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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第十一章
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神々の御意思

「お待ちください!」


 などと、悲痛な叫びが中庭のあちこちで上がる。声にならない悲鳴が上がる。


 十分の一刑。

 それは、アレッシアの軍団における最大の罰である。


 木の束、あるいは素手と言った凡そ殺害に不向きなモノでくじ引きで選ばれた者を殴るのだ。当たりの確率は十分の一。十人隊長が監督する自身を含めた兵八人と補助役の二人。その中から一人を選んで自分たちの手で殺す。死ぬまでの間はくじで選ばれた一人に与えられるのは奴隷や家畜と同じ食事だけ。そして奴隷よりも過酷に扱わなければならない。


 軍事命令権保有者にとっても自身の兵団の一割を失うことになるのだ。

 誰にとっても厳しい刑罰になる。


 何より、父祖に十分の一刑を受けた者が居れば、能力が同じでどちらを採用しようかと迷った時にほぼ確実に選ばれなくなる。父祖の顔に泥を塗り、子孫を困らせ、神々に見捨てられると言われている刑罰。それが、十分の一刑だ。


「規律を守れと私は何度注意した?」


 エスピラは、全ての口を黙らせるべく声を張り上げた。



「手紙で。口で。軍団長に。軍団長補佐に。百人隊長に。何度直接伝えた? その度何度君達は無視してきた? 破って来た?


 そのくせ、他の者なら守れる簡単な命令も守れないのか。


 別に負けるのは仕方が無い。時の運だ。咎めることは無いさ。

 難しいことに挑戦して失敗するのも仕方ない。自分の能力外のことをやって失敗した場合は、命じた側が悪い。


 ああ。そうか。


 此処にいる高官には人をまとめることはできず、兵は規律を守ることもできない犯罪者ばかり。


 それは私が悪かった。すまんな」



 ブレエビが前に出てくる。


「それを言うなら、見抜けなかったお前の責任もあるなぁ!」


 全員に言うようにブレエビが声を張り上げれば、幾人かから同調する声が上がった。


「その通りだ。故に、私もくじを引く」


 言えば、声が静まった。


 はったりだ、とでも言うようにブレエビが不遜な顔を続ける中、エスピラは奴隷に十本の木の棒が入った容器を持ってこさせた。その内の一本を引く。はずれ。エスピラは執行する側。


 その棒を見せつければ、ブレエビの頬が引きつった。


 次いで、奴隷がヴィンドの前に持っていく。ヴィンドもすぐに引いた。はずれ。

 次に、ブレエビ。

 ブレエビの顔がくじに行き、正気か、とでもいうようにエスピラを見て来た。


「どうした、ブレエビ。君が望んだことじゃないか。君が望んだとおり、私も罰を受けて引いた。立場が下のラシェロを止められなかったとしてヴィンドも引いた。私を含めた十人を選ぶなら、君とラシェロも当然引くべきだろう」


 ブレエビの目が泳ぐ。

 右へ。左へ。こめかみにも光るモノが見えるが、誰も助けを出そうとはしない。できない。


 それから、は、と気が付いたようにブレエビが笑い出した。


「そうか。そうか。これは全部はずれだ。当たりのくじなんてない!」


 吼えて、ブレエビが止める奴隷を突き飛ばしてくじを全部引いた。

 奴隷の服が土で汚れる。おやめくださいとなおも縋った奴隷をブレエビが乱暴に払いのけた。余裕が無い故の荒っぽさなのだろうが、関係無い。ウェラテヌスの奴隷に、クエヌレスの者が狼藉を働いたと言う事実は事実だ。エスピラの心に冷たくも熱いモノが宿ったのも事実だ。自分の奴隷を足蹴にされて、黙っていられるわけが無い。


 しかも、くじにはきちんとあたりが存在している。


「ば、ばかな……」

「クエヌレスに反逆の意思あり!」


 喘ぐブレエビを無視して、エスピラは獅子哮した。

 スコルピオが全台動き始める。

 シニストラが素早くエスピラの前に来た。

 ソルプレーサが奴隷をやさしく抱え、支えながらエスピラの方に退いてくる。

 ブレエビの手からくじが落ちた。踏むか踏まないかのところで踏み出し、エスピラに近づくもヴィンドが剣を抜いて止める。


 エスピラは、そんなブレエビを一瞥するとまずは奴隷に声をかけた。大丈夫だと言う奴隷を留め、治療の手筈を整えてから再びブレエビに視線を向けた。


「神の御意思であるくじに狼藉を働いただけでなく、踏んだのか? くじを」


 エスピラは目を見開き、しかし表情からは感情を殺してブレエビを見下ろした。


「エスピラ様。お待ちください」

「宗教的な要地も分からぬ貴様は黙っていろ、ラシェロ。それとも、君も神々に対して反逆の意思があり、アレッシアの国益を損なわせ、ウェラテヌスを軽んずる愚妄な輩か?」


 ラシェロが目を見開き、徐々に俯いた。

 拳はしっかりと握られており、両腕は震えている。


「君達が神について語ることなど、もう誰も信用しない。カルド島でのアレッシアの苦境は、此処、エクラートンの裏切りと君達によるイエロ・テンプルムでの狼藉がきっかけだ。

 その君達が、神々について語る?

 アレッシアの執政官を愚弄するのもいい加減にしろ」


 エスピラが静かに叩きつける言葉の間にも、盾を構え完全武装したアレッシア兵が次々と中庭に入って来た。


 半裸の男達は徐々に互いの距離を詰め、密着に近くなっていく。スコルピオで一斉に殺せる状態になっていく。



「確かに、略奪の禁止は難しい命令だったかもしれない。私の信を損なう命令だったかもしれない。


 だが、私はアレッシアの執政官としてもう一人の執政官と約束したのだ。

 アレッシアの代表として、エクラートンの、これからのカルド島を纏める者達と約束したのだ。


 無為な略奪を行わないと。アレッシアに協力的な者を助けると。


 なるほど。確かに私の直接の指揮下にあった者や、私と関係が長い者は略奪を行わなかった。規律を守った。


 だから何だと言うのだ!


 別の軍団からすれば、君達もまた私が軍事命令権を保有している者。

 エクラートンや諸都市からすれば、同じアレッシア人。

 一部のアレッシア人の暴走では無く、アレッシア人は約束を守らない野蛮な民族だと思われる。その結果、多くの者がハフモニに流れ、あるいは他の国に流れ。今は統一できてもまたいつカルド島から騒乱が起きるか分からない。他の場所の交渉が難航するのかも分からない。

 君達が何と言おうと君達はアレッシア人の代表として、アレッシア人の信用を損ねる行為をしてはいけないのだ。君達は軍団に所属しているのだから、なおさらそのことに注意しなければならないのだ。


 で、だ。


 注意したか? してないよな。


 簡単な命令すら守らず、自分の利益を最優先にして他の者のことを考えなかった。

 他の者なんて死んでも構わないと思った。アレッシアが苦難に陥っても良いと。栄光に陰りを見せ、友のみならず子々孫々の繁栄を奪っても自分が良ければそれで良いと思っていた。


 違うか?

 違わないんだよ!


 お前たちの所為で、アレッシア人は約束を破らずに享楽のためなら何だってする蛮族だと思われてんだよ!」


 言葉でぶん殴り、それから、息を整えるようにエスピラは雰囲気を少し落ち着けた。


「君達の軽率な行動の一つ一つが、アレッシア二百万の民の首を絞めた。

 その上、カルド島の神々どころかアレッシアの神々を敬わない者ときたか。

 見抜けなかった私も私だが、そうと知った以上はもう生かしては置けないな」


 エスピラは、恭しい動作でくじを容器に戻した。自身の手で汚れを拭い、綺麗に整える。

 ヴィンドもエスピラに続いてくじを戻した。


「十分の一刑は撤回だ。此処に集ったアレッシアの敵三千名をこれから処刑する」

「待て!」


 ざわめき立った群衆の中で一番大きい声を出したのはラシェロ。

 顔はすっかり青ざめ、額は汗でぐしょぐしょだ。


「待ってくれ。シジェロだ。娘なら、ブレエビ様の行動が神々を侮辱する意思が無かったことを証明してくれる。エスピラ様も知っての通りシジェロは占いの腕も良い。神に愛されているあの子なら、神々を蔑ろにしていない。だから、少しだけ待ってくれないか」


 シジェロは今イエロ・テンプルムに居る。

 少しだけと言いつつも、日数はかかるのだ。

 時間稼ぎなのは明白である。


「分かった」

 とは言えど、エスピラにもその返事しか選択肢は無く。


「シジェロ・トリアヌスと神官であるトリンクイタ・ディアクロスをエクラートンに呼び寄せる。それまでの間、この者達は罪人として扱い、罪人を入れるための防御陣地をエクラートン郊外に作ろう。他ならぬ、君達の手で」


 そう取り決め、エスピラは「連れていけ」と冷たく言い放ったのだった。


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