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将来への布石

「確かに受け取りました」


 シジェロが神に対する誓いを結んだあと、恭しく封をされた紙を布に包んだ。


「頼みます」


 シジェロに告げるエスピラの声も部屋に負けない静けさである。

 処女神の神殿と雖も炎は隣室、窓も無い周りから隔離された場所。気密性の高い事柄を扱う部屋。要するに、遺言状を預ける際に多く使われる部屋である。


「はい。頼まれました」


 シジェロが優しい笑みを浮かべたまま、口だけを動かし続ける。


「あと、それから、おめでとうございます」


「息子のことなら、既に言ってくれましたでしょう?」

「あれは処女神の巫女として、でしたから。今回はシジェロ・トリアヌスとしてになります」


 口元の笑みは変わらず、固定されたまま。

 エスピラは「ありがとうございます」とこれまたシジェロと同じように返しておいた。


「シジェロ様はジュラメント・ティバリウスをご存じですか?」


 ついでに、もう一つの要件を済ませておく。


「従弟ですから」


 とは言え、シジェロは五歳の時から神殿で巫女修行をしているのだ。

 条件が加えられず、思い出したような仕草や間も無いと言うことは巫女になってからも会ったことがあると言うことだろう。


「最近お会いしましたね? 差し支えなければ、その時に何と返答したのかだけお聞かせ願えますか?」


 あえて過程はすっ飛ばした。


 あくまでも知っている体で。シジェロの返答を待つ。


「お噂以上のお方であると。ウェラテヌスの炎は今なお弱まることなく、燃え盛る日を今か今かと待ちかねており、誇り高き一門に相応しい火を絶やさずに灯し続けているとお伝えしました。また、メルア様の噂の真偽がどうあれ、エスピラ様がメルア様を最も大事な人としていることは純然たる事実。それ故、一門としてお答えするなら多少他の国の言語を話せるからと言ってエスピラ様にクロッカスを渡すのは浅慮に過ぎる、と。害になるともお伝えしました」


 クロッカスを渡すことは夜這いの誘いである。


「シジェロ様らしからぬお言葉ですね」


 後半の、浅慮に過ぎる、のあたりが特に。


「火とは神の意思に従って多くを呑み込むものです。それは一門と言う炎同士でも同じこと。軽い気持ちでウェラテヌスと言う大火に手を伸ばせば一門が焼き切られます」

「……その話、他の人には?」


 ゆっくりとシジェロが首を横に振る。


「エスピラ様だけに、今、お伝えしました。タイリー・セルクラウスは確かにウェラテヌスに呑まれない炎だったでしょう。ですが、消えない炎はございません。薪か、暖炉か。慎重に選んだ方がよろしいでしょう」


 エスピラが妹の婚姻相手を探していると聞いて占ってくれたらしい。

 そのことに感謝しつつも、エスピラは一歩踏み込んだ。


「ティバリウスと占ったのですか?」

「いいえ。お相手は占っておりません。建国五門を集めた晩餐会に出席した一門の火を灯しただけです。ジュラメント様はどうやらご自身の婚約者として聞いたわけでは無い様子でしたから」


 とは言ってもジュラメント様はティバリウスの傍系。いざとなればトリアヌスにも近くなる家系です。一般的にはイロリウスの方がウェラテヌスの家格に釣り合うのではないでしょうか。

 とシジェロが繋げた。


(家格と言っていられる場合では無いけれど)


 そして、イロリウスの話だと知っておきながらトリアヌスまで出したのはどうしてか。

 巫女とは雖も一門を思う気持ちか、はたまた。


 エスピラは一度瞬きをして、シジェロの観察を取りやめた。


「重ね重ねありがとうございます。理解の速い友達を持てるとは、私は幸せ者です」

「私は処女神の巫女ですから。アレッシアのためにこの身を捧げるのみでございます。一門の繁栄よりも目の前の方に尽くすことが使命。そう、この体に身についております」


(なるほど)


 そう来たか、と思いはしたが、エスピラはこれ以上言葉を返すことはしなかった。


 多少の難点はありつつも、シジェロの占いの腕は確か。アレッシアの支配領域広と雖もそうそう見つかる者じゃない。

 だからこそ、占ってもらうために常駐神官では無くシジェロのとこに行ったのだ。


「タヴォラド様が最近良く来られております」


 エスピラが用件を告げる前に、シジェロがそう口にした。


「表向きは来年の候補者の内、誰を支持して欲しいか。裏向きはベロルス一門について、『他に』親しいものがいないかを探しているように感じました」

「最初の用件からして裏向きですね」


 神殿は公平。どの候補者にも肩入れしてはいけないことになっているのだから。

 公然と支持を頼めるはずがない。


「タイリー・セルクラウスの後継者として脅威になる者を今から蹴落とそうとしているのでは? とちょっとした噂になっております。その、縁起も悪く非常に言いにくいのですが……戦争では、何があるか分かりませんので…………」


 恐る恐る、と言ったように、最後は消えそうな声でシジェロが言った。


「いえ。神殿がいつもそう言った話をしているでは無いですよ。タイリー様の最初の奥様は美女と名高いアルグレヒト一門のアプロウォーネ様でしたが、メルア様の御出産からほどなくして亡くなり、途中から嫁いだ処女神の巫女を務め上げたパーヴィア様が後を継いでいますから」


 長男トリアンフ長女プレシーモ次男タヴォラド三男コルドーニ三女クロッチェ四女メルアと六人を産んだのはタイリーの愛したアプロウォーネである。つまり、トリアンフもタヴォラドもメルアの全兄だ。


 一方でパーヴィアは次女フィアバ四男フィルフィア五男ティミドと三人。こちらもこちらで一般的に望まれる子供の数を産んでいる。アレッシア基準なら十分すぎるほどに働いた女性だ。


 感情的なモノを抜きにすれば、タイリーの妻として大手を振って権力を発揮しても誰も文句は言えないだろう。


「天下のセルクラウス家に巫女の子が三人もいるのに、誰も恩恵に預かれないのは神殿としては困る、ということですか」

「……そのような、即物的な話を神官様方にしてほしくは無いのですが……。此処は神様とアレッシアを繋ぐ重要な場所です。ずっと、血なまぐさい話とは無縁でいて欲しいと思うのは、私の勝手でしょうか」


 シジェロの髪が着くはずも無いのに地面に着きそうに見えた。

 神官になる前の勝手な想像とは違い、処女神の巫女にも俗物的なところがあるのはエスピラも知っている。だが、こうして見えるのは、本当に神に仕えるべく育ってきた、隔世の感のある人だと言うこと。

 その願いは正しいと、エスピラも思うモノであること。


「素敵な願いだと思いますよ。ウェラテヌスを盛り上げることを考えれば全面的に応援しますとは軽々しく言えませんが、私個人としては、シジェロ様にはそう言う考えを失ってほしくはありません」


 優しく言えばシジェロの顔が上がり、力なく、それでいてふんわりとシジェロが微笑んだ。


「もう少し、嘘を吐けば良いのにとか、言われたりはしませんか?」

「余計な嘘は吐きたくありませんから」


 メルアをなだめるのは大変なんですよ、息子も変なこと覚えかねませんし、とエスピラは冗談めかして肩をすくめた。

 シジェロが困ったような顔を浮かべたが、ぎこちなく、合っているかな、という風に笑い出す。


 タイミングを見計らったかのように、やや乱雑に、されど同じ大きさで扉が三度ノックされた。

 何やら言う者の声が聞こえたが、関係ないかのように扉が開く。


 現れたのは男性。エスピラと親子と言っても通じるほどの歳の離れた男。タイリーと似ているが、彼よりも艶のある色の薄い金髪、少し緑の混じった碧眼。細身だが、筋肉がしっかりと見て取れる、アレッシア人らしい鍛え上げられた肉体の持ち主。


 タヴォラド・セルクラウスである。


「タヴォラド様。今は先客がおられますので、また後程だと」

「知っている」


 シジェロの言葉を遮り、タヴォラドがエスピラを睨みつけるように見据えてきた。


「時期的に、今はよろしくないのではないか?」


 此処にいることが。

 シジェロと二人きりにならざるを得ない状況が。

 そういうことだろう。


「遺言状を預けるために信頼できる人を呼んだだけですよ。息子が生まれてから書き直しましたので、この時期になるのも仕方が無いかと」


 タヴォラドの目がシジェロの持つ布へ向かう。


「子が継げるのは父親の一門の財のみですが」

「マシディリは私の子。おっしゃっている意味が良く分かりませんね」


 後継者と目される者や有望な若者が血の繋がりが無い者から受け継ぐこともありはする。

 だからと言って、そう言う反論はこの状況ではするわけにはいかない。


「言葉選びには気を付けた方が良い。その言い方だと、まるで『子供の父親に疑念を抱いている』ように聞こえますよ」


 タヴォラドが彫刻のような顔のままで言った。

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