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致死量

 エスピラもにこりと笑い、それから口を開いた。


「サルトゥーラ様。ベロルスを追放したのは誰かお分かりで?」


 サルトゥーラの無機質な目がエスピラにやってくる。


「タヴォラド・セルクラウス様を中心としたセルクラウスです」


「ああ。良かった」

 と、エスピラは大げさに息を吐いた。


「安心いたしました。サルトゥーラ様がまるでウェラテヌスがウェテリの称号を持つ者と関係を持った一門を別の理由を付けて追放したと言っているように聞こえましたので。


 言ってはおりませんが、意識をすり替えると言うのは大層恐ろしい話です。


 まあ、この議場には言わなくても分かっている方は非常に多いかと思います。そう。グエッラ・ルフス。彼のことです。非常に優秀な方であったことに疑いはありませんが、些か、権力欲を出すタイミングが悪すぎた。その上、優秀ではあるが一国の指針を決めるほどの才は無かった。


 独裁官の方針を意図的に捻じ曲げ、伝える事実を選び、愚かで声の大きい者を扇動することでアレッシア最高の権力を握っているはずの独裁官の動きを封じ込めたのです。

 いやはや。ルールに従わないだけでは無く、完全に捻じ曲げてくるとは。

 その脅威を味わった当事者は、私だけではありませんがね」


「エスピラ様」


 演技じみた大げさなエスピラの声と対になるような、涼やかな声がサルトゥーラから発せられた。


「私は、最初の棘こそエスピラ様の思い過ごしだと言いたかったのです」

「人を不快に」

「そうだ! 第一、そこに居るのは本当にお前の子供か?」


 不快に、の部分をかき消すように新たな元老院議員が吼えた。

 視界の隅ではサジェッツァの顔が険しくなったのが見える。

 タヴォラドも大きな溜息を吐いて背をすっかり背もたれにつけた。


 エスピラは、意図的にそんな様子をしっかりと確認しながら、深くゆっくりとした呼吸を心掛ける。ゆっくりと手からも熱を逃がすように。煮えたぎる熱水の表面積を大きくして冷やすように。じっくりと。急激には逃げない熱を。何とか下げようと。


「子供」


 今日一番の低さで呟いて、エスピラは大きく議場を見渡した。

 ついでに確認したサルトゥーラの表情は変わらない。何も思っていないようである。


「申し訳ありません。ウェラテヌスの次期当主であるマシディリ以外に子供がこの場に居るのであれば、出てきてもらえないでしょうか」


 精神性の話ではありませんよ、と付け足すのは、流石にやめた。


「そのマシディリだ。本当にお前の子か? メルア・セルクラウス・ウェテリは魔性の女だ。数々の男を誑かし、弄んでいる。その内の一人の子だろう? いや、他の子もどうだかな。エスピラ様は家にいる時間が短いようだからなあ。歳も歳だし、妻はその熟れた体を持てあましているんじゃないか? 元から性欲が強いようだしなあ」


 下卑な笑いに、数人が同調するように笑った。

 エスピラの愛息の顔が下がる。唇は硬く結ばれていた。


「ディート・クラウディア」


 エスピラの声の後、シニストラが思わずか動いた。背筋がぴんと伸びている。

 下卑な笑みを浮かべていた男は、その表情で顔を固めていた。


「戦争が始まる前。九年前。君は、どこに居た?」


 エスピラに睨まれた男が、固まった表情から無理矢理唇を引きはがした。


「は?」


 声こそ威勢が良いが、男の額には冷や汗すら見えるようである。


「フィディリタスの妻のとこに良く寝泊まりしていたそうじゃないか」


 ディートはアスピデアウスの被庇護者。フィディリタスの妻はアスピデアウスの娘。フィディリタスはアスピデアウスと仲の良い貴族の者。

 この関係は、一門を考えれば明るみになるのは不利益しか無い。互いに黙って見て見ぬふりをするしかないのである。


「当のフィディリタスは酒宴でサジェッツァの妻に言い寄っていたな。あれは、ああ、トリアンフ様主催の酒宴だったか。断られてもしつこく言い寄っていたそうじゃないか。なんでも、初めてじゃないとか。

 ああ。ボルニカ。フィディリタスは、君の息子と良い仲らしい。たまにはデートを認めてやった方が良いと思うぞ。例え息子は本当はまだ年端も行かないべルティーナのことを思って夜な夜な自分を慰めているとしてもね」


 べルティーナはサジェッツァの、アスピデアウスの当主の娘だ。

 今年十歳である。


「それから、クオルシア。君の息子の性癖は何とかした方が良い。死んだ男が趣味は流石に庇えないぞ。ああ。すまん。君自体が被庇護者の妻に一夜だけ手を出すのが好きなんだったっけか」


 騒ぎ始めた議場に、エスピラは右手のひらを広げてみせた。


「さて」


 そして、大声を出してからゆっくりと右手を回し、手のひらを閉じて行く。


「サルトゥーラ・カッサリア。もう一度、アレッシアの愛人について語ってもらっても良いかな」


「当然の行為であり、何の問題もありません」

 サルトゥーラが変わらぬ調子で言う。


「良かったな。許されたぞ。私でも知っているんだから、皆把握していたのだろう? なあ、ベルルラッテ。君も」

「やめてくれ! 私は関係ないじゃないか!」


「笑っていただろう?」


 慌てた細身の男に、エスピラは革手袋に包まれている左手人差し指を突き立てた。

 細身の男、ベルルラッテがとすん、と椅子に落ちて行く。


「元老院は随分と質が落ちたらしい。ああ、最も悪くなったのは目か」


 言いながら、エスピラはマシディリに近づいた。

 十二歳の、鍛え上げられている息子を気合を入れて抱きかかえる。


「私とマシディリを見比べても誰が父親か分からないなど、なるほど、それでは戦場に立てない訳だ。

 で、戦場に立てない元老院議員はどうするのがアレッシアの慣例何だったかな、サルトゥーラ」


「辞めるのが筋ですが、明文化はされておりません」


 サルトゥーラは相変わらずの調子で言う。

 エスピラは、マシディリを下ろした。


「そうだな。明言はされていないが、サジェッツァ。今後も君が中心でアレッシアを回していきたいのなら考えた方が良いと思うぞ。これは、友としての忠告だ。聞き流してくれて構わない。

 君の友はアスピデアウスが憎くて憎くて仕方が無いウェラテヌスの当主なのだからね。

 私が家族のことをどれだけ好きなのか知っての暴言なのだろう? なら、私も言いたいことを言わせてもらうよ。当然だろう? 


 私はメルアが数多の男を惑わす女であっても構わない。私が踊らされていたとしても構わない。

 事実、それでアレッシアにとって良い結果がもたらされているのだから、何の問題も無い。貴族が惚れた腫れたで結婚を語れば家を傾けることになりかねないとしても、セルクラウスとの関係強化はウェラテヌスにとっても良いこと。利点なら十分。貴族としての責務を放棄していない発言だと思うが」


 ああ、とエスピラは感情の抜け落ちた低い声を出した。

 ずるり、と視線をサルトゥーラに向ける。


「この場で誰かの妻が誰かの愛人なんてことは枚挙に暇がないが、私が名前を挙げた人物で子供が残るべきは誰だ?」


「サジェッツァ様です」


 妻と、子供の時に名前が出ているからの発言だろう。


「他はどうだ?」

「サジェッツァ様と比べれば無能ですが、親が誰か分かっているのなら殺す必要はございません。二人目は許しませんが」


「二人目が居ないのかなあ? 目が悪いみたいだから、成長した後に入れ替わっていても気が付かないんじゃないか?」

「マシディリは間違いなくエスピラの子だ」


 サジェッツァが、上から重々しい声を出した。


「アスピデアウスの当主である私が保証する。

 そして、私にはウェラテヌスと敵対する意思は無い。本当だ。戦場が一か所。軍事命令権保有者は私。そうなった時、私が真っ先に副官に指名するのはエスピラだ。エスピラが言うのなら、カルド島も二年で片が付くだろう」


 そう言えば良いのだろう? とも言っているようにエスピラには感じ取れた。


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