見えない。


 エスピラはマシディリのお茶に目を落とした。助け舟は出さない。


「ディラドグマを、お父様がどのような意図で行ったかで十分よ」


 助け舟か罠か。


 どちらかは分からないが、ズィミナソフィア四世がマシディリに涼やかな視線を投げかけた。彼女の目がほんのりと薄くなっていく。されど瞳は良く見える。その状態で、ズィミナソフィア四世がお茶を手に取った。

 ゆったりと、口元に陶器が移動する。


 蜘蛛の巣の張っていそうだったマシディリの唇が、開いた。


「意図は、説明できません」


 掠れかけた声で、マシディリがそう切り出した。


「ですが」


 少々上ずった声で言ってから、マシディリの喉が大きく動いた。音もなる。


「ですが、父上がカルド島でディラドグマを再現する必要も無ければ、父上のディラドグマで行った虐殺やブレエビ様、あるいはその配下の処刑を持ち出してイェステス陛下に害を為すことは、隣の畑で麦が出来たからと言って自分の家に居る卵を産める鶏を絞め殺すようなものだと思います」


 マシディリの声が整ってきた。


「マフソレイオの今の安定はズィミナソフィア陛下の手腕とイェステス陛下のお人柄。まさしく両陛下の類まれなるお力によるものだと思っております。


 確かに、私はマフソレイオの民の声は分かりません。どう思っているのかも、聞いたことがありません。

 しかしながら、父上が機会をくださった各国の要人の話において、イェステス陛下が悪く言われているのを聞いたことがありません。皆、良い印象を持っておられます。


 また、此処からは非常に失礼な話になってしまいますので、不快になられたのならすぐに申してください。その時はこの口を閉じ、謝罪いたします」


 ズィミナソフィア四世が、瞳だけを上下に動かした。

 マシディリが頭を下げて、続ける。


「私は、シズマンディイコウスが主体となっている父上の暗殺計画に陛下が関わっていると考えております。


 あの暗殺未遂の後、カナロイアからの心づけが増えました。ドーリスも、翌年のディファ・マルティーマ防衛戦などで多くの物資を快く運んできてくれております。後ろめたいことがあるのもまた事実でありましょう。加えて、暗殺未遂の起きた晩餐会の会場を選んだのはドーリス。マルハイマナとよく会っていたのはカナロイア。ハイダラ将軍を追い込んだのはカナロイアの次期国王であらせられますカクラティス殿下。


 直後に、カナロイアやアフロポリネイオに良く足を運んでいたイェステス陛下では無く、陛下が、メガロバシラスに来ております。表向きは講和の使者として。しかし、ならばイェステス陛下こそが適任であったはず。

 内政を陛下が切り盛り、外交をイェステス陛下が顔だけとは言え繋いでいる。そう、聞いておりますから。


 さらには、父上に首謀者と見破られても許される者がおります。それは、父上の子供たち。つまり、ズィミナソフィア陛下もまた、父上が許してしまうお人でしょう。

 さらに踏み込ませていただきますと、陛下にとっては父上が死んでも問題無かったのではありませんか?」


 ズィミナソフィアの指が僅かに動いた。反応した。

 しかし、マシディリは申し訳なさそうな顔をしつつも誰よりも力強いまなざしをズィミナソフィア四世に向けている。


「マフソレイオとマルハイマナの戦闘が起きなかった要因の一つに、すぐに取れる場所が両者ともに不毛地帯だから、と言うのがあげられます。


 しかし、父上の暗殺が為った後ならばどうでしょうか。


 あの場で死んだのはハイダラ将軍だけでなく、お詫びとしてもっと多くのマルハイマナの将校が亡くなり、その場にいた多くの兵もまた暴徒と化したアレッシア兵によって殺されていたでしょう。


 そうなれば、当然のことながら国境ががら空きになります。

 そこに、親子同然に慕っていた父上の仇討ちと称して陛下が攻め込む。不毛地帯を飛び越え、領土を拡張できます。


 思えば、私が図書館を使わせていただけたのもその計画の一端だったのではないでしょうか。


 父上が勧める戦術、戦略の本を知ることが出来ますから。どの本を利用したかは分かるはずです。父上はエリポスやディファ・マルティーマの情報をほぼ全て手中にしておりましたので、陛下も自身の宮殿ぐらいどうってことは無いでしょう。


 さらに、父上と共に居た時に陛下の傍にあった本。あの時は読めませんでしたが、今では『象の調教法』と書かれていたと分かります。


 戦象など、最早攻略法の知れた割に合わない兵器。

 つまるところ、アレはそのままの意味では無くマルハイマナの東方諸部族の話をすると言う合図だったのではないでしょうか。


 マルハイマナの東方で頻繁に反乱が起こっていたのも事実です。

 陛下が手綱を取っていたのなら、父上亡きあとにマルハイマナを東西から挟み撃ちにし、エリポスと繋がることだってできたはず。


 御無礼を、お許しください」


 最後の言葉は大きな一拍を開けて。マシディリが深々と頭を下げた。

 ズィミナソフィア四世がすっかり持ったままだった陶器を机の上に置く。しかし、またしてもマシディリが言葉を紡ぐ方が早い。


「陛下が情報を持っている。そして、カナロイアもドーリスも、陛下を破滅させられる情報を握りつつも共犯として弱みを握られてもいる。

 ならばいち早く三者の位置を把握できるのはどこかと言えば、それは父上の元でしょう。

 距離も被害者加害者の関係からしても、父上に力が集まるのは当然のこと。それを見越しての行動であったとも思っております。


 何より、私の言った言葉は全て推測。

 確定的な証拠など無く、いわば物語と同じお話。


 どうか、お許しいただければ幸いです。そして、まだ無礼を重ねることを許していただけるのであれば、各国の致死量の秘密を互いに話さない、協力し合うと言う信頼の証としてイェステス陛下は非常に役立っていると、上申させていただきます。


 最後になりますが、私は言った言葉を謝る気はございません。


 ウェラテヌスの者として、長男として。まだ幼い弟妹が居る身として。


 父上と私が共に倒れることだけは避けなくてはならないのです。その昔、アスピデアウスはまだ小さな男児を一人残しアレッシアのために全滅したことがございます。アスピデアウスほどの基盤がしっかりした家門ならそれでも大丈夫なのでしょう。ですが、今のウェラテヌスは強大とは言え地盤は緩く、父上と言う支柱に糸を繋げることのみによって成り立っている家。幼い弟妹だけにしては今度こそ泥中に沈むかもしれません。故に、私は、私の行動がみっともなくとも母上の元に逃げ帰る覚悟を持って此処に来ております。


 故に、父上の行動をつまびらかに説明することはできません」


 マシディリの言葉をもらったズィミナソフィア四世が、動きを止めた。

 マシディリに近づくかと思われた絹の皺が出来ていたが、それも元に戻る。


「私の最大の失敗は、マシディリを起こしたことかしらね」


 ほう、とズィミナソフィア四世が言って、深く腰掛けた。


「お父様になら、文句も何でも言えたのに。でも、そうね。その通りね。

 お父様の子だからと言って必ずしも私の味方とは限らない。マフソレイオでも兄弟間の争いは珍しくないもの」


「申し訳ございません。意図が正確に伝わっていなかったら申し訳ないのですが、今日こんにちの言葉は決して敵対するような意思では無く、私の狭く疑り深い心からきたものです。私も、できる限りマフソレイオとは良い関係を築いていきたいと思っております」


「それぐらいきちんと伝わっているわ。その気になればアスピデアウスさえ乗っ取れるお母様と、そのお母様が唯一の乗っ取れないウェラテヌスの当主であるお父様。その二人から受け継いだ才能とお父様が用意してくれる最高の環境。それらを活かしきれる貴方の努力。

 貴方が羨ましいだけよ。憎らしいくらいにね」


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