貴方が幕を開けるのです
「直接会うのは久しぶりです、と言った方がよろしいのでしょうか。エスピラ様にもあれから、随分と色々あったようで、心労のほどお察しいたします。されど、そのおかげかご活躍のほどは良く耳にしており、その度に私も我がことのように嬉しく思っております」
「良い噂として耳に入っていると嬉しいのですが」
と、エスピラは笑って、奴隷を下がらせた。
「もちろん良い噂として伺っております。国家の威信をあまり使えない状態での交渉で、メガロバシラスはおろかマフソレイオ、マルハイマナとも関係をしっかりと結んでいると言う結果が出ておりますから」
「御安心を、スクリッロ将軍。国家の大小に程度はあれど、国の価値に上下などありません。一つ一つが大事な国であり、尊重すべき集合体です。
まあ、見る人によっては重要度に差が出てきてしまいますがね」
安心させるように言った後、エスピラは悪戯っぽい顔を見せて笑った。
スクリッロ将軍は一応安堵の感情を表情に混ぜている。
「さて。あまり長い時間抜けている訳にもいかないでしょうから、手短に条件の確認だけ済ませてしまいましょうか」
ほとんど乱れてはいないが、エスピラは服装を整える。姿勢も崩れていなかったが綺麗に直した。
そして、耳を澄ます。
小屋の外は相変わらず静かだ。
一応警戒も続けさせているが、本当に念のためになるだろう。
「まずは絶対確認しないといけないこととして、王の血縁者は見つかりましたか?」
今後の、エクラートン統治に影響が最も出る事柄だ。
スクリッロ将軍が軽く目を閉じ、首を横に動かす。
「いえ。見つかってはおりません」
姿勢を崩さず、喜びも安堵も出さずにエスピラは一度だけ顔を上下に動かした。
「こちらとしましても、一つ、どうしても先に確認したいことがございます」
そして、スクリッロ将軍が真剣な顔をして少しだけ前にのめりだしてくる。
「エスピラ様に言われた通りに優秀な人材に声を掛け、協力を取り付けております。ですが、この者たちを不意打ちで殺す、などありませんよね? 約束、してくださいますよね?」
スクリッロ将軍が懐から羊皮紙を取り出し、伏せて机の上に置いた。手はしっかりと羊皮紙を抑える形で置かれている。
アレッシアが嫌う暗殺を警戒しているのは、エスピラを知ってか、アレッシアを知ってか。それとも、エリポスの影を見ているのか。
いずれにせよ、気持ちの良いものでは無い。
「国が失ってはいけないものは愛国心と頭脳です。もちろん他にもありますが、これからのカルド島の高官はアレッシアに好意的であり、優秀な者達だと聞いておりますので彼らを殺すのはアレッシアにとっても損失ばかりになってしまいましょう」
安心させるような笑みを作りながら、ただ、とエスピラは哀愁に表情を変えた。
「できる限り狭い範囲に居てくれる方が望ましいですね。私の軍団は残念ながら私と会って一か月どころか十日も経っていない者が多く居ります。エリポス以来の一万三千。彼らの略奪領域に居れば必ずや身の安全を保証できるのですが、それ以外だと私の力量不足としか言いようがありませんが、父祖に誓っての約束はできかねます。
ですので、名簿よりも居る場所を示してもらってもよろしいでしょうか?」
やや腰を低くスクリッロに頼みながら、エスピラは控えていたソルプレーサを呼んだ。
ソルプレーサが十四個の円が隙間なく描かれているエクラートンの地図を机の上に広げる。
空間を作るように背を少し逸らしていたスクリッロの手が動き、手紙が横にずれた。そのまま手は手紙の上から消えて。
エスピラはその様子を視界の端に収めるにとどめた。視線は送らない。
「今のところの略奪予定はこのようになっております。円は軍団長補佐以上が監督する範囲を一つの区切りとしての略奪許可領域です。一番と四番、つまり王宮は私の直轄部隊と此処にいるシニストラの管轄部隊。最も身の安全が約束できる部隊ですね。
他、三番と六番から十番はエリポス以来の兵がエリポス以来の者と共にことに当たる場所です。此処もアレッシアに味方する者にとっては安全でしょう。
次に五番と十三番、十四番。此処は私の顔を未だに覚えきれていない兵がエリポス以来の高官に率いられて担当しております。万が一が無いとは言い切れません。
最後に二番と十一番、十二番。此処には居ない方が良いでしょう。できれば、隣接地域にすらいない方が良いかも知れません。
略奪を制限する軍事命令権保有者の言うことなど聞きたくないと言う者は非常に多いですから」
スクリッロの脳内に聞きたいことがいくつも浮かんだのか、エスピラの話の途中に何度も顔がエスピラの方を向き、口が動きかけていた。
「ゆっくり、どうぞ」
エスピラは地図から離れるように上体を起こし、スクリッロに微笑みかけた。
スクリッロも体を起こし、エスピラと正中線を合わせてくる。
「エスピラ様」
「はい」
「確かに私たちは協力関係にあります。だからこそ、ある程度の機密を共有するのは分かるのだが、これは、その、」
「スクリッロ将軍がその気になれば、いともたやすく私を討ち取り、アレッシアを敗走させることができますね」
苦しそうに言い淀み、顔も赤と青を繰り返しているスクリッロに、エスピラは庭先の様子を伝えるように軽く答えた。
スクリッロの目が大きくなる。
「こちらは、祖国の名前が消えると言う苦渋の決断を飲んでいただいたのです。貴方には、最後の最後まで悩む権利がある。選ぶ権利がある。
そう、私は思っております。そして、悩んだ末の結果が私と共に手を取り、より良い、戦火が広がることの無い、子孫が平和に暮らせるカルド島を作り上げることになってくれれば嬉しいことこの上ありませんがね」
スクリッロ将軍の大きく球形になった眼が零れ落ちんばかりに揺らめいている内に、エスピラは顔を少しだけ近づけた。
必然的に二人の距離も縮まる。
「そうそう。略奪についてですが、アレッシアに協力した者、あるいは協力する予定であり裏切っていない者は黒い木札を縦に置き、横に三つ並べてください。大きさは最大でもアレッシアの家門を象徴する短剣と同程度、小さくとも獅子の成獣の犬歯ほどの存在感でお願いします。それを、家の入口に。分かるように。
その家には略奪をしないと言う合図です。それが無いと身の安全は保障できませんので、よろしくお願いいたします」
「少し!」
と、スクリッロ将軍が叫んだ。
どうぞ、と悠々エスピラは受け止める。
「略奪まで大幅に制限して、大丈夫なのでしょうか。必ずや兵の心は離れ、不満は溜まり、大事な一戦を前にした時に崩壊するかも知れません」
それは、ヴィンドもルカッチャーノもエスピラに抗議してきている所だ。
「御懸念はご尤もだと思います。が、これは友の頼みですから。アレッシアのためにもなるのであれば、彼の良い所を少しはカルド島の者にも伝えねばなりません。
それに、私の主力はエリポス以来の精兵。アレッシア史上最狂の軍団です。私がカラスの体色は白だと言っても黒であると返してきますが、これよりはハトをカラスとすると言えば、ハトがカラスになる集団です。
まあ、とは言え、早く落ちるに越したことはありませんがね。
アレッシアは五年もエクラートンに苦しめられてきておりますが、私と共に居た者達は未だ攻略に取り掛かっている実感が無い者もおります。そう感じている内に落ちれば、略奪への我慢もできましょう。
一つ。懸念があるとすれば。それは、ブレエビ様の軍団。未だに掌握しきれていない軍団です。アルモニアにはイエロ・テンプルムに乗り込む下地作りの方に注力してもらい、ファリチェには新しい地図を。ヴィンドはスーペル様やマルテレスとの繋がり、今までの流れをしっかりと把握してもらっておりました」
一度言葉を区切り、しっかりとスクリッロを見て、口を開く。
「ええ。そうです。ブレエビ様に対しては、皆片手間にやってもらわざるを得なかったのです」
「……それは、エスピラ様にとっても略奪の制限は想定外であったと?」
スクリッロ将軍のこめかみを、汗がつうと伝った。
「はい」
エスピラは、笑みとも告悔ともとれる表情で肯定した。
「したがって、二番と十一番、十二番に居る協力者は避難させてもらってもよろしいでしょうか。表札に黒札は掲げておきますが、念のためです。それから、信頼できる者に被害の確認もしてください。何かあればウェラテヌスが補償いたします。
そして、最後は神頼みを致しましょう」
笑顔で言い切ると、エスピラは「ソルプレーサ」、と信頼できる軍団長を呼んだ。
洞窟に落ちる水滴のような声でソルプレーサが返事をして、紙を机の上に広げる。
「我がアレッシアが誇る凄腕の占い師であり処女神の巫女、シジェロ・トリアヌスが占った日々と、イエロ・テンプルムに居るカルド島の占い師が占った結果がこちらにあります。
結果は微妙に異なっておりますので、スクリッロ将軍。お好きな方を選んでください」
と、エスピラは選ぶ権利を与えつつ、先に与えた最後まで悩む権利を静かにほぼ捨てさせたのだった。




