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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十一章
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魔法の対価

「お久しぶりです。お父様」

 と、ズィミナソフィア四世がプラントゥムの言葉で言った。


「久しぶりだな」


 エスピラはマルハイマナの東方の部族の言葉で返した。

 それから、手紙を一つ取り出し、シニストラに渡す。


「一つ、頼まれてくれないか? 顔が分からなければスクリッロ将軍……もう将軍では無いな。スクリッロ様に聞けば分かる者をつけてくれるはずだ。大事な交渉でね。一応、誠意が見える人選をする必要があるんだ」


 誰かさん、つまりブレエビらの所為で。


「かしこまりました」


 無駄のない所作で礼と手紙の受け取りを済まし、シニストラが出て行く。


 ズィミナソフィア四世がエスピラが書斎に持ってきていた寝台に座った。寝台と雖も椅子としての用途にしか見えないように改造してある。


 エスピラは、もの言いたげな視線を向けてくるマシディリに目を向けた。こんな時でも愛息の身なりには一つの不備も無く、無駄に布を巻き込んで座っていることも無い。しわも少ない。


「前に来た時にはあれだけの人が居たと言うのに、九年で随分と減りましたね」


 ズィミナソフィア四世がのんたらりと会話を続ける。


「お互い様でしょう」


 エスピラはしれっと言った。


「マフソレイオが失った主要人物は母上、つまりはアレッシアで記録されるところのズィミナソフィア三世のみですが。ええ。頭を失って生きていけるモノなどおりませんから。下手をすれば、大きすぎる打撃だったかも知れませんね」


 くすくすと笑うズィミナソフィア四世を見ながら、エスピラは鈴を鳴らした。


 奴隷がやってきて、お茶とドライフルーツを置いていく。エスピラ、ズィミナソフィア四世、マシディリの順で。陶器と机の間にたつ音は最小限に抑えて。


「頭を失った影響とは、意外な所にも出てくるものだ。気を付けた方が良い。まさかというところに沼が存在していたり、予想もしていなかったところに茨が植えられているものだ」


「幸いなことにマフソレイオに目立った混乱はありません」

「これからの話だ、ソフィア」


 あら、と言った風に目を丸め、ズィミナソフィア四世がマシディリを見た。

 マシディリは何も言わない。軽く握られた手も隠れていない。


 エスピラは、右腕を広げるように太ももに掌底をつき、鼻からゆっくり息を吐きながら細かく首を横に振った。


「母上は知っているよ。家が凋落すれば、思い出したくもない記憶もいくつか抱えることになるものさ。まあ、その記憶とソフィアへの感情はまた別物だけどね」


 ズィミナソフィア四世の口角が持ち上がり、頬も少し紅潮した。

 その顔を取り繕おうともせず、ズィミナソフィア四世がマシディリに改めて小さく腰を曲げる。頭はあまり下がらない。


「お父様に似て聡明そうな子ね」


 細く白い手が伸び、マシディリの頬に触れた。

 マシディリは微動だにしない。表情一つ変えず、服のしわの形も変わらなかった。


「食べてしまいたいくらい」


 ズィミナソフィア四世がマシディリと目を合わせるようにして、言う。


「ソフィア」

「冗談です。ここでは『アレッシアの』風習に従いますもの」


 そうは言うものの、ズィミナソフィア四世のほっそりとした綺麗な指はマシディリの目の下や頬、鼻の側面をなぞるように触れている。


「そんな怖い顔をしないで、マシディリ。私はお父様の公的な子ではありません。会える時間も僅か。それに、母親が違う以上、今後何があっても私はウェラテヌスに内側から関われないの。お父様は、お母様との間の子しか認知するつもりが無いもの」


 少し棘はあるが、エスピラは何も言いはせずにお茶にドライフルーツを落とした。


 その皿をズィミナソフィア四世の方へ押しやる。

 ズィミナソフィア四世がマシディリから手を放した。


 マシディリはズィミナソフィア四世の動きを注視しているように見えるが、口元が動くことは無い。ズィミナソフィア四世がドライフルーツをお茶に落とすのを見続け、自分の元に皿がやってきても目を切らなかった。


「突然色々なことを伝えてしまってすまないね、マシディリ」


 マシディリの背骨がもう一節追加されたかのように伸びた。

 顔がエスピラの方にきた後に、下がる。


「いえ。恐らく、いつかは父上は誰かにお伝えするつもりだったのだと思っております。急なことになってしまったのも、ズィミナソフィア様の到着が予想外の早さだったからであると、そう、理解しております」


「マシディリ。私の、親愛なる半弟ならお分かりかと思いますが、お父様が申されるのならば、その時期に落ちるのでしょう? 一か月だなんて、本当にそんなにかけるつもりがあるとは思えないもの」


 くすくすとズィミナソフィア四世が口元を伸ばした指で隠し、目を細めた。


「マシディリはこういう場は初めてでね。経験を積ませてくれるのは嬉しいが、あまりいじめないでくれ」

「いじめるだなんて。ウェラテヌスの当主としてのお父様が三歳の幼子の折から一番目をかけている人が気になっただけですわ」


 凱旋行進のその時に列を止めてまでペリースを巻いたことを指しているのだろう。


 当然のことながら、ズィミナソフィア四世が三歳の時はそんなことしていない。ズィミナソフィア三世の『格別の計らい』で会えることもあったが、軽く話す程度。その翌年にエスピラはメルアと婚姻を結んだため、特段絆を深めることはあまり無かったのである。


「マフソレイオの女王の目には映りが良いモノだったかな? ウェラテヌス史上最高の当主の若き日の姿は」

「マフソレイオ最高の女王とウェラテヌス最高の当主が同時代に並び立つなど、両国のますますの繁栄が約束されたようなものですね」


 自身をマフソレイオ最高の女王と評して、ズィミナソフィア四世が音も無く笑った。


「それは良かった」


 エスピラもにっこりと笑い、お茶を飲む。陶器によって他の人から見れば鼻から下が隠れる形になった。


「答えにはなっていないがね」


 それから、お茶の入った陶器を置きながらエスピラは言った。


「お父様。此処からは料金が発生いたしますわ。お父様とお会いしたい気持ちが大半を占めておりましたが、それでも私はマフソレイオの女王。貰うべきものは貰わないと、国家国民のためになりませんもの」


 ズィミナソフィア四世がお茶の入った陶器を右手の前に移動させた。


「マフソレイオにとってはエクラートンだが、私にとっては此処も既にアレッシア領。互いの気持ちを考え、マフソレイオとの約定に縋って導き出した返礼は、既にティミドに示してもらっているはずだが?」


 エスピラも陶器を退け、ズィミナソフィア四世の物の正面に追いやった。


「確認はしております。しかし、マフソレイオはこれだけ長引く戦争に多大な支援をしているのです。その中でアレッシア人にとってはアレッシア領だからと言ってエクラートンの民のために運んできた食糧の値段を低くされては、こちらの民が収まりません」


「それを収めるのが上に立つ者の仕事でしょう」


「いいえ、お父様。我慢を強いる時は民を抑え込みは致しますが、時折は民の言うことを聞くのが良き為政者です。なんでもかんでも思い通りに動くことがないことは、お父様も良くご存じだと思っておりましてよ」


 なるほどな、と言ったようにエスピラはゆっくりと頷いた。両手の幅も少し広く取り、体の多くの面を見せる。


「お父様。何も無い所からおねだりをしている訳では無いのです。ブレエビ・クエヌレスの所為で浮いた財がございますよね。お父様が、約束の臨時給金以外にお配りしようとしていた財が。

 アレッシア兵は私がアレッシア語が分からないと思っていらっしゃるのか、雑談が幾つか耳に入りました。その中には、あの財が配られる予定だったとか、約束以上の褒美が待っていたはずなのにという恨み言も数多くあります。

 事実をもとに、お父様がわざと流されている噂ですよね?」


 エスピラは、無言で僅かな笑みを維持し続ける。

 体の向き、腕の位置も気を付けて。足も閉じない。


「その財がマフソレイオに渡る。確かに、どうでも良い財だったともとられかねませんが、そうでは無い。ブレエビらに奪われないため。あるいは、彼らの所為で。そう言う噂を流すことに私も尽力いたします。


 どうでしょうか。

 悪い話では無いと思うのです。


 お父様はブレエビ・クエヌレスを処罰する口実を強めることが出来ます。軍団の結束は固くなりましょう。アレッシアも割れずに済むのなら、元老院も満足いたしますよ。そして、マフソレイオは財を貰える。お父様が快くくださったことで、マフソレイオの民が持つアレッシアへの不満を抑制できるのです。ウェラテヌスへの信用を勝ち取れるのです。


 全員、得があるでしょう?」


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