支援者は、朋友は。
すっかり感じ入った風に顔を小さくゆっくりと上下させたエスピラに、しかしズィミナソフィア四世の右手が少し動いた。
陶器に隠れているため、はっきりとは見えない。が、衣服が少しすれたのは見えた。
マシディリは、先程の声掛けから一分たりとも変わらない位置に居る。
「しかし、全部とは厳しいな。あんなことがあった以上は私が直接得られる軍資金の額は減ってしまっていてね。
ソフィア。悪いが、何をどれくらい渡せば何までしてくれるのか。どうやって私達に利益をもたらしてくれるのか。詳細なものまではいかなくても良いから、教えてくれないか?」
そんなマシディリをあまり見ないようにし、手も体もマシディリと反対側にあるほうをそれとなく、どちらかと言えば大きく動かした。
真っ直ぐにエスピラを見ていたズィミナソフィアの目が、ごく僅かにエスピラの動きにつられる。
「マフソレイオとして、正式に苦言を呈させていただきます。一部の者に対する不用意な同情、国としての約束を破る姿勢。これに、非常に強い不信感を抱く、と。支援の停止も視野に検討させていただきます。
あるいは、アレッシアが武力で全てを解決できるとお思いなら、相応の手段をとる準備がある、とも。いえ、これはマフソレイオでは無い国にさせましょうか。マフソレイオとしては、アレッシアと戦う利点はございませんし、将来の禍根を残す必要もございません。
それから、信頼のできる外交使節の派遣の要請。
ブレエビ・クエヌレスらの処分が甘いのであれば、軍事命令権保有者であるエスピラ・ウェラテヌス、及び同執政官のマルテレス・オピーマ。そして、甘い処分を認めた現元老院議員は誰一人として信用できません。元老院議員の過半数の入れ替えと彼らとは別の信用のおける者に再度朋友の約束を確認していただきたいと要請いたします。
八割で、此処までです。お父様」
形の良い笑みを浮かべ、ズィミナソフィア四世がお茶を手に取った。
口元しか隠れない飲み方で、音も無くお茶を飲んでいる。
「全額払うと?」
一切行動の速度を変えず、エスピラを少々待たせる形でズィミナソフィア四世が陶器を机の上に戻す。
「それはまず五割、いえ、三割はお支払いいただけると言ってもらわないと」
「商品を知らずに金を払えだなんて、随分とあくどい商売だとは思わないか?」
「あら。少し値段の安い方は既におみせいたしましたでしょう? 傭兵を雇う時だって、傭兵の姿を見ることもあれば数だけの指定もあります。実際の戦いの様子を見ずに財を払うのです。ならば、私は随分と良心的だとは思いませんか?」
んー、と。してやられたよ、と。
そんな唸り声を出しながら、エスピラは二度頷いた。
「分かった。二割は必ず払おう」
「三割です」
「四割払おうか」
一瞬だけ、ズィミナソフィア四世の唇が止まった。
金で出来ている幅の広いネックレスは、光の反射を減らしたようにも見える。
「どうした? 私が本当に信用できないか?」
目の大きさも変わらず、口も閉じたままのズィミナソフィア四世を覗き込むようにエスピラは体を両肘を両ひざについた。
「いえ。要求量を越えた量を下さるとは思わなかったものですから」
「最初に五割を要求していたじゃないか」
笑って、エスピラはお茶を飲む。
置くまでに説明が始まらなければ尋ねるつもりだったが、ズィミナソフィア四世の口はエスピラが陶器を置く前に開いた。
「エリポス語の堪能な奴隷を使いまして、兵のために使うはずだった財がマフソレイオに渡らざるを得なかった、と噂を流しましょう。対象はカルド島諸都市。お父様の目的はエクラートンの者達への食糧支援。そのための対価として。信頼を失ったアレッシア軍団はそうせざるを得なかった、と。信を損なったのは、カルド島からのモノだけでは無かったから、と。
エスピラ・ウェラテヌスとはそこまでして占領後を考えてくれる軍事命令権保有者であり、手助けしない元老院はカルド島のことを軽く考えている。踏みつぶせばそれで良い。だからこそ、猛将マルテレスを先に派遣した。統治することよりもいかに搾取して儲けるかしか考えていなかったから。カルド島全域を敵対させ、敵対勢力だとして奪い尽くし、国庫を潤すことしか頭にない。エスピラ・ウェラテヌス以外はそのような者達である、と。
エリポス、マルハイマナ、マフソレイオと旧友が離れていっているハフモニに味方しても明るい未来は望めないのなら、エスピラ・ウェラテヌスがカルド島で軍の全権を握っている間に下った方が賢い、と流させていただきます」
実際にはエスピラが全権を握っているわけでは無い。
が、そう言う嘘を混じらせるからこそ噂としての完成度が高くなると言うものでもある。
「また、対抗する噂としましてはブレエビ・クエヌレスが現地で妨害し、プレシーモ・セルクラウス・クエリが半島でエスピラ・ウェラテヌスへの支援物資を妨害している、とも流しましょうか。
味方に補給を絶たれたため、長引いても良いようにマフソレイオとの関係を強化する。マフソレイオの民に対する財の使い方だ、と。
エクラートンの民が飢えないように食糧を解放し、家を建て直す手伝いをする。
それと同じで、マフソレイオの民がアレッシアに対して抱く悪感情を軽減させるために分かりやすいバラまきを行った。アレッシアとマフソレイオの民のことを考えた行動である。
そう言う噂もつけるつもりです」
今度は三度、エスピラは頷いた。
それはありがたいね、とも付け加える。
エスピラとて、それぐらいの噂を流すことが出来るだけの人はいる。が、そこに貴重な人的資源と時間と財をかけなくて良いのなら、大分ありがたいのだ。
「兵に回るはずだった財。つまり、国庫へ納める分を除いた財の一割を払えば、それを行ってもらえる、と」
ズィミナソフィア四世の特に曲がっていなかった背が、一段と伸びた。
確認するように聞いたエスピラとの間にある空間が、少しだけ大きくなる。
「何を、するつもりですか?」
「詭弁なら四割から三割に減らすと言っているだけだよ」
ズィミナソフィア四世の顔が作り物と良く分かる笑みに変わった。
「詭弁ではありませんよ」
エスピラも、ズィミナソフィア四世と同質の、そして彼女よりも自然に近い笑みを作り上げた。
「それは良かった」
言って、懐から一通の手紙を取り出す。
「実は入れ違いでイェステス陛下に手紙を送っていてね。これは、その書き損じなのだが内容は変わらないよ。いや、本当に安心した。要求を積み上げられては敵わないからね」
羊皮紙を広げて、ズィミナソフィア四世の前に。
書き損じと言うが、それは最後の一字だけ。
明らかに、見せる用の手紙。
静かに左右上下に動いていたズィミナソフィア四世の目が、一か所で止まり、黒い部分が大きくなる。時折戻り、先に行き、最後には同じ場所へ。
「お父様、これはっ」
「無償で援助を行い続けたイェステスに対し、ズィミナソフィアはしっかりとマフソレイオのために見返りを取って来た。同時にアレッシアに追加の利益も与えることで関係の強化も試みている。
そんな筋書きでも用意していたのかい?
この戦争中、基本的にはイェステスを押し出していたのも、国民の不満を彼に向けるために見えて仕方が無いよ」
手紙に書いていたのはズィミナソフィア四世の要求額を上回る金銀財宝の量。その供与の約束。
これまでの支援に比べれば少ないが、感謝の気持ちの一端であるとして。両陛下とマフソレイオに、と。
「イェステス陛下は信頼に値する方だ。殺させはしないよ」
ズィミナソフィア四世の顔が、何度も笑顔を作ろうとしてはやめ、作ろうとしてはやめた。
指に一瞬力が入ったようにも見えるが、すぐにいつも通りになっている。背筋も伸びたまま。表情も普通に変わる。
されど、顔は少しだけ右に傾いて。
「お父様は、娘がお嫌いなのですか?」
と、毒蛇の威嚇音と共にズィミナソフィア四世は言ったのだった。




